おはようございます
めずらしく朝の更新です。
洗濯物が洗い上がるまでの時間を使って書きます
昨日は研修所の授業で帰宅が遅く、寝るのも遅くなってしまったので眠い

です。
前回の続き、若杉友子おばあちゃんのインタビュー記事を転載します。
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ーーー:命のない食べものが、私たちの命を狂わせてしまうんですね。(聞きて・文:植草ますみ)
●若杉:無月経や無排卵が増えてるけど、これは大変なことよ。命を宿せないということ。例えば無精卵を食べ続けていたら、人間だってそうなる。鶏だって無精卵は抱かないのよ。有精卵なら本能で自然に抱くけど。有精卵なら丸飲みにする蛇だって、無精卵には見向きもしない。
「F1」の種だってそう。一年中四季に関係なく育って便利だけど、次世代に続く種を決してつけない死の種。これは科学者達が経済のため研究して創り出したもの。肥料漬けで育つ野菜。有機肥料といったって、鶏糞なんて化学物質づけ。病気にならないよう抗生物質をどんどん入れて、その糞が土を汚染してる。
今の家畜はほとんど内臓が癌に冒されてるのよ。アメリカではレバーなどの内臓を食べるのは、毒の塊だから禁止になった。癌の牛を食べれば癌になるし、合成飼料や肉骨粉で共食いさせてるものを、まだ平気で食べている日本人がいる。牛も豚も人間の力で種付けさせられて、自分の力でセックスして増殖してるわけじゃないでしょ。だから人間も人工飼育になるし、子どもが荒れてゆく。
自分のお乳で育てたいという本能もなくなってる女は、家庭より仕事、子どもは保育所。誕生のスタートに母乳をもらえず代用品のミルクで育った子は、母性愛ももらえず、キレたり問題を起こすようになる。母乳育児がどれだけ偉大なことか、そのことに目覚めなかったら社会も救われない。
牛乳を飲むのは自然だと思う? なんで大人が乳を飲む必要あるの? 歯の生えた動物が乳なんか飲んでないでしょ。家帰って「ただいま!かあちゃん乳のましてくれ!」っていったら、あんた何いってるのやめてちょーだいっておこられるやろ(笑)。ましてや牛の乳よ。どうしても飲みたいなら、冷蔵庫から牛乳とるかわりに、牛舎へいって直接牛からおっぱいもらってちゅうちゅう飲みいな。あんた飲めるか。乳は空気に触れたらだめで、直接乳首から飲むものなのよ。
スーパーとかデパ地下のあれだけの食品の中に、本物の旬のものがある? ほんのひとにぎりもない。人為的に加工された食品や野菜ばかり。これでは人間がおかしくなってあたりまえや。「不正」と書いて「歪み」。不正なものを食べてれば、体は歪みを起こすし、体が歪めば精神も歪む。世の中を見て、これだけの狂った犯罪や病気も、食べ物のあらわれとして見る視点が必要。「口で極楽、腹地獄」といって、口ではうまいウマイと食べているものも、いったん体に入ってどんなふうになるか、感じとる繊細さと慎重さを持ち合わせていなかったら、大変なことになるよ。
町へでても、私はまず外食することがない。米ひとつとっても、「F1」という死の洗礼をう けた米を使っていると思うと食べられない。だから出かけるときもおにぎり握っていったり、水はポットに入れていったら金も使わんでいいしね。
(注:読みやすいように行間を入れました)
・・私事ですが・・3.11の後、めったに外食をしなくなりました。放射能汚染の問題は食を見直す大きなきっかけになりました。
私は若い頃から「食の安全性」に関心があり、特に加工食品の添加物は必ずチェックして買っていました。
次第に農産物・畜産物・化粧品やシャンプー、歯磨き粉など口に入れるものや直接肌につけるものまで関心の範囲が広がり、石油から出来たものや化学物質の入ったものは買わない・食べない・使わないという基本姿勢を持っています。
ただ「何から何まで」というのは経済的環境的に難しいので、自分なりのルールに乗っ取って、洋服などの素材に関してはゆるーい部分も持ちながら、選ぶようにしています。
野菜や加工食品などの食材は信頼のできるところからの宅配が基本です。多忙を極めていた時期が長かったので利便性から選んでいたという部分もあります。
それでも時々は食材に不足が出て近所のスーパーなどで買っていましたが、3.11以後はそれが出来なくなってしまいました。
食が私たちの身体を作っているのはある意味真実ですから、間違ったものを身体に入れてはいけないのです。
免疫力が強い若いうちは、多少間違った物を食べたり間違った食べ方をしてもそれほど身体に響かない時期がありますが、多分それも30代初めくらいまででしょう。
それ以後は「ただちに」目に見える影響が出なくても、じわじわと影響が出てくると思います。
私はあと数ヶ月で50代後半に突入しますが、少しでも自分の身体に対して「間違った」食べ方(量や時間など)や生活の仕方(過労や睡眠不足など)をすると、すぐに身体が反応してしまいます。
敏感すぎるのも困ったものですが、鈍感(無自覚)よりはマシかなと思っています。
最後に、若杉友子おばあちゃんの言葉で印象に残ったことを書きます。
・・「これだけの狂った犯罪や病気も、食べ物のあらわれとして見る視点が必要。」

それでは今日はこの辺で