≪8/23≫
ロッテ・荻野が明かす年々打撃成績が安定してきている理由
ロッテの不動のトップバッター・荻野貴司。今季は出遅れたものの5月27日に昇格すると、ここまで打率.318(214-68)、4本塁打、18打点の成績を残す。特に7月以降は打率.341(132-45)と、開幕から不振に喘ぐ打者陣のなかで一際存在感を放つ。
ここ数年は毎年安定した成績を残す。18年にシーズン途中故障で離脱してしまったが同年の打率が.287、翌19年はプロ10年目で初めて規定打席に到達し打率.315、20年は故障による離脱があり規定打席に届かなかったものの打率.291、最多安打のタイトルを獲得した昨季は打率.296、そして今季はここまで打率.318だ。
年々数字が安定してきている要因について訊くと、荻野は「どうなんですかね〜」と悩んだ後、「自分ではあんまりわからないですけど、常に体のケアをしているので、体調の浮き沈みがちょっと少なくなっているのかなと思います」と自己分析した。
▼ 荻野の年度別打率
10年:打率.326(175-57)
11年:打率.264(91-24)
ロッテ・荻野が明かす年々打撃成績が安定してきている理由
ロッテの不動のトップバッター・荻野貴司。今季は出遅れたものの5月27日に昇格すると、ここまで打率.318(214-68)、4本塁打、18打点の成績を残す。特に7月以降は打率.341(132-45)と、開幕から不振に喘ぐ打者陣のなかで一際存在感を放つ。
ここ数年は毎年安定した成績を残す。18年にシーズン途中故障で離脱してしまったが同年の打率が.287、翌19年はプロ10年目で初めて規定打席に到達し打率.315、20年は故障による離脱があり規定打席に届かなかったものの打率.291、最多安打のタイトルを獲得した昨季は打率.296、そして今季はここまで打率.318だ。
年々数字が安定してきている要因について訊くと、荻野は「どうなんですかね〜」と悩んだ後、「自分ではあんまりわからないですけど、常に体のケアをしているので、体調の浮き沈みがちょっと少なくなっているのかなと思います」と自己分析した。
▼ 荻野の年度別打率
10年:打率.326(175-57)
11年:打率.264(91-24)
12年:打率.224(165-37)
13年:打率.275(335-92)
14年:打率.261(142-37)
15年:打率.269(279-75)
16年:打率.250(192-48)
17年:打率.264(356-94)
18年:打率.287(317-91)
19年:打率.315(508-160)
20年:打率.291(203-59)
21年:打率.296(570-169)
22年:打率.318(214-68)
通算:打率.285(3547-1011)
※成績は22年8月21日終了時点
13年:打率.275(335-92)
14年:打率.261(142-37)
15年:打率.269(279-75)
16年:打率.250(192-48)
17年:打率.264(356-94)
18年:打率.287(317-91)
19年:打率.315(508-160)
20年:打率.291(203-59)
21年:打率.296(570-169)
22年:打率.318(214-68)
通算:打率.285(3547-1011)
※成績は22年8月21日終了時点
試合前の打撃練習
新型コロナウイルスが流行する前の2019年までの荻野の試合前打撃練習(ZOZOマリンスタジアム)を見ると、左の打撃投手から打ち始め、ライト、センター、レフトと広角に打ち分け、右の打撃投手は引っ張り中心の日もあったが、基本的には広角に打っていた。
今は「両方あまり変えていないですね。でもあんまり引っ張らないようにしていますね」とのこと。
また、普段は試合前の打撃練習でも試合と同じようにバットを短く持って打っていたが、2019年のシーズン最終戦となった9月24日の西武戦に限り、左の打撃投手が投げる球だけ「気分転換」でバットを長く持って練習したことがあった。
現在も「そうですね、毎回はやっていないですけど、気分によってはやっていますね」とバットを長くもって打つこともあるという。バットを長く持って打撃練習することで、試合の入り方など何か変わることがあるのだろうかーー。
「ちょっと大きく振れるので、ちょっと小さくなったというときにはやったりしています」。
試合で結果を残すために試合前の打撃練習から工夫を凝らす荻野。そうした日々の積み重ねで、8月10日のソフトバンク戦ではプロ13年目で通算1000安打を達成した。「素直に嬉しいですけど、ここで終わりではないので、しっかり1本1本積み重ねていきたいという思いです」。30代後半に入っても進化を続ける荻野。今日もチームを勝利に導くため安打を重ねていく。
取材・文=岩下雄太
(ベースボールキング)
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≪8/23≫
<We Love Baseball>
仙台育英(宮城)が優勝し、深紅の大優勝旗が史上初めて東北にもたらされた。ロッテ佐藤都志也捕手(24)も「白河の関」に思いをはせた1人だ。
福島の浜通り、いわき市出身。ソフトボールが盛んな土地でじっくり強い肩を作り、今がある。「小さい時から県内で強いといったら聖光学院というところはあって。いつか入りたいなと」。中学時代は目立つわけでもなく、スカウティングされたわけでもなく「とりあえず聖光学院の空気を味わいたいなと思って、オープンスクールに中学校の同級生たちと一緒に行って」。そこで声を掛けられた。
見事“売り込み”に成功した同校では福島県大会夏9連覇にも貢献するなど、大きく成長した。この夏も時間さえあればテレビ観戦していた。話を聞いたのは3回戦翌日の17日。「すごいなと思ってます。優勝を経験してる3校を破るのはすごいなと思いながら見てますし。守備がすごい堅くていいなと思います」。決勝進出や東北勢初優勝は同じ東北の仙台育英に譲ったが、4強の後輩たちを誇りに感じている。
母校のグラウンドは東北新幹線のそばにある。高架下の道路は、とことん走り込みさせられたという苦い場所。仙台遠征の行き帰りには「見ますね。今日は練習してるのかな~とか見たりはしてます」と、いつも視線を送っている。
新幹線の向こう側からこっち側に来て、7年。「監督やコーチのミーティングの内容は今でもずっと覚えています。試合に入っていく中での気持ちの持ち方とか、劣勢の状態でも相手に向かっていく気持ちの部分とか」。上位から離されつつある今も目の闘志は18歳の、あの夏のままだ。【金子真仁】
(日刊)
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≪8/23≫
今年も夏の甲子園が終わった。
毎年、甲子園の熱い戦いぶりを見ていると、選手たちから聞いたエピソードが頭の中に浮かんでくる。今年は、かつて千葉ロッテマリーンズに4年間在籍していた宮崎敦次投手のことを思い出していた。
この夏、初めて決勝戦に駒を進めた山口県の下関国際高校は宮崎の母校だった。広島国際学院大学を経て、2014年ドラフト6位でマリーンズに入団した左腕。一軍では8試合に登板。18年限りで現役を引退し、現在はチームスタッフとして広島東洋カープに在籍している。
「帰宅部でいいやあ」中学時代はずっと補欠
高校時代に自宅にかかってきた1本の電話が宮崎の人生を変えた。
下関国際高校に入学した2008年4月のこと。中学校までは軟式野球の補欠一塁手。高校で野球を続けようという意志はまったくなかった。特に部活動に入るという思いも湧いてこない。学校の授業を終えて自宅に帰宅すると、電話が鳴った。
「帰宅部でいいやあという感じでした。あの電話がなかったら、その後の自分はない。本当に縁というか運命です。プロ入り後もその感謝の気持ちを忘れたことはありません」
電話の相手は、野球部の坂原秀尚監督だった。当時の野球部は甲子園常連校となった今とは違う。3年生8人、2年生が2人。新入生がやってくるこの時期、坂原監督は部員集めに奔走していた。中学時代に野球経験がある男子を探して、片っ端から電話をかけていたのだ。
そんな坂原監督の熱心な誘いに心を動かされた宮崎は、まずは軽い気持ちでグラウンドまで足を伸ばした。これまで投手としてマウンドに上がったことはなかったが、とりあえずブルペンで投げさせられた。
「今までなんで投手をしていなかったんだ? いい球じゃないか! もったいない」
気持ちを乗せられるような言葉を次々とかけられ、気がついたら入部していた。
同級生はわずかに3人。だから、試合に出る機会も多かった。中学時代までは補欠しか経験したことがなかっただけに、とにかく毎日が楽しかったという。
1年の夏、宮崎は投手や外野手としてプレーした。徳佐高校を11-1で破り、同校12年ぶりに県大会1回戦を突破したが、2回戦ではエラーやバント失敗が重なって、山口高校に0-11でコールド負けを喫した。
それまでは、ただ楽しんで野球をやっていた。しかし、3年生たちが涙する姿を目の当たりにして、その考えを悔いた。
「あの時に意識が変わった。野球をただ楽しんでやっているだけでは駄目だと。上級生が泣いている姿を見てそう思いました。自分の甘さを反省し、必死に全力で野球と向き合って、取り組んでいかないといけないと思った」
新チーム始動は5人「弱者が強者に勝つ」
新チームは上級生2人に加え、宮崎の学年が3人。野球部の存続も危ぶまれていた。新1年生が入ってくるまではたった5人での練習。それは寂しく、心細いものだったに違いない。
しかし社会人野球チーム、ワイテックにて投手経験があり、高校球児の指導に燃える坂原監督はそんな宮崎たちを励まし、常に前を向かせた。
「弱者が強者に勝つ。だから人生は面白いんだ」
監督の口癖だった。坂原監督はいつもそうやって、生徒たちに熱く語りかけていた。
野球エリートを集めた名門チームとは違い、設備もなければ、野球ボールも数えるくらい。野球をするだけでも精一杯のチーム。その中でいかに勝つかを考えて練習を繰り返した。
投手としての練習は、投げ込みよりも走り込みが中心だった。30キロ以上の土のうを背負ってのスクワットなど地道なトレーニングで下半身を強化していった。坂原監督は、体が小さい宮崎に工藤公康氏の映像を渡してフォームを参考にするように勧めたという。
そんな坂原監督に鍛えられた選手たちは、新入生が加わった夏に県ベスト8進出。最後の夏は県ベスト16で涙を飲んだが、入学当初は120キロだった宮崎のストレートは138キロにまで到達していた。
「本当に自分は高校から野球を始めたようなものです。一から教えてもらった。自分でも毎日、成長しているのが分かった。それはやりがいがあった」
宮崎が巣立ったあと、坂原監督の熱意は徐々に実を結び、部員数は飛躍的に増えていった。広島国際学院大学に進学した宮崎も、大学リーグで最優秀選手賞を受賞し、スカウトに注目される存在となった。
マリーンズにドラフト指名された時、一番に報告をしたのは坂原監督だった。
「マジか! まさか下関国際高校からプロ野球選手が先に出るとはね。次は甲子園初出場だ!」
熱血監督はそう言って心から喜んでくれた。
グラブに刻んだ監督の名前
プロ入りを控えた14年12月。プロで使用するグラブを新調した宮崎は、メーカーの担当者に刺繍で文字を刻むことを勧められた。四字熟語のような文字は思いつかなかったが、悩んだ宮崎は「坂原」と入れた。
自分を野球の世界に入れてくれた恩人のことをいつまでも忘れないために。そして野球と人生のイロハを教えてくれた恩師の名前をそこに明記することで、いつも原点を忘れないようにしたいとの思いからだった。
下関国際高校は2015年に春季県大会で初優勝を飾ると、夏の山口大会では決勝まで勝ち進んだ。そして17年に甲子園に出場を決めた。翌18年には春夏連続出場を果たし、特に100回記念大会となった夏は甲子園初勝利を挙げると、全国8強と飛躍した。そして2022年夏、全国制覇こそ逃したものの、準々決勝では優勝候補と呼ばれた大阪桐蔭高校を破るなど、見事な戦いぶりを見せた。
新入生に野球経験者はいないかと片っ端から電話をかけていたチームが、高校野球の頂点を掴みかけたというのだから、感慨深い。
「弱者が強者に勝つ醍醐味。監督がおっしゃった言葉をずっと大切にしてきた。野球エリートでもない、身長171センチの自分でも勝てる。そういう姿をプロで見せていきたい」
宮崎は入団会見でそう言って胸を張った。この年はドラフト1位中村奨吾内野手や、京都大学出身のプロ野球選手となった田中英祐投手(同2位、17年限りで現役引退)が注目を集めていたが、ドラフト6位から這い上がろうと宮崎は必死に戦った。一軍登板はわずかで、プロ初勝利も挙げられなかったが、完全燃焼してユニフォームを脱いだ。今も裏方としてプロ野球を支えている。
甲子園の中継では、涙する生徒たちに声をかける坂原監督の姿が映し出されていた。選手に寄り添う姿が印象的だった。宮崎が自身のグラブに監督の名前を入れて過ごしたように、きっとこの生徒たちも監督との強い信頼関係で結ばれているのだろう。
屈託ない笑顔を見せながら、懐かしそうに高校時代を振り返る宮崎の姿が鮮明に蘇ってきた。
梶原紀章(千葉ロッテ広報)
(Number)
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≪8/24≫
3年目の佐藤都志也、ドラ1捕手・松川虎生に驚き「凄いなと…」
ドラ1捕手の加入に、燃えないわけがなかった。ロッテの佐藤都志也捕手は、今季開幕スタメンに名を連ね、すでに出場試合数は前年を上回るなど、着実にステップを踏んでいる。昨年のドラフトでは同じ捕手の松川虎生が1位指名を受け入団。自身と同じ“打てる捕手”として期待を受けるライバルの登場に「尻に火をつけられました」と語る。
2021年10月11日のプロ野球ドラフト会議で、チームは同じポジションの高校生をドラフト1位で単独指名。自身も東洋大から2019年ドラフト2位の上位指名だったが、自分よりも上の順位。ドラフトを見ていた佐藤都は「あぁキャッチャー取ったなという感じでした」と淡々と振り返る。「当時は(松川は)高校生だしっていう。まあ、ぼちぼちかなって思っていました」。しかし、実際に松川のプレーを見て驚いた。
「先輩後輩関係なく、自分の言いたいことを言っている。どっしりしていて凄いなと感じました。まさかここまでやると正直思っていなかったです」
佐藤都も、松川も“打てる捕手”として期待され、ともに上位指名で入団。2月の練習試合から松川は早速好守でアピール。先輩として負けていられなかった。開幕マスクは松川に譲ったが、オープン戦で4割の打率を残し、一塁手として開幕戦にスタメン出場した。
「おろおろしていられないなと。尻に火をつけられました。いきなり高卒1年目で開幕スタメンっていうはなかなかできない。そういうのをやってのけている選手なので、やっぱりライバル心はすごいあります」
12球団トップの盗塁阻止率、向上の鍵は「キャッチング」
3年目を迎え、不安のあった守備にも自信がついてきた。「基礎的な守備力は去年に比べると上がってきて、ワンバウンドのサインも怖がらずに出せるようになりました」と手応えを口にする。そして、特筆すべきは盗塁阻止率。前半戦終了時点で.422と、12球団トップの数字を残した。昨年は40試合でマスクを被り.208だったが、大幅に向上している。飛躍のポイントは「キャッチング」にあった。
「自分の投げやすい位置で捕ることができているので、それがすごいバランスのいい投げ方になって、コントロールが定まるようになってきています」
昨オフは田村龍弘捕手とともに自主トレを行い「俺もそんなに肩は強くないけど、あそこ(二塁ベースの角)に投げる意識は常に持ってる。ワンバンになってもあそこに投げればチャンスはある」と助言を受けた。
これまでは足の速い走者が出塁すると、素早く投げようと焦りがあったが、思考をシンプルにした。「盗塁を刺すのはバッテリーの共同作業。投手はクイックをして、自分ができることはセカンドベースのタッチしやすい位置に投げる。これだけだなと思って、投げる早さよりも正確な送球でアウトにできれば」と、考え方を変えたことが結果に繋がっている。
今季のロッテは、先発投手によって捕手を併用している。どちらを今後の正捕手とするか、天秤にかけている状況とも言えるだろう。「スローイングであったり、キャッチングは、松川も上手いんですけど、自分も自主トレから意識してやってきた。あとは絶対にバッティングでは負けたくないなと思います」。8月に入り打撃に苦しんでいるが、自信を付けた守備から、リズムを作っていく。
(上野明洸 / Akihiro Ueno)
(フルカウント)
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≪8/24≫
プロ野球の世界では、ドラフト1位入団の選手には特に大きな期待が寄せられる。しかし、その期待が「重圧」となり、苦しむ選手が多いことも事実だ。今回は、ドラフト1位指名を受けながらも思うような成績を残せず、正念場を迎えている現役選手5人を紹介する。
平沢大河
投打:右投左打
身長/体重:176cm/80kg
生年月日:1997年12月24日
経歴:仙台育英高
ドラフト:2015年ドラフト1位
仙台育英高から2015年ドラフト1位でロッテに入団した平沢大河。高校3年夏の甲子園では、3本塁打を放ち準優勝に大きく貢献。高校生離れした打撃と遊撃守備を披露し、ドラフトでは地元の楽天とロッテが競合した。
高卒1年目の2016年は夏場から一軍に合流し、同年8月に地元・仙台でプロ初ヒットを記録。さらにその約1ヶ月後、またも仙台でプロ初ホームランを放った。外野にも挑戦した2018年には自己最多の112試合に出場し、打率.213ながら5本塁打をマーク。順調に成績を残すと思われたが、翌年は51試合の出場にとどまった。
さらに、2020年は初めて一軍出場なしに終わる。秋には痛めた右肘の手術を受けて再起を図ったが、翌年も2年連続で一軍出場はならなかった。しかし、2022年は「9番・三塁」で初の開幕スタメンを奪取。3年ぶりのヒットを放つなど復活の兆しを見せている。平沢が狙う内野のポジションにはライバルも多いが、再び躍動する姿を見たい。
身長/体重:176cm/80kg
生年月日:1997年12月24日
経歴:仙台育英高
ドラフト:2015年ドラフト1位
仙台育英高から2015年ドラフト1位でロッテに入団した平沢大河。高校3年夏の甲子園では、3本塁打を放ち準優勝に大きく貢献。高校生離れした打撃と遊撃守備を披露し、ドラフトでは地元の楽天とロッテが競合した。
高卒1年目の2016年は夏場から一軍に合流し、同年8月に地元・仙台でプロ初ヒットを記録。さらにその約1ヶ月後、またも仙台でプロ初ホームランを放った。外野にも挑戦した2018年には自己最多の112試合に出場し、打率.213ながら5本塁打をマーク。順調に成績を残すと思われたが、翌年は51試合の出場にとどまった。
さらに、2020年は初めて一軍出場なしに終わる。秋には痛めた右肘の手術を受けて再起を図ったが、翌年も2年連続で一軍出場はならなかった。しかし、2022年は「9番・三塁」で初の開幕スタメンを奪取。3年ぶりのヒットを放つなど復活の兆しを見せている。平沢が狙う内野のポジションにはライバルも多いが、再び躍動する姿を見たい。
オコエ瑠偉
投打:右投右打
身長/体重:185cm/90kg
生年月日:1997年7月21日
経歴:関東第一高
ドラフト:2015年ドラフト1位
関東第一高から2015年ドラフト1位で楽天入りしたオコエ瑠偉。高校3年夏の甲子園では驚異的なスピードとパンチ力を見せつけ、一躍注目の的に。この活躍を受け、ドラフトでは再指名ながら1巡目で名前を呼ばれた。
ルーキーイヤーから開幕一軍に抜擢され、いきなり51試合に出場。翌年はけがの影響もあって41試合出場となったが、打率.300、3本塁打、5盗塁をマークし、レギュラー定着へ期待を抱かせた。
身長/体重:185cm/90kg
生年月日:1997年7月21日
経歴:関東第一高
ドラフト:2015年ドラフト1位
関東第一高から2015年ドラフト1位で楽天入りしたオコエ瑠偉。高校3年夏の甲子園では驚異的なスピードとパンチ力を見せつけ、一躍注目の的に。この活躍を受け、ドラフトでは再指名ながら1巡目で名前を呼ばれた。
ルーキーイヤーから開幕一軍に抜擢され、いきなり51試合に出場。翌年はけがの影響もあって41試合出場となったが、打率.300、3本塁打、5盗塁をマークし、レギュラー定着へ期待を抱かせた。
しかし、2018年以降は一軍で目立った成績を残せず。2022年は開幕を二軍で迎えたが、8月下旬に初昇格を果たした。少ない出場機会でアピールを続け、楽天外野陣に割って入りたいところだ。
田中正義
投打:右投右打
身長/体重:188cm/93kg
生年月日:1994年7月19日
経歴:創価高-創価大
ドラフト:2016年ドラフト1位
創価高、創価大を経て、2016年ドラフト1位でソフトバンクに入団した田中正義。大学3年春に大きく飛躍し、秋には無安打無得点試合(ノーヒットノーラン)も達成。また、同年は大学日本代表に選出されると、NPB選抜との壮行試合で驚異の7者連続奪三振を記録した。4年次には故障もあったが、ドラフトでは実に5球団(巨人・広島・ソフトバンク・ロッテ・日本ハム)が競合した。
大きな期待を背負って入団した田中だったが、不安視されていたコンディション不良により、ルーキーイヤーの2017年は一軍登板なし。翌2018年に一軍デビューを飾るも、10試合登板で防御率8.56に沈んだ。
身長/体重:188cm/93kg
生年月日:1994年7月19日
経歴:創価高-創価大
ドラフト:2016年ドラフト1位
創価高、創価大を経て、2016年ドラフト1位でソフトバンクに入団した田中正義。大学3年春に大きく飛躍し、秋には無安打無得点試合(ノーヒットノーラン)も達成。また、同年は大学日本代表に選出されると、NPB選抜との壮行試合で驚異の7者連続奪三振を記録した。4年次には故障もあったが、ドラフトでは実に5球団(巨人・広島・ソフトバンク・ロッテ・日本ハム)が競合した。
大きな期待を背負って入団した田中だったが、不安視されていたコンディション不良により、ルーキーイヤーの2017年は一軍登板なし。翌2018年に一軍デビューを飾るも、10試合登板で防御率8.56に沈んだ。
その後も苦しいシーズンが続いたが、2021年は中継ぎで18試合登板、防御率2.16をマーク。大器の片鱗を示すと、2022年も開幕二軍スタートとなったが、8月に一軍へ昇格し、3試合連続無失点と結果を残している。
桜井俊貴
投打:右投右打
身長/体重:182cm/89kg
生年月日:1993年10月21日
経歴:北須磨高-立命館大
ドラフト:2015年ドラフト1位
北須磨高、立命館大を経て、2015年ドラフト1位で巨人入りした桜井俊貴。大学1年秋から主戦を担い、4年次の明治神宮大会では、大会タイ記録となる1試合18奪三振を記録。関西屈指の右腕として名を上げ、ドラフトでは単独1位指名を受けた。
プロ1年目の2016年から開幕ローテーション入りを果たすも、デビュー戦で右肘の違和感を訴え、同年はこの1試合のみの登板に終わった。その後、2019年に中継ぎでプロ初勝利を挙げると、交流戦期間に先発へ転向。シーズン終盤はやや失速したが、8勝を挙げるなど飛躍の兆しを見せた。
身長/体重:182cm/89kg
生年月日:1993年10月21日
経歴:北須磨高-立命館大
ドラフト:2015年ドラフト1位
北須磨高、立命館大を経て、2015年ドラフト1位で巨人入りした桜井俊貴。大学1年秋から主戦を担い、4年次の明治神宮大会では、大会タイ記録となる1試合18奪三振を記録。関西屈指の右腕として名を上げ、ドラフトでは単独1位指名を受けた。
プロ1年目の2016年から開幕ローテーション入りを果たすも、デビュー戦で右肘の違和感を訴え、同年はこの1試合のみの登板に終わった。その後、2019年に中継ぎでプロ初勝利を挙げると、交流戦期間に先発へ転向。シーズン終盤はやや失速したが、8勝を挙げるなど飛躍の兆しを見せた。
しかし、翌2020年からは再びリリーフへ配置転換。一定の登板機会は得ているものの、成績は低迷。2022年も打ち込まれる場面が目立っている。
髙橋純平
投打:右投右打
身長/体重:183cm/84kg
生年月日:1997年5月8日
経歴:県立岐阜商
ドラフト:2015年ドラフト1位
県立岐阜商から2015年ドラフト1位でソフトバンクに入団した髙橋純平。高校3年春の甲子園では2試合連続完封勝利を記録し、ベスト8進出の立役者となった。夏は地方大会で敗れたが、U-18高校日本代表にも選出。世代屈指の好投手としてドラフトでは3球団(中日・ソフトバンク・日本ハム)が競合した。
大きな期待を受けた髙橋。高卒1年目は体作りに重点を置き、翌2017年に一軍デビューを飾った。その後、2019年に中継ぎとして台頭。45試合登板で20ホールドポイント(3勝17ホールド)、防御率2.65の好成績で、終盤は勝ちパターンも担った。
身長/体重:183cm/84kg
生年月日:1997年5月8日
経歴:県立岐阜商
ドラフト:2015年ドラフト1位
県立岐阜商から2015年ドラフト1位でソフトバンクに入団した髙橋純平。高校3年春の甲子園では2試合連続完封勝利を記録し、ベスト8進出の立役者となった。夏は地方大会で敗れたが、U-18高校日本代表にも選出。世代屈指の好投手としてドラフトでは3球団(中日・ソフトバンク・日本ハム)が競合した。
大きな期待を受けた髙橋。高卒1年目は体作りに重点を置き、翌2017年に一軍デビューを飾った。その後、2019年に中継ぎとして台頭。45試合登板で20ホールドポイント(3勝17ホールド)、防御率2.65の好成績で、終盤は勝ちパターンも担った。
しかし、2020年は右肩を痛めて一軍登板なし。2022年も二軍暮らしが続いている。まずはファームでアピールを続け、再びリリーフ陣に食い込みたい。
(ベースボールチャンネル)
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