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今、自分が出来ること。やれること。それを精一杯やっていかなくちゃ!!

コラム備忘録【8/14】

2020年08月15日 07時25分28秒 | マリーンズ2020
≪2020/8/14≫

2005年伝説の日本一のロッテは
「今では当たり前」の野球の先駆者だった


 今から15年前、ボビー・バレンタイン監督体制2年目のシーズン。ロッテは前年のリーグ4位から一気に日本一へと駆け上がった。先発ローテーションの6人全員が2ケタ勝利をマークし、若手、中堅、ベテランが融合した打線は超強力で”マリンガン打線”の異名をとった。そしてなによりチームの屋台骨を支えたのが、薮田安彦、藤田宗一、小林雅英の3人で形成した勝利の方程式”YFK”だ。今回、今でも親交が続いている藤田、小林の両氏に、史上最強と言われる2005年のロッテについて語ってもらった。

小林 あの年はどんなチームが相手でも負ける気がしなかった。とにかく打者が打つから、投手陣は3、4点で抑えたら勝てるという気持ち的な部分で楽だった。2005年の前年に0.5ゲーム差でプレーオフ進出を逃して、悔しい思いを経験した。あれはチームが変わるターニングポイントになった。とくに自分が打たれて、最後の最後に3位から転落して……。だから2005年は前年の反省があり、チーム全員がキャンプから「今年は絶対にやってやる」という思いでシーズンに入っていた。

藤田 2004年は8月まで日本ハムに4.5ゲーム差をつけていたのに、最終的に逆転されて。最終戦が終わり、バックスクリーンに映し出された日本ハムの試合を祈るように見ていたのは今でも覚えている。

小林 あの悔しさは今でも忘れられない。

藤田 2005年は開幕ダッシュを決めて、自分自身体が軽くて、ボールもキレキレ。連投しても平気で、体が思うように動いていた。じつはあのシーズン、45試合しか投げていなくて、それが大きかったのかなと。それまでは(1シーズン)ほぼ60試合くらい登板していたから……そう考えると、ボビー(バレンタイン監督)が役割をはっきり分けて投手起用していたよな。

小林 自分もその年の登板は46試合でしたからね。NPB全体でもあのシーズンくらいからかな、うしろの3枚を固定してリリーフ陣を回すという概念が浸透しはじめたのは。7回が藤田さん、8回が薮ちゃん(薮田安彦)、9回が自分。”YFK”と呼ばれる勝利の方程式が完成した。

藤田 阪神も”JFK(ジェフ・ウィリアムス、藤川球児、久保田智之)”がいたように、うしろ3枚がしっかりしているチームは強かった。

小林 (渡辺)俊介や(小林)宏之なんかと話しをしても「6回まで試合を壊さなければ勝てる」と言っていましたからね。先発陣も初回から飛ばせたし、コミさん(小宮山悟)や高木(晃次)さんがロングリリーフとして控えてくれていたのは本当に心強かった。先発陣も「コミさん、高木さんに早い回からお世話になるわけにはいかない」という思いもあっただろうしね(笑)。

藤田 あの年は先発ローテーションの6人(渡辺俊介、清水直行、小林宏之、セラフィニ、久保康友、小野晋吾)が全員2ケタ勝利。すごい記録だよね。オールスターにも10人が選出された。そら強いわ(笑)。

小林 とにかく勢いがすごかった。

藤田 当時の投手陣は、年に2回は全員が集まって食事をするなど仲がよかった。ジョニー(黒木知宏)が盛り上げ役で、コミさんなんてお酒飲まないのについてきてくれて。

小林 いま振り返ると、ボビーの野球はデータ最重要視で戸惑う部分もあったけど、今では当たり前に行なわれていることだからね。

藤田 でも、当時は慣れないことばかりだったよな。

小林 勝負どころで、藤田さんが右バッター相手に続投したり、右左関係なく代打が出たり。とくに野手は大変だったと思いますよ。守備シフトやランナーの動かし方とか、細かい注文も多かったので。

藤田 それでも勝っちゃうからね。今のラミレス監督(DeNA)がやっている野球なんかは、当時のボビーに近いものがある。ボビーは選手によって合う、合わないがはっきり分かれる監督だったけど、チームを勝たせることで信頼されていった。

小林 最初は戸惑ったけど、やっていくうちに慣れてくるというか、それが当たり前になってくる。

藤田 自分が覚えているのは、守備シフトかな。当時のパ・リーグはガッツ(日本ハム・小笠原道大)やタフィ・ローズ(オリックス)、松中(信彦/ダイエー)といった左の強打者が多くて、彼らには三遊間を大きく空けて一二塁間に人を集めるという極端なシフトを敷いた。面白かったのは、外国人選手はどれだけシフトを続けても自分のバッティングを変えなかったけど、日本人選手は空いたところを狙ってきたり……。結果的にシフトが裏目に出たこともあって、自分としては「抑えているのに」と複雑な思いをしたこともある(笑)。それでも自分たちのやることは変わらなかったけどね。

小林 藤田さんや自分とかは、はっきりと役割が決まっていたので「自分の仕事をするだけ」みたいな雰囲気がありましたよね。

藤田 打線が頼もしかったから、細かいことを考える必要がなかった。点を取られたとしても、最少失点に抑えたら逆転してくれると。

小林 プレーオフでも、(松坂)大輔や西口(文也)さんが来ようと、うちの打線なら打つと思っていた。正直、どこが相手でも怖くなかった。(今江)敏晃、(西岡)剛というイケイケの若手がいて、サブロー、福浦(和也)、(小坂)誠といった中堅がチームを引っ張る。そこに掘(幸一)さんや初芝(清)さんといったベテランも控えていて、バランスがよかった。

藤田 若手がのびのびプレーできる土壌があったよな。

小林 あえて投手目線でいえば、キャッチャーはまだまだ経験不足だったけど(笑)。サト(里崎智也)もタスク(橋本将)も、リード面に関してはまだまだで。だから、僕とか藤田さんは自分でサインを出していましたよね。伸び盛りの捕手に責任を追わせたくないというのもあったし、なにより打たれた時に後悔したくなかった。

藤田 たしかに。サトもタスクも、若手投手とはうまくコミュニケーションとっていたけどね(笑)。あの年はうちもよかったけど、ソフトバンクも強かった。貯金が40を超えるチームなんてほとんどないわけで。思い出すのがシーズン山場の9月のソフトバンク4連戦。

小林 初戦は負けたけど、そこから3連勝できたのは大きかった。当時のプレーオフのルールでは、1位のチームに4.5ゲーム差以上離されると1勝のアドバンテージが与えられる。

藤田 とにかく、絶対に4.5ゲーム差以上離されたくなかったので、ここが正念場だと思っていた。

小林 あそこで3つ勝てたことで、プレーオフでもソフトバンクを恐れる必要がないと、チームに一体感が生まれた。「普通にやればオレたちが負けるわけはない」と。

藤田 自信満々でプレーオフに臨んだよな。

小林 第1ステージで西武に連勝して、第2ステージでも2連勝してノリノリ状態。絶対優勝できると思っていて、そのとおりに事が運んでいた。ただ、そこから連敗してタイになった時に、「ここからは締めてかからないと」という雰囲気になった。イケイケムードだったのが、タイになったことでチームに”喝”が入った。アウェーで、勢いはソフトバンクにあるはずなのに、5戦目は負けるとはいっさい思っていなかった。それほど、あの年は”強いロッテ”だったし、自信を持っていた。

藤田 あれほどすべてが揃っていたチームは、自分の野球人生でほかになかった。プレーオフはスコア的には接戦だったけど、余裕を持ちながら戦えた。日本シリーズは、プレーオフ以上に余裕があったよな。

小林 阪神もうちと似たタイプのチームだったけど、打線も投手陣もうちに分があると見ていた。

藤田 ちょうどあの年から交流戦がスタートしたんだけど、セ・リーグの実力はなんとなくわかっていた。少なくとも、ガッツや松中のようにインコースの球を強振してホームランにできる打者は、セ・リーグにはほとんどいなかった。普段からパ・リーグの強打者相手に投げている自分が打たれるわけにはいかないと。だから、阪神との日本シリーズは球威さえあれば、多少コースは甘くなっても抑えられると思って投げていた。

小林 自分は最終回を任される重責もあって、緊張していました。それでも、日本シリーズでは勢いのあるボールなら打たれないだろうと、割り切っていましたね。結果的に4連勝で、本拠地での胴上げは果たせなかったけど、日本一になれた。

藤田 あの優勝で本当に千葉のファンの温かさを感じた。

小林 30年以上も優勝から遠ざかっていたわけで、シーズン中から期待は伝わっていたし、リリーフカーでマウンドに向かう時の声援はものすごいものがあった。その後、ほかのチームを渡り歩いたけど、ロッテほどファンから愛されるチームはない。

藤田 当時は今のようにメディアに取り上げられることもなかったし、人気もなかった(笑)。ファンとの距離も近く、自分たちも支えてくれる方のためになんとしても結果で応えたかった。2005年のシーズンを経験したというのは、本当に大きかった。

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小林雅英と藤田宗一のリリーフ論。
守護神と鉄腕が語る育成のポイント


 日米通算234セーブを挙げ、絶対的守護神として君臨したロッテ時代に”幕張の防波堤”の異名をとった小林雅英と、実働13年で600試合に登板した”鉄腕”藤田宗一による対談。前編ではロッテ31年ぶりの日本一を達成した2005年シーズンを回顧してもらったが、後編では現代のリリーフ論について熱く語ってもらった。

小林 今シーズンはどのチームもうしろ3枚の固定に苦しんでいる印象がある。とくにセ・リーグは、ほとんどのチームがシーズン序盤でクローザーが交代する非常事態。今の日本人投手だと、山﨑康晃(DeNA)が長くクローザーのポジションにいたけど、今シーズン途中で配置転換された。

藤田 勤続疲労があるとは思うけど、ひと昔前のように同じポジションをずっと任せられるレベルの投手が少ない。

小林 理由は何なんでしょうね?

藤田 コントロールがアバウトな投手が増えた気がする。それに尽きるかな。150キロを超すボールを投げる投手は増えたし、変化球のキレも悪くない。ただ、数字に表われないキレや配球、コントロールに課題があるからピッチングにムラが出てしまう。たとえば、どの球種でもしっかり内、外に出し入れできるピッチャーが本当に少なくなった。ここ3、4年で相対的なレベルが落ちているように感じることもある。

小林 単純にスピードだけを追い求めるなら、そこまで難しくはない。ただ、その球をどんな質で、どのコースに投げられるかという意図を持った投球ができていない。

藤田 コーチをしていて、そう感じることはあった?

小林 ありました。あとは精神面です。今の選手はおとなしいというか、確たる自己を持たないといけないところで、自分の主張を通せない子が多い。ときには、コーチの言うことを聞き流すくらいの姿勢はあってもいいと思うんです。

藤田 見ていて、自信なさそうに投げている投手が多い印象もある。

小林 これはベンチにも責任があると思うのですが、見切りが早く、何試合か失敗するとすぐにポジションを変えてしまう。とくにクローザーというポジションは我慢して使っていかないと育たない。そういう使われ方をされる選手もかわいそうですよね。

藤田 クローザーというのは、簡単に動かしていいポジションじゃない。仮に状態が悪くても、下(二軍)で調整させて復調したらまた同じポジションに戻す。もしセットアッパーとクローザーを代えるなら、しっかりと説明すべきだと思う。なんの説明もないと、選手だって不安になるし、モチベーションも上がらない。

小林 クローザーを任される投手は、絶対にポジションを守るんだという気概を見せてほしい。顔色ひとつ変えず、冷静に投げることも大事かもしれないけど、もっと感情を出して相手を威圧するような資質も必要だと思うんです。そういう意味で、藤嶋健人(中日)なんかは好きなタイプ。

藤田 どのあたりがいい?

小林 投げっぷりがいいし、打者を見下ろすような表情がいい。いい意味で、昭和の匂いがする投手です。

藤田 その一方で、僕らの時代では考えられないようなスピードボールを投げる選手も出てきた。

小林 西武の平良(海馬)はまさにその筆頭で、投げるボールはエグい。ああいうパワーピッチャーが出てくるのがパ・リーグの面白いところで、打者もそのボールに合わせてフルスイングしてくる。そういう真っ向勝負できる環境があるから、平良のような投手も育ってくる。

藤田 左だと、日本ハムの宮西(尚生)は毎シーズン安定していて、本当にすばらしい投手だと思う。ああいう左投手がいると、ベンチは本当にラクだと思う。以前、ある選手が「宮西のボールはベースの外から入ってくるから踏み込めない」と言っていたけど、それは投手にとって生命線だと思う。

小林 宮西はストレートの球速自体はそれほど速くないけど、ベース付近で勢いがあるというか、キレがすごい。

藤田 あとはソフトバンクの嘉弥真(新也)。左のサイドからあれだけ球威のあるボールを投げられると、左打者は打てないでしょう。変化球の曲がりもいいし、自分の現役の時よりも絶対にいいボールを投げている(笑)。

小林 今のロッテに欠けているのがまさに左投手で、西武なんかも同じことが言える。とくにパ・リーグは左の強打者が多いので、勝ち試合で使える左投手がいるチームは絶対有利だと思う。

藤田 ロッテはほかにも足りない部分があるような気がするけど(笑)。

小林 なかでも二木(康太)は、もっと頑張ってほしい投手です。今シーズンはローテーションの柱として期待されたなかで、2試合打たれてファーム落ち。期待が大きい分「何をやってるんだ」と言いたい。持っているものは本当にすごいので、あとは自覚を持つことだと思います。これからは先発陣の踏ん張りが重要になってくるので、なんとか這い上がってきてほしい。

藤田 自分は成田(翔)に期待している。今のチームである程度計算できる左投手は松永(昂大)ぐらい。これではシーズンを戦ううえでかなり厳しい。今シーズン、成田はスリークォーター気味にフォームを変更し、化けそうな雰囲気がある。もともと持っている素質はいい。成田あたりが結果を残せるようになると、投手陣が活性化されて、上位と戦えるチームになると思う。

小林 本当に上位を狙っていくには、チームの雰囲気が変わらないといけないと思う。2005年の時は、若手は「やってやるぞ」とガツガツしていたし、主軸となるべき選手も自覚を持ってチームをけん引していた。いい意味で、チームに緊張があった。でも、まとまる時はグッとまとまるみたいな。時代が変わり、環境も違うので一概には言えないけど。

藤田 本当にそう思う。ロッテに限らずだけど、どこも仲良しクラブのような雰囲気があって、勝負に徹しきれていない。仲がいいのは大事なことだけど、プロである以上、言い方は悪いけど相手を蹴落としてでも……というような競争がないと、チームは強くならない。競争させながら若手を育てていかないと。

小林 ソフトバンク、楽天、西武と強い球団はあるけど、そういう流れができてくれば、素材的に面白い選手はいっぱいいるからチームは化けるかもしれない。

藤田 強いロッテを復活させてほしいね。

栗田シメイ●文


プロフィール

藤田宗一(ふじた・そういち)
1972年、京都府生まれ。島原中央高から西濃運輸に進み、1997年のドラフトでロッテから3位指名を受け入団。1年目から56試合に登板するなど、中継ぎのスペシャリストとして活躍。2006年には第1回WBCの日本代表に選出され、世界一を経験。その後、巨人、ソフトバンクでもプレーし、2012年にはBCリーグの群馬ダイヤモンドペガサスで選手兼コーチとして入団。同年限りで現役を引退。引退後は焼肉屋オーナーになるが、2018年より解説者に。現在はケニアの野球発展のために現地で指導も行っている。 https://tennis365.en-jine.com/projects/kenyabaseballproject

小林雅英(こばやし・まさひで)
1974年、山梨県生まれ。都留高から日本体育大、東京ガスを経て、1998年のドラフトでロッテから1位指名を受け入団。1年目は先発としても起用され、46試合の登板で5勝をマーク。3年目の2001年からクローザーとなり、2007年まで毎年20セーブ以上を挙げるなど活躍。「幕張の防波堤」の異名をとった。2008年からMLBのクリーブランド・インディアンスに移籍。おもに中継ぎとして57試合に登板。翌年も残留となったが、シーズン途中に契約解除。同年オフに巨人と契約するも1年で戦力外となり、オリックスへ移籍。ここでも結果を残せず、2011年限りで現役を引退。引退後はオリックス、ロッテでコーチを務め、現在はプロ野球評論家として活躍。

(以上 Sportiva)

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