例えば雑誌をパラパラとめくっていても、星占いのページが目に留まることは無くなった。
無くなった、というのは二十歳前後までは気になっていたからだ。
血液型占いも、その頃までは何となく引っ掛かっていたと思う。
だが鍼灸を学び始めた二十代後半の頃には、そういう気持ちは無くなっていた。
八卦などは鍼灸とも関わりが深いのだが、五行も含めて思考パターンの一種だと考えていた。
三十代の頃に、ちょっとだけタロットに興味が湧いたが、これも占いというよりは感情を整理する技法の一種と捉えていた。
いや、占いの本質というのはつまり、そういう「自分の気持ちを明らかにする」ための手順なのかもしれないのだが、結局タロットへの興味もすぐに失せてしまったのだから、やはり私は占いというシステムには不向きなのだ。
では私はどこまでも論理的に、科学的にモノを考える人間なのだろうか?
ところでこの半月ほど、お天気は崩れがちで、雨が降ったり止んだりする日が多かった。
だが天気予報を確認して、用心のために傘を持って出かけた日は、見事に傘の出番が無かったのだ。
どうやらカミさんもそう感じたらしく、「おとーさんが傘を持っていった日は降らないねえ」と言われてしまった。
問題?なのは、その言葉を聞いた私が「そうかもしれない」と思ったことだ。
「晴れ男」なんて全く占いか呪いの世界の話ではないか。
大体私のキャラと違うし。
単に「降ると思って傘を持ったから、降ることをそれなりに期待していたのに降らなかったので、強く印象に残った」という、その印象が長年堆積して「傘をもっていくと降らない」ような気がしただけではないのか。
まだまだ私にも、根拠の無い話を「ついうっかり」信じてしまう隙があるのだ。
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