標高は1,672m。
飛騨と信州の国境にある峠。
明治,大正の時代に多くの飛騨の若い女性がこの峠を越えて
長野県の製糸工場へ糸引きに向かった。
野麦峠は「女工哀史の峠」として全国的に知られています。
「厳しい峠越えにより命を落とす者が多いことから小屋を建て
番人を置き、峠越えをする者を救いたい」という願いを幕府が
聞き入れ、天保12年(1841年)に建てられた。
雪の野麦峠を越えた工女たちが身体を休めたのもこの小屋。
小屋の支配人が夕食後話してくれた。
近くの野麦峠の館でみた、当時の時代背景を映した旅姿の
少女たちの像があどけなくて哀しげだった。
今宵の宿として通された部屋は質素な作りの広い部屋。
ストーブや電気毛布、重ね用の毛布が用意されていた。
パソコンはもちろんテレビもない、携帯電話は圏外。
少女たちと同じ世代を共に小さい地域で過ごした昔の
子供は 遅くまで懐かしい思い出話が尽きない。
枕投げはしなかったけど・・・・。
写真は夕方近くの旧街道を散策したときに眺めた乗鞍方面
飛騨と信州の国境にある峠。
明治,大正の時代に多くの飛騨の若い女性がこの峠を越えて
長野県の製糸工場へ糸引きに向かった。
野麦峠は「女工哀史の峠」として全国的に知られています。
「厳しい峠越えにより命を落とす者が多いことから小屋を建て
番人を置き、峠越えをする者を救いたい」という願いを幕府が
聞き入れ、天保12年(1841年)に建てられた。
雪の野麦峠を越えた工女たちが身体を休めたのもこの小屋。
小屋の支配人が夕食後話してくれた。
近くの野麦峠の館でみた、当時の時代背景を映した旅姿の
少女たちの像があどけなくて哀しげだった。
今宵の宿として通された部屋は質素な作りの広い部屋。
ストーブや電気毛布、重ね用の毛布が用意されていた。
パソコンはもちろんテレビもない、携帯電話は圏外。
少女たちと同じ世代を共に小さい地域で過ごした昔の
子供は 遅くまで懐かしい思い出話が尽きない。
枕投げはしなかったけど・・・・。
写真は夕方近くの旧街道を散策したときに眺めた乗鞍方面
何か私も旅させていただいてる気分になります。
このあたりからだと(長野県側から見て)右に乗鞍、左に御岳、趣の異なる二種の御山が眺めらて素晴らしいですね。
仰せつかりました(^_^;)
兎角時の流れと共に忘却・・・と云うこともありますので(^.^)
流石 仙人様
自然界全て受け入れて、山々についても詳しいですね~~
詳しいというか、『好き』なんです。
住んだこともないのに、長野県の温泉は30箇所近くも入っていますし...
それと、けっこう戦国時代を題材にした歴史小説が好きで、特に真田一族には憧れています。
その他書ききれない理由がたくさんあって、信州には特別な思い入れがあるんです。
有りますね(^_-)
今回の道行きでも話題になりました。
懐かしい想い出を・・・
残念ながらお披露目できませんが。
人それぞれ思い入れが沢山有ります。
信州は訳もなくゆっくりとそれを懐古させて
くれる場所なんですね。
私も高原草原・・・・フゥ~~です。