goo blog サービス終了のお知らせ 

葉織る。

言葉の中にそれを紡ぎ織った人が見えても、それは虚像かもしれない。

占いの類いは信じていないという思い込み。

2022-05-01 10:15:21 | 雑感

 例えば雑誌をパラパラとめくっていても、星占いのページが目に留まることは無くなった。
 無くなった、というのは二十歳前後までは気になっていたからだ。
 血液型占いも、その頃までは何となく引っ掛かっていたと思う。

 だが鍼灸を学び始めた二十代後半の頃には、そういう気持ちは無くなっていた。
 八卦などは鍼灸とも関わりが深いのだが、五行も含めて思考パターンの一種だと考えていた。
 三十代の頃に、ちょっとだけタロットに興味が湧いたが、これも占いというよりは感情を整理する技法の一種と捉えていた。
 いや、占いの本質というのはつまり、そういう「自分の気持ちを明らかにする」ための手順なのかもしれないのだが、結局タロットへの興味もすぐに失せてしまったのだから、やはり私は占いというシステムには不向きなのだ。
 では私はどこまでも論理的に、科学的にモノを考える人間なのだろうか?

 ところでこの半月ほど、お天気は崩れがちで、雨が降ったり止んだりする日が多かった。
 だが天気予報を確認して、用心のために傘を持って出かけた日は、見事に傘の出番が無かったのだ。
 どうやらカミさんもそう感じたらしく、「おとーさんが傘を持っていった日は降らないねえ」と言われてしまった。

 問題?なのは、その言葉を聞いた私が「そうかもしれない」と思ったことだ。
 「晴れ男」なんて全く占いか呪いの世界の話ではないか。
 大体私のキャラと違うし。
 単に「降ると思って傘を持ったから、降ることをそれなりに期待していたのに降らなかったので、強く印象に残った」という、その印象が長年堆積して「傘をもっていくと降らない」ような気がしただけではないのか。

 まだまだ私にも、根拠の無い話を「ついうっかり」信じてしまう隙があるのだ。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 視点が変わったか。 | トップ | 脳と行動と意志と習慣がグル... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。

雑感」カテゴリの最新記事