11月30日の夜にオンエアされた「ズームバック×オチアイ SDGsスペシャル」を観た。
私はこの番組で「SDGsが実現したからといって、フラットな世界になるわけではない。例えばお金持ちはやっぱりお金持ちで、格差は残る(かなり簡略化したが、概ねこんな感じ)」と言っていたのを聞いて、意外というよりは、納得というかスッキリしたのである。
ところで。
ブラジリアン柔術という格闘技がある。
この格闘技が世に知られたのは、何と言ってもホイス・グレイシーの活躍に依るところが大きいであろう。
打撃技と組み技の両方が認められたUFCで、一流の格闘家を家伝の?グレイシー柔術で倒していくホイス・グレイシーを見て、「グレイシー柔術こそが最強の格闘技で、UFCはそれを決める場所」だと思った人は少なくないと思う。
だが。
何年かすると、ホイス・グレイシーも負けるようになってきたのだ。
ホイス・グレイシーが研究された、というのもあるが、それ以上に「MMAで有効な戦い方」が広く認知されてきた、というのが大きい。
ブラジリアンもしくはグレイシー柔術は最強の格闘技ではないし、UFCはMMAというルールに沿って戦う場だということだ。
さて。
SDGsについて語る人達を見て、時々違和感を感じることがある。
恐らくその違和感は、「SDGsを実現させなければいけない」と思いつつも、本音では「無理なんじゃないか」と考えている人の言葉を聞いた時に感じているような気がするのだ。
まあ気持ちは分からぬでもない。
ちなみにアユ君に「SDGsって可能だと思うか?」と訊いたら、「無理」と即答されてしまったし。
でもねえ。
ブラジリアン柔術が「最強」ではないのと同じように、SDGsも「実現不可能な理想」ではないのだ。
UFCがMMAというルールに沿って戦う場であるのと同じように、SDGsが実現した社会というのは、そういうルールに沿って運営される社会だということだ。
SDGsが無理だと思っている人は、そのためには人間そのものが変わらなければならないと思っているのかもしれないが、そんなことはない。
SDGsは、いわばゲームのルールであって、実現しても人間の本質が変わるわけではないのだ。
となると後は、そのゲームが無理ゲーにならず、なるべく楽しくプレイ出来るようにバランスを調整すれば良いのだから、案外何とかなるのではなかろうか。
というか、国や企業によってはとっくにそのつもりでいて、出来ないフリをしているだけだったりして。
テスト前に「全然勉強してない」とか言ってアドバンテージを得ようとするような感じで。
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