今日の青空はなんて美しいんだ。
とうとう答えをみつけたのかもしれない
頭がくらくらする
と同時に、私の身の回りにあるすべての存在に
こんにちは!ありがとう!と言いたい。
変な宗教にはまったのではない。
羽生君のSEIMEIを見た時に
彼の周りに神羅万象の気配が渦巻くような気を感じた。
そんなようなすべての存在に
ありがとうと言いたい。
やっと自分の存在の意味に対して自分の納得のいく答えを
昨日、見つけた
おめでとう
わたし
今年の秋に受けたとある講習のテキストに
「夜と霧」の作者 ヴィクトール・フランクル(1905~1997)の言葉が載っていた。
それを見返した時に、ふと彼のことを調べてみようと思った
「夜と霧」のタイトルだけは知っていたけど、本を読んだことは無かった。
調べてみると彼はロゴセラピーというものを作り出した人だということが分かった。
彼の名言
ヴィクトール・フランクルの名言集
「そもそも、我々が人生の意味を問うてはいけません。
我々は人生に問われている立場であり、
我々が人生の答えを出さなければならないのです。」
「祝福しなさい。その運命を。
信じなさい。その意味を。」
「どのような状況になろうとも、人間にはひとつだけ
自由が残されている。それは、どう行動するかだ。」
「私たちは、人生の闘いだけは決して放棄してはいけない。」
「幸せは、目標ではないし、目標であってもならない。
そもそも目標であることもできません。
幸せとは、結果にすぎないのです。」
「涙を恥じることはありません。
その涙は、苦しむ勇気を持っていることの証なのですから。」
「人間は緊張のない状態など本当は求めてはいない。
心の底では目標に向かって苦闘する日々を望んでいるのだ。」
ううう。すごすぎる。
すべてのことに意味がある。
その意味を考えろ!
すべては必然、というけど。
意味がないなどと勝手に決めてつけて否定するのは
目の前にある現実すべてを、そんなものはない、存在しないのだ、と思いこもうとするのと同じ。
私は自分というものが無いようにずっと思っていたし
今までの人生も流されてきただけのように思うことがあったけど
違った。
自分はすでに存在してるのだ。
人生も一日一日を自分で選んで生きている。
生まれてくるときに、実は魂の次元で、生まれる場所を自分で選んでいるらしい。
自分で学ぶべき課題と道筋、計画書を決めて
ヘルプしてくれる存在にも協力してもらって
課題をクリアできることを目標に、生まれてくるらしい。
私はそのことを書いた本を読んだときになんとなく納得した。
納得しない人もいるだろうし、それは人それぞれだ。
2週間くらい前に私は誕生日を迎えた。
51歳になった。
50歳のわたしはかなりしんどかった。
春に原因不明の高熱が2週間も続き
熱が下がるとこんどは眼が変になった。
突然すべてのものが2重にダブってみえるようになった。
それは
精神病院から退院して、実家から東京に帰る車から見た景色が2重に見えたとき、以来だった。
そう。その時も物が二つに見えた。
それが数週間続きて、やっと、焦点が合うようになって
分裂していた風景はひとつになった。
そして、焦点があってから
風景のすべてが異常に美しく見えるようになった。
それも変だった。もうすぐ死ぬのかな、なんて思った。
今になって数年前に壊れたこと
一過性精神病障害で精神病院の入院したこと。
そして治ったこと。断薬したこと。
時間がかかったけど、少しづつ社会復帰したこと。
そして完全復活したこと
それらすべてがつながり始めたような気がする
それだけではなく
私のこの50年の意味が
ようやくつながり始めたのだ
主人はフィッシュストーリーという映画が好きで
最近、その映画のようなことを感じるという。
私が2回離婚して
3回結婚したこと
機種変婚、なんて言葉があるらしいけど
私の場合、ちょっとピンとこない。
1回目の結婚生活も
2回目の結婚生活も
私なりに精一杯やってきた
一回目の結婚では
息子を授かった。たった一人の息子だ。私は彼にどれだけ助けてもらったか。
息子、わたしのところに来てくれてありがとう。
この世界に生まれてきてくれてありがとう。
私の息子として生まれたことできっとかなりの苦労をかけてしまった。
ずっと申し訳ないきもちでいっぱいだったけど
今はそうは思わない
彼だから来てくれたのだ、と思える。
一番目のだんな。
よく考えると、彼の家庭も機能不全家族か。
彼の母親の実家は、いわゆるごみ屋敷の一歩手前だった。
わたしは新婚早々毎日、姑の父親から家族の愚痴を延々ときかされる羽目に合う。
姑の父親はかつては経営者だったが倒産したのだ。
その後、お嬢様育ちだった姑は倒産を機に日常生活を犠牲にしてお金を貯め始め、
明らかに不要な安価商品を山のように買ってきてごみ袋に入れて積み上げるのだ。
・・・・・・・・。
一番目の旦那と私は自営でお店をやった。
まだ二人とも20代後半だった。
お店の経営で経理に必要なので簿記を習いに行って
帳簿をつけることや確定申告をすることを身に着けた
原価管理、経営数値管理、人の雇用に関する事務処理も。
あとは店づくり、メニュー構成、
あの時、学んだことは後々非常に役にたつこととなったけれど
夫婦で同じ仕事をした結果、喧嘩ばかりになってしまった。
その間に、弟がバイクの単独事故の結果、脳死状態になり死亡。
弟を亡くした喪失感と日々の暮らしの疲労感
だけど、一番目のダンナにしたら弟を亡くして落ち込み続ける私のことが重荷になり
やがて気持ちは別の女性に。
そして離婚。
一番目のダンナは
今は福祉の仕事をしながらずっと音楽を続けてる。
私との離婚のきっかけになった2番目の奥さんや彼女との間に生まれた子供たちとも別れて
いまは違う女性とその息子さんと、いるらしい。
彼もバツ2だ。
2番目のダンナ
彼は私と結婚する前に一回離婚していたから、私と別れて、彼もバツ2。
だけど彼は私との離婚のきっかけになった女性と再再婚して、いまは静かに平穏に暮らしている。
彼との結婚生活での目玉は介護かな。
彼の母親は65歳で早くもアルツハイマー認知症になってしまった。
引き取って同居してデイサービスを受けながらも数か月で限界に。
なんとかぎりぎりの状況でグループホームへの入居にこぎつけた。
その間に借地権の手続きをして、
結局、借地権の件を片付けて、私の任務は終了したのだ。
彼とも女性問題が原因で離婚。
彼が浮気した背景には、認知症の実母がいる家に帰りたくなかったことが原因。
私も彼も、仕事をしながらの介護で本当に疲弊していた。
彼と離婚して数か月でいまの主人と出会った。
私のこころは全然休養も回復もしていなかったのに。
そして
2番目の旦那と別れた後のこころの疲れと
3番目の旦那の仕事環境と彼の性格に振り回された結果
私はとうとう壊れることになる。
今になって、気づく。
私も彼をふりまわしたかもしれないけれど
彼も私をふりまわしていた。
彼も機能不全家族で育った、守られないで育って少年だ。
三番目のいまのダンナ。彼は私との結婚が初婚。
彼ともいつまで一緒にいるのかはわからない。
三人とも、どこか欠けた人たちだ。
1番目のダンナは今の自由な暮らしが多分一番合ってる。
2番目のダンナは三回目の結婚である意味、一番落ち着いた。
きっといろいろなことを私と二人で片付けられたからだと思う。
ある意味、彼には一番、助力したと思う。
そして彼自身、成長したのだと思う。
今は彼に対しては十分にやり遂げた感がある。
3番目の今のダンナは一番、落ち着いていない。
彼だけは自分の血のつながった子供はいない。
47歳まで独身でいた男だ。
それまで自分の家族を持とうともしなかった男だ。
いまはその理由もわかる。
彼の妹さんと上野で初めて二人で飲んで話した時に
わたしは初めて彼ら兄妹が子供時代にどんな家庭環境で育ってきたかを知った。
納得した。
妹さんは、成人してからも家族の負の面を背負い続けていたのだ。
兄貴は彼女のおかげで自由に生きてこれたのだ
みんな何かを背負って生きている
何のために?
その背負ってる何かを見つけるためなのだ
自分で。
誰も教えられない。自分自身でつかみ取るために
生き抜く
ロゴセラピーについて書いてあることをネットでちらっと見たら
書いてあった
『精神は罹患しない。脳が罹患するのだ』と。
精神病とは脳疾患なのか?
脳の機能障害?
心や精神、感情には形はないよね。
私が治るきっかけになった薬、インベガについて調べる。
『インヴェガはセロトニン-ドーパミン拮抗薬(SDA:Serotonin Dopamine Antagonist)という種類に属します。
SDAはセロトニン2A受容体とドーパミン2受容体をブロックするはたらきに特に優れ、その他の受容体にはあまり作用しないお薬です。
統合失調症はドーパミンの過剰分泌が原因の一つだと考えられているため、ドーパミンを遮断してくれるインヴェガは効率よく統合
失調症の症状を抑えてくれます。』
せせらぎメンタルクリニックより抜粋
そなんだ。
私は幻覚幻聴の世界にいたが、インヴェガを飲み始めてから現実世界に戻れた。
精神やこころとは関係ないよね。
脳じゃん。
ここであえて言います!
一過性精神病障害について、ネットで検索しても相変わらず情報量は少ないです。
私が発症したのは2011年、今から4年前ですが。
私は治りました。
入院2か月弱。それから徐々に減薬して、まったく薬を飲まなくなり現在に至ります。
あのまま薬漬けになっていたら今の私はいません。
実際、私が隔離を出たあとに同室になった統合失調症の女性はとある精神病院に入院していた10数年をふりかえって言いました。
まったくの無駄に過ごしてしまった、と。
彼女は私が入院していた病院に来てから、かなり良くなったのだと言っていました。
なぜこの病院にきたの?と聞くと、病院から退院して家にいたけど
誰かに追われてると思い込んで逃げ回っていて保護された、それでここの病院の運ばれたのだ、と。
「今はもう幻聴の聞こえないし、幻覚も見えない」とほほ笑んでいました。
今はこうやって思い浮かぶことをとにかく何の脈絡もなく書きなぐっていますが
後々にはちゃんとまとめたいと思っています。
このブログはメモがわりです。
いまもきっとどこかに向精神薬の減薬しながら日々、立ち向かっている人がいると思います。
負けないでください。
応援します。
さっき、ちらっと向精神薬の副作用について調べたら、厳しい内容もありました。
「10代から思春期から抗うつ薬を飲み続けた場合の脳への影響」
向精神薬の危険性をもっと調べてみようと思います。
--------------------------------------------------------------
最近の「試練と整理」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事