葉織る。

言葉の中にそれを紡ぎ織った人が見えても、それは虚像かもしれない。

その拳(爪?)をどう収めるのか。

2024-04-28 09:48:10 | 雑感

 以前にこんな記事を書いた。

 「わんだふるプリキュア」に興味は持ちつつも、実は毎週視聴しているわけではないのだが、時々番組表でタイトルをチェックしていて、先日「キュアニャミー」というワードを見つけたので、ちょっと久し振りに録画して観た。

 …おお、キュアニャミーは殴るし蹴るのか。流石だ。

 いや、「やっぱりプリキュアはパンチとキックがなければ物足りない」というわけではない。
 ワンダフルとフレンディのような「殴らない」スタイルだけでは、今までのプリキュアの「否定」と捉えられないかと懸念していたのだ。

 たとえ「女の子だって暴れたい」のだとしても、暴れる=殴る蹴るである必要は無い。
 そもそも暴れたいというのは存外二次的な願望・欲求であって、その根底には「自由になりたい」という思いがあるのではないか。

 プリキュアだからって、肉弾戦をやらなければ「いけない」、「相容れないものはシバキ倒すしかない」と強要されるなら、こんな不自由なハナシは無い。

 今までのプリキュアの否定ではなく、ワンダフルとフレンディのスタイルをよりクッキリと際立たせ、プリキュアをより自由にするために、キュアニャミーはパンチとキックを繰り出し、爪を揮っているのだ。

 まあオープニングを観る限りでは、いずれニャミーもリリアンと共に(ひょっとしたらリリアンの影響で)「殴らない」プリキュアになりそうなので、そこは安心である。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「おいしい給食」の甘利田先... | トップ | 連休中にピンチ。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

雑感」カテゴリの最新記事