以前にこんな記事を書いた。
「わんだふるプリキュア」に興味は持ちつつも、実は毎週視聴しているわけではないのだが、時々番組表でタイトルをチェックしていて、先日「キュアニャミー」というワードを見つけたので、ちょっと久し振りに録画して観た。
…おお、キュアニャミーは殴るし蹴るのか。流石だ。
いや、「やっぱりプリキュアはパンチとキックがなければ物足りない」というわけではない。
ワンダフルとフレンディのような「殴らない」スタイルだけでは、今までのプリキュアの「否定」と捉えられないかと懸念していたのだ。
たとえ「女の子だって暴れたい」のだとしても、暴れる=殴る蹴るである必要は無い。
そもそも暴れたいというのは存外二次的な願望・欲求であって、その根底には「自由になりたい」という思いがあるのではないか。
プリキュアだからって、肉弾戦をやらなければ「いけない」、「相容れないものはシバキ倒すしかない」と強要されるなら、こんな不自由なハナシは無い。
今までのプリキュアの否定ではなく、ワンダフルとフレンディのスタイルをよりクッキリと際立たせ、プリキュアをより自由にするために、キュアニャミーはパンチとキックを繰り出し、爪を揮っているのだ。
まあオープニングを観る限りでは、いずれニャミーもリリアンと共に(ひょっとしたらリリアンの影響で)「殴らない」プリキュアになりそうなので、そこは安心である。