〔この記事は、11月21日に、
「大学関係コラム」カテゴリー
で書いた
と全く同じ内容です。〕
私が大学受験生だった頃の
1980年度(昭和55年度)の
大学入試の主な私大文系の
偏差値ランキングは、下記の
「1980年度(昭和55年度)の
偏差値ランキング表」
のとおり。
やはり、この頃は、
駿台・代ゼミ・福武(現ベネッセ)
のどれで見ても、
中央法学部の法律学科は、
慶應の経済学部・法学部・商学部、
早稲田の商学部・教育学部などより
偏差値が高いし、更に、
早稲田の第一文学部との比較でも、
中央法-法律は、
駿台と福武(現ベネッセ)では、
早稲田の第一文学部より偏差値が高く
なっている。
(代ゼミだと、中央法-法律より早稲田
の一文の方が高くなっている。
慶應文は、駿台では、中央法-法律
より偏差値が低く、
代ゼミと、福武(現ベネッセ)では、
中央法-法律と偏差値が同じに
なっている。)
なお、この時代も、高偏差値大学を
受験する上位受験生は、旺文社や
福武(現ベネッセ)の偏差値を
あまり参考にしていなかったと
記憶している。
慶應の法学部、特に政治学科は、
この当時は、受験に数学が必須で
あったので、仕方ない面はあったが、
それでも、
早稲田や中央の法学部に比べると
偏差値が低く、
上位受験生の間ではアホウ学部
などと言われていた。
(ただし、数学とは言っても、
友人が持っていた、確か
旺文社の大学受験ラジオ講座
のテキストで慶應文系の数学特集
みたいなのを見せてもらったことが
あるが、
法学部は、数学Ⅰの基本的な問題
が主体で、「え、こんなもんなの」
って思った記憶がある。)
この頃の慶應法学部は、政治学科
だけでなく、法律学科でも、
東大や京大のすべり止めにするには
ちょっと不足感があった。
(北大、東北大、名大、九大などの
地方旧帝大のすべり止めとしては
ちょうど良い感じだったが。
なので、慶應は、昭和40年代から
50年代半ば頃まで、司法試験の
合格者数が10人程度とか20人程度
とかで、しかも、法学部出身者
よりも、経済学部出身者の方が
合格者が多いのではないか
なんていう年も普通にあった。
そう言えば、
平成の慶應法学部の看板教授で
あった池田眞朗教授(民法専攻)
も法学部ではなく、経済学部卒
だった。
作家の堺屋太一氏も、現役で
慶應法学部に合格したが、
入学した4月に退学し、2浪して
東大に合格し、東大経済学部を
卒業した。一旦は、慶應法に
入学したけど、やっぱ、
アホウ学部は嫌だという思い
だったみたいだ。)
慶應義塾大学は、公式には、
スポーツ推薦入試は無かったが、
調査書・面接の加点という仕組みで
事実上のスポーツ推薦があった。
その事実上のスポーツ推薦に、慶應
・法-政治学科は、使われたりして
いた。
要するに、慶應・法-政治学科の
合格最低点が慶應義塾大学の中で
いちばん低かったので、
スポーツ実績による調査書・面接
での加点によって、
慶應に入学しようとした受験生が
多くいたということだ。
(もちろん、調査書・面接の加点
があっても、学科試験の成績が
悪すぎればアウト。
なので、
江川卓氏は、慶應・法-政治に
落ちて、法政大学に入学した。)
同志社・法は、当時は、関西の
最難関私大学部であり、
現在のMARCH並みの偏差値に
比べると、上の方に位置している。
早慶上智中央法以外に同志社・法
より偏差値が上の東京の私大が無い。
それどころか、早慶上智の一部の
学部は、同志社・法より偏差値が
低く、その意味で、同志社・法も
早慶上智並みだ。
(今は、関西の高校生でも、
明治・法と同志社・法の両方に
受かると、
同志社・法を蹴って、明治・法
に入学するほどだから、
隔世の感がある。)
偏差値は、このサイトより入手
(偏差値の出典)
↓
1980年度(昭和55年度)の
偏差値ランキング表
○駿台予備校
早稲田・政経-政治 63.2
早稲田・法 60.1
早稲田・政経-経済 59.8
中央・法-法律 58.3
上智・法 57.8
早稲田・一文 57.8
慶應・文 57.3
上智・経済-経営 56.5
同志社・法 55.9
早稲田・教育 55.8
中央・法-政治 55.7
早稲田・商 55.6
慶應・経済 55.5
関西学院・文 54.9
慶應・法-法律 54.6
青山学院・文 54.6
上智・経済-経済 54.2
明治・法 54.1
立教・法 54.1
関西学院・経済 53.8
青山学院・法 53.7
同志社・経済 53.6
関西学院・法 53.6
立命館・法 53.4
慶應・商 52.7
関西学院・商 52.5
明治・商-商業学科 52.4
明治・商-産業経営 52.4
関西・法 52.1
明治・政経-政治 51.5
青山学院・経営 51.5
中央・商-経営 51.1
慶應・法-政治 50.5
立命館・経済 50.5
青山学院・経済 49.3
立命館・経営 49.1
中央・経済-経済 48.9
関西・経済 48.7
関西・商 48.7
明治・経営 48.4
同志社・商 46.6
○代々木ゼミナール
早稲田・政経-政治 68.8
早稲田・政経-経済 64.6
早稲田・法 64.4
上智・外国語 64.1
上智・法 63.8
早稲田・一文 63.6
中央・法-法律 63.4
慶應・文 63.4
上智・文 63.4
中央・法-政治 62.8
同志社・法 62.8
早稲田・教育 62.8
上智・経済-経営 62.3
関西学院・文 62.1
慶應・経済 62.0
早稲田・商 61.6
上智・経済-経済 61.5
明治・法 61.2
青山学院・文 61.1
立教・法 60.8
立教・文 60.7
明治・政経-政治 60.7
慶應・法-法律 60.5
慶應・商 60.5
関西学院・法 60.5
同志社・経済 60.4
関西学院・経済 60.4
慶應・法-政治 59.4
明治・商-商業学科 59.3
立命館・法 59.2
関西学院・商 58.4
同志社・商 57.9
立命館・経済 57.8
立命館・経営 57.8
中央・商-会計 57.7
明治・商-産業経営 57.5
関西・経済 57.3
関西・文 57.1
明治・経営 56.9
関西・法 56.8
中央・経済-経済 56.1
中央・商-経営 55.5
関西・商 55.3
○福武書店(現ベネッセ)
早稲田・政経-政治 76
早稲田・政経-経済 74
早稲田・法 73
上智・法 72
慶應・文 71
上智・外国語 71
中央・法-法律 71
早稲田・一文 70
中央・法-政治 70
慶應・経済 69
早稲田・商 68
慶應・法-法律 68
慶應・商 68
上智・文 68
慶應・法-政治 67
同志社・法 67
早稲田・教育 66
上智・経済-経済 66
明治・法 66
上智・経済-経営 65
立教・法 65
青山学院・文 65
同志社・経済 65
関西学院・経済 65
関西学院・文 65
青山学院・法 64
立命館・法 64
関西学院・法 64
立教・文 63
立教・経済-経済 63
明治・政経-政治 63
関西学院・商 63
立教・経済-経営 62
明治・商-商業学科 62
関西・法 62
明治・商-産業経営 61
明治・政経-経済 61
青山学院・経済 61
立命館・経済 61
関西・文 61
関西・経済 61
明治・経営 60
青山学院・経営 60
同志社・商 60
立命館・経営 60
中央・経済-経済 59
中央・商-経営 59
中央・商-会計 59
関西・商 59
P.S.
なお、この時代の早慶の法学部の
教授陣のショボさについては、
の記事を参照のこと。