凡人だって悟れるもん

自我は幻、大体そんな感じ。

この素晴らしきクソ人生

2014年12月19日 | どうでもいいこと
人の目を気にしすぎ、周りからの評価で自分自身の価値が上下すると錯覚する。

批判に落ち込み、果ては言われてもいない妄想で落ち込む。

僕はそんな人生、面白くないと思います。

いや、実際面白くなかったです。

誰が何と言おうが、自分の価値観は自分が決めるもの。

その決定権は、誰にも邪魔されません。

どんな人でも、それぞれ別の世界の中に生きて、異なった解釈でそれを見ています。

どれだけ世の中で価値観の並列化が進もうが、人が人である限り、72億の個別の世界があります。

そんな中で、一体誰が他人に評価を付けられるというのでしょうか。

少なくとも、受けた評価は他人の基準で、ある一つの世界から見ただけのものです。

それを受け入れるのも、自分の価値観に用いる事もあなた次第。

絶対的と思える価値観も、善悪の基準も、全てがあなた次第で決まっている事。

もしあなたが、他人の目に怯えたり、コントロール出来ないものにストレスを感じているなら、それを思い出して下さい。

狭い世界に自分を押し込めておく必要なんて、最初から無かったんです。


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あんときの混乱

2014年12月16日 | どうでもいいこと
師走です。

みなさんも忙しく走りまわっているでしょうか、呉一郎です。

最近プライベートが月9並の急展開だらけで、ブログの更新どころではなく

「俺・・・何かラノベの主人公みたい!(白目)」

なんて言う暇すら無いくらいヘトヘトな日常を過ごしておりました。

とりあえず、少し落ち着いたので久々にブログの記事を・・・

書こうと思ったのですが、まだそこまで気分が乗らないので、過去に書いた文章をペタっと貼って、今日の記事とさせてもらおうと思います(笑)

昔頭の中で起きた混乱をまとめる為にメモに書いた、ちんぷんかんぷんな文章なんで、便所の落書きを見る程度の感覚でどうぞ。


_________


他人と比べることについて


 なぜ他人を見下すのか、もしくは見下されるのかということを考えた事があった。

知らず知らずの内、人を馬鹿にする自分が嫌になったり、逆に誰かに非難されるんじゃないかと怯える自分に気づいたからだ。

まず見下すとは何かを僕なりに調べた結果、仏教の教えである「七慢」というものにあたった。

ちなみに七慢とは

慢(劣っている者を見て優っていると侮る)

過慢(同等の者より優れていると驕る、優れた者を認めず同等であると侮る)

慢過慢(優っている者より勝っているとうぬぼれる)

我慢(自負心が強く我を通そうとする。非を認めない)

増上慢(悟りを得ていないのに自らを悟ったと騙る)

卑慢(下手に出ながらもこんなに腰の低い者は他にいないとうぬぼれる)

邪慢(邪なことをそれを偉いと誇ること)

といった、七つの慢心をあらわしているらしい。

よく言う慢心とは、この七慢をひっくるめて他をあなどる心、自らをおごり高ぶる心のことだ。

僕の考えていた、見下す事の自身への嫌悪感、見下される事への恐怖は、七慢でいうところの慢からくるものかもしれない。(あと増上慢もあるかも笑)

この中で分かった事は、優れた人間への嫉妬からくる感情や、批判的な心、また自分を下げて卑屈になる事も、そこにうぬぼれがあるなら、仏教の定義からいうと慢心といえる事だ。

これは言葉の意味を表面的にとらえていた僕にとって、少し意外だった。


 次に、なぜ人は慢心するのかという根本を知りたくなった。

これもまた納得のいく答えを探したところ、心理学の分野にとりあえずの僕の答えを見つけた。

それは、ユング心理学のシャドウという考え方だ。

例えば生理的に受け付けないような人物、何かしらの嫌悪感を抱く人物があなたには居るとする。

話す言葉の一つ一つが鼻につき、その行動の全てが自分の中のイライラを引き出す、そんな奴だ。

ちなみに僕にも、ちょっと考えるだけで2人3人思いつく奴が居る(笑)

それは心理学の観点から見ると、相手に“自分のシャドウ”を見るせいだと言えるそうだ。

何でもそのムカつく奴は、自分にとってシャドウ、つまり影なのだと言う。

影は、自分とは異質な存在。

自分の考え、価値観から見ると許しがたいと感じる考えや価値観が影そのものだそうだ。

つまりムカつくアイツへの嫌悪感は、自身が意識的、もしくは無意識的に、己に課しているルールや思い、価値観とも呼ばれるそれらから逸脱している事に対する心理的拒否反応なのだ。

例えば怒りっぽい人に対して嫌悪感を抱くなら、自身に怒りっぽいと思える部分があり(実際に怒りっぽいかどうかは別として)

その怒りやすいと感じる自分自身への嫌悪感や自制の気持ちが、そのまま鏡としてムカつく相手への嫌悪感として表れていると言えるらしい。

それは他の感情にも言えることであり、嫉妬や妬みや侮りやおごりを他者に対して感じるということも、そのまま自身にその価値観がある、という証拠なのだ。

それは実際に誰かに嫉妬されているとか、妬まれている、という意味ではなく、自分自身がそういったルールや固執した思い、価値観を抱いているというだけの話だ。


見下すにしろ何にしろ、気持ちを他者に向けているという事は、誰かに同じ気持ちが自分に向けられる事があるはずだという考えが有るという事。

僕の場合、他人に嫌悪感を抱いたり、人からの非難に恐怖しているという事は、自身で作ったそういう価値観に、自身で反応しているだけという事になる。


そうなれば後は既におなじみだが、自分の中の問題だ。

結局は、一人相撲から抜けるか否か。

そもそも一人相撲をしていた事実に気づけるかどうか、ただそれだけという結論。

それを結論としてしまうと元も子も無い気がするが、僕にとってはこれが答えだった。

最後はどこまでも堂々巡りで、どこまでも単純だ。



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だから天国に行く為、この壷を買え。

2014年11月26日 | 悟りのこと

「お前は鬱病になり、大借金を抱えて、一人孤独に死ぬ、ついでに死後も地獄に落ちるわよ」


こんな言葉を言われたり、見たりすると


(´自Д我) 「絶ッッ対嫌だ!!!そんな不幸にはなりたくないっす!幸せを引き寄せて、楽しい未来を掴みたいっす!」


みたいな、激しい(拒否)反応が出る人をよく見かけます。

あ、先に言っとくと僕だって鬱病になるのも借金抱えるのも孤独死も嫌です。

ただ、今起きていない事にそうやって苦しむのは、超もったいない事だとは思っています。

まだ見ぬ未来とか可能性とか、一体どこにそんなもんがあるのか。

幸福、不幸なんてあいまいな価値観を、なんで絶対的な基準のように信じているのか。

よく考えると、根拠があるようでない。全部が後付け。

結局は”私にとって今リアルに起きているように感じるから”というだけじゃないでしょうか。

どれだけ悩もうが考えようが、起きるもんは起きるし、起きないもんは起きません。

そもそも、絶対不幸にはなりたくないって思ってる時点で、今不幸じゃない事は確かなんですから良いじゃないかって気もしますけどね。


もしかしたら明日、富士山が大噴火して、ドラゴンヘッドみたいなグダグダ展開になるかもしれません。

突然金持ちの未亡人から、「お願いですから1億円を受け取って下さい、そして私を抱いて慰めて!」と迷惑メールが来るかもしれません

朝起きたら空から女の子が降ってきて、ナイフとランプをカバンに詰め込むのかもしれません。

・・・。

この先何が起きるかなんて知りませんし、分かりません。

不安に怯えてようが、希望に胸を膨らませようが、起きるもんは起きるし、嫌でも世界は周っていきます。


(´自ω我) 「じゃあどうすればいいって言うんすか?」


今までどおり、その時すべき事をすればいいと思います。


(´自Д我) 「すべき事って何なんすか!」


後から見返せば、そうやって悩む事や迷う事自体がすべき事だった、なんて事もあるんじゃないでしょうか。


(´自Д我) 「答えになってないっす、もっと具体的に!」


時に悩んで、考えて、悟った気になって、飯を食って、寝て、起きて、頑張って生きればいいんじゃないでしょうか。

人に聞くより、自分の思うようにやるのが早いと思います。

何がすべき事かそうでないかなんて、誰が決めるもんでもありません。

そしてやはり、こんなブログに答えなんかありません。

答えはいつも私の胸に、です。


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知ったこっちゃないですしお寿司

2014年11月18日 | 願望実現のこと

(´自ω我) 「自分の思考が100%世界を作るんすね!」

(´自ω我) 「それならどんな願いも絶対叶えられるはずっすよね!?」

(´自Д我) 「じゃあ何で今すぐ100億円手に入らないんすかぁあああ!?(憤怒)」


みたいな叫びを、コメント欄や、某スピ系掲示板で見かけることがよくあります。

「どうして私の願望が叶わないの?」「引き寄せの根拠って何?」「理屈に合ってないじゃないの!おかしいわ!」

一度納得したかと思うと、違う事を言ってる人を見つけては不安になり、また一から納得しようとする。

永遠と続く答え探しの。その繰り返しの苦しみは分からんでもないです。

願望実現のメソッドを求めるコメントだって何度も見かけました。

しかし、ぶっちゃけると・・・

そんなもん知ったこっちゃねー!

って思うんです。

あなたの願望が叶うかどうかなんて、僕に分かるはずありません。

例えば上で自我さんの叫ぶ100億円。

僕にはその発想自体浮かばないような、叶わない願いです。叶えようと思わない願いとも言えます。

しかし、世の中には100億円を手に入れる人も居るでしょう。

それは、その人にとっては叶う願いだった、叶えたい願いだったって事です。

叶ったから願っていた、だなんて、まるで後だしジャンケンの屁理屈みたいですよね?

そんな事言ったら引き寄せもクソも無いじゃないかって思いますよね?

はい、最初から元も子もありません。

その思考や感情、願望にだって、理由や意味なんて元からありません。そこに肉付けをしているのは一体誰なんでしょう。

いい加減、考えて悩んで求めても意味がない事にも気づいてるんじゃないでしょうか。

元から叶うもんは叶うし、叶わんもんは叶わんようになってます。

(´自Д我)「じゃ、じゃあオレのこの願いは叶う願いなんすか??教えろっす!!」


はい、知ったこっちゃねー!です(笑)

願望も含め、思考感情の全てが後だしジャンケンに過ぎず、そこに出来ることなど何もありません。(何かしたつもりになる事は出来るけどね)

人それぞれ全く違った世界を見ているので、僕には勝手な事は言えませんし、言った所でそれも僕の解釈にすぎません。

この記事を読んで「これまでと言っている事が違う!」「矛盾している!」と思ったなら大チャンスかもしれません。

その矛盾をしつこーく考えてみてください。僕は同じ事を言い続けてる・・・つもりです(笑)


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嫌なら逃げろ、全力で。

2014年11月16日 | 悟りのこと
以前からよくコメント欄で

(´自Д我)「こんな世界を見るのは嫌っす!腐った世界を変えたいっす!」

みたいなスクラップ&ビルド希望の方や

(´自Д我)「こんな不安な思いを抱えるのは嫌っす!どうしたら不安から解消されるんすか!?」

みたいな混乱からの解放について書き込んでいる人が多いんですが、その事について思う事を少し。

ぶっちゃけ悩みも不安もそのまんまで良いじゃんとは思いますが、混乱した状態の人にそんな事言っても怒りをかうだけですよね(笑)

ただどちらにせよ、その悩みや不安感について、僕みたいな得体の知れない男に聞いたり、スピリチュアルに答えを求めても結局キリがないと思います。

引き寄せの法則だとか、スピ系の話を見聞きすると、印象として「何でも自分の意志でどうにかなるのね!」「もっと努力すれば改善されるのね!」なんて思うかもしれません。

だからこそ”この世界をオレの力で変えたい”とか、”湧き上がる不安を解消してより良い自分を目指したい”なんて話になるんだと思います。

が、そんな回りくどい事をして悩んだり苦しんだりするくらいなら、それ自体から離れちまえばいいと僕は思います。

そもそも引き寄せの法則とか言われているものは”私”が使う便利な道具じゃなくて、その”私”自体を含む全てのベースになる法則(みたいなもん)です。

実体が無い、よく分からない道具を使って何とかしようとするより、手っ取り早く”私”の構造に気づいた方が楽な場合もあると思います。

つまりこんな世界を見るのが嫌なら、”私”がこんな世界を見るのを止めればいいだけですし、不安から解消されたいなら”私”が不安を抱える事を止めればいいってそれだけです。

なんて言うと・・・


(´自Д我)「だから!その止める方法を聞いてるんすよ!!」


って事になるかと思うんですが、そんな止める方法を探している”私”の動きを冷静に考えてみれば、なんとなくその意味も分かるんじゃないかと思います。


上記のケースでは、スピにはまって何でも深読みするのがクセになっているせいもあるかと思うんです。

何でも深読みする結果、世界とか、宇宙とか、私の不安感うんぬんとか、そういう現実離れしたスピ的な悩みが生まれてしまうのならば、そういったクセを意識して止めてみると良いかもしれません。

例えば現実で、パワハラ上司とか、悪質なクレーマーとか、監視と悪口が趣味の隣人とか、そんなおっかない奴に出会ったら、まず最初にどう思うのかって事です。

僕なら「こんな上司の居る会社を更正させてやる!」とか「不快感を感じる自分を許してうんぬん」とか「名誉毀損で裁判起こしてやる!」とか思う前に、まず単純にそいつと距離を置く事を考えます。

単純に、ストレスの対象となる嫌なものに接する事や、対象を見る事を避けたがると思うんです。

もちろんその後で物理的、現実的に僕が無理だと判断したなら、色々と対策や方法を考えるのかもしれません。

いや別に、嫌なら転職や引っ越しをすりゃいいだけじゃんと極論だけを言ってる訳ではありません。

一つの選択肢として、当然あるはずの「逃げる」という選択がその内面的な悩みにもあるよという話です。

ストレスの対象から、物理的に距離を取るという選択肢があるように、その内面的な悩みにもその対象との距離を置く選択肢が当然あるって事。


この世界と戦いたければ戦えばいいですし、自分を良くする呪文でも何でも唱えたければ唱えればいいです。

ただ、「逃げる」コマンドが残っている事も一度思い出してあげてください。

逃げるというより、止めると言った方が正確かな・・・。

まあ嫌々遠回りの縛りプレイ(?)をする必要なんて、最初から無かったってことです。


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『しかしまわりこまれてしまった!』

(´自Д我)「!!」


富樫ばりに休載しつつ一年

2014年11月10日 | どうでもいいこと
どうも僕です。

特にやる気が出ない時は無理をしない主義なので、何も書く気がしないなぁとか思ってる内にブログを忘れてました(笑)

さてさて、気づいたらブログ開設から1年が経過しちゃってます。全く時が経つのは早いもんですね。

この1年の間にも、沢山の人に訪れていただき、コメント欄では深刻な書き込みからしょうもない雑談(笑)まで、色々なお話しを聞く事が出来ました。

平々凡々な僕にとって、周囲の友人や、ネットで知り合う皆さんの日常や人生の話は、どんな小説やアニメ漫画よりも興味深く、時に大変面白いものに映りました。

それぞれの人に異なる人生、物語、思考感情、価値観があって、全く個別の世界を見ている。

それは当たり前のようですが、皆が忘れがちですし、事実忘れきっているからこそ、私達が苦しむ原因の一つにもなっている事です。

僕はそんな当たり前の事を思い出した瞬間、最初は「なんて孤独なんだろう」と思いました。

自分の世界は、自分しか見ることが出来ない。

自分の人生は、自分しか体験出来ない。

当たり前ですが、改めてそれを実感し、まるで全責任を自分一人が抱えているような感じがして、こんなの孤独以外の何でもないじゃないかと思ったんです。

しかし、しばらくすると今度は孤独なんてとんでもないぞ、というような気持ちになってきました。


「どれだけ孤独感を感じようと、全て目の前にあるじゃないか。」

「自分という窓しか見てないから孤独を感じるだけじゃないか。」

「自分の中に世界の全てがあるんじゃなく、世界を見る為の窓の一つが自分なんだ。」

「ひゃっはー!!元から全てここにあるじゃないか!」


孤独の反対語が何かは分かりませんが、仕事の昼休み、おにぎりを食べながら”確かな確信と共に全てがここにある事”を感じました。

気づいてみれば追い求めた答えって、案外というか実際しょうもないもんです。


ただ最近は、孤独感とその反対に全てがここにあるという実感、そのどちらかが正しい、正しくないと分けられるものですら無いとも思っています。

私達は一人一人が孤独であると共に、完璧に一体である。という感じ。

一見矛盾しそうな事が、同時に矛盾なく存在しています。

それを確認する事が出来ないのは、世界を見る為にある僕という窓の限界なんでしょうね。

せいぜいゆるーく、ジタバタせずに死ぬまで生きる事にします。

その方が何故だか上手くいく事も分かってきましたからね。


このブログ自体、今後僕にとってどうなっていくかは分かりませんが、今のところダラダラと書いていく気はあるので、また暇な時に遊びに来てやって下さい。

時に真面目に、大体は適当にお待ちしてます。


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モテる努力をしないでモテたい

2014年10月27日 | 願望実現のこと

他人の気持ちを、自分の都合に合わせて変えようだなんて無理な話。

エゴイスティックに人の行動思考を縛ろうだなんて、あなたもその破綻に気づいているはずだ。

真にその人の気持ちに寄り添いたいなら、その人にとって本当に一番良いと思える方向を考えて、心から応援してあげればいい。

あくまで自分という存在抜きに、その人にとってのベストを、まるで本人になったかのような気持ちで考えてあげればいい。

そこに狭い可能性に縛られたあなたが居ないのなら、自然と流れの先へと寄り添う事が出来るはずだ。


・・・しかし、これすら僕の考えの押しつけ、答えの一つに過ぎない。

あなたに合わないと思うのなら、素性の分からぬこんな男の言葉など、すっぱり否定しろ。

そして、自分だけの答えを見つけてしまえ。

人に聞くのはもうやめて、過去に行ったり未来に行ったりするのもやめて、今したいことだけをしよう。

人の数だけ、真実と答えがある。

そこに正誤なんてあるはずがない。


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グループ魂 モテる努力をしないでモテたい節

曇りなき眼で見定める

2014年10月22日 | 悟りのこと
結局、直視する勇気がないだけなんです。

すぐ人に聞いたり、本を読んだり。

100%の答えを外部に求めるからこそ、存在しない答え探しの堂々巡りを続けるだけ。

外部からどんなアドバイスを受けようが、どんな答えを提示されようが、同じこと。


もしも、駄目になったら

もしも、1%でも失敗の可能性があるなら

もしも、不幸になったら

もしも・・・


「もしも」だらけの頭の中は、過去に飛んだり未来に飛んだり、シュミレーションで忙しい限り。


(´自Д我)「もしもアレコレしたら、こうなって、ああなって・・・うわああ破滅だあああ!」


なんて具合に、大真面目に起きていない事を悩んだりして。

そんな風に、生きる事を無駄に面倒くさく、複雑怪奇なもんにする必要はあるんでしょうか。

シュミレーションをしなければ悪い事になるはずだ、なんて誰が決めたって言うんでしょうか。

今起きていない事について考えては、過去にタイムスリップを繰り返したり、未来という名の、自分の頭の中の可能性だけの異次元に迷い込んだり。

そこから抜け出したいなら、それを止めればいいだけ。

「今」あなたはこの文を、パソコンか携帯で読んでいる。ただそれだけのはずです。

その他には、過去も未来も、一切目の前にはありません。

文字を拾っているその瞬間、過去も未来も、あなたの視界の外の世界も、全てが消えているはずです。

あなたが認識するから。認識出来るから「ある」と思えるだけのこと。

それは、単なる現実逃避でも錯覚でもなく、あらゆる全てに通じます。

元々全ては「自分が見たいものを見ているだけ」です。

今そう見えている以上は仕方ないんですから、ウダウダ言わずにただ見とけばいいんです。


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RGM-79 ジム

2014年10月21日 | どうでもいいこと

ウズベキスタンに行って、一つ個人的に衝撃を受けたことがあります。

それは、若者達のガタイの良さ。


ウズベキスタンでは、人口の3割が農業に従事しており、その主要な生産物は綿花。

ちょっとでも郊外に出ると、どこへ行っても一面の綿花畑が広がっています。

綿花の収穫は、工業化されている畑もありますが、大半が手作業によるものらしく、どの綿花畑でも沢山の人達による綿花の収穫が行われていました。

日本語がめちゃくちゃ達者なガイドさんの話によると、大学生のほとんどが夏から秋にかけての収穫期間中に、綿花摘みのアルバイトに行ってしまう為、どの大学にも人が全くいない状態が続いてしまうとの事。

僕は炎天下に綿花畑を一日中歩き回る若者達の姿を想像しながら、大学に行く余裕も無く働きに出る若者なんて勝手なイメージを膨らませ
「ウズベキスタン人の若者はなんて苦しい仕事を強いられているんだ!」と思ってしまいました。
可哀想ですねというニュアンスの言葉をガイドに投げかけると、どうやら僕の想像は全くズレたものだったらしく、綿花摘みのアルバイトは若者には大人気だと言うのです。

何でも、綿花摘みは一人一日10キロといったノルマ制で、ノルマ達成の為に砂を少しずつ混ぜたりしながら(笑)午前中にさっさと終らせてしまうとの事。
すると、午後からは皆でバーベキューをしたり、ギターを弾いて歌って踊って、何日も過ごすうちにバイト仲間の内からカップルが出来たりと、出会いもあって「超」楽しいアルバイトなんだと嬉しそうに話してくれました。
あまりに人気すぎて、大学生がそればかりに気をとられてしまうので、生徒は頻繁に大学の教授達に怒られてしまうのだそうです。
日本でもバイト中心になって単位落としちゃう大学生とかいっぱいいますもんね。

ここでも日本というか、僕個人がどこかに持っていた、「農作業はつらくてダサい」なんて考えにハッと気づかされて、ちょっと恥ずかしくなってしまいました。

・・・まあそんな事はさておき、そんな綿花摘み含む農業によって鍛えられた若者のガタイがとんでもなく良いという事です。

徴兵制がある国だという事も手伝って、日本人とは平均的体格がまるで違います。

どこへ行っても、小麦色の肌に、シャツの上からも分かる胸筋を見せ付けられて、色白貧弱な僕は何だかしょんぼりしてしまいました(笑)

帰国した翌日、一日そんな事を脳みその片隅に考えて仕事をしていると、気づいたら帰宅途中にトレーニングジムに入会してました。


どこまでも単純な男、それが僕です!


3日坊主にならないよう、時々あの綿花畑で見た若者達を思い出しながら地道にトレーニングを続けようと思います。

このブログだって何だかんだ(サボリつつだけど)ここまで続けて来れたし、何とかなるよね・・・?


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ついでにウズベキスタンにも行って来た

2014年10月14日 | たびにっき
前回に引き続き、中央アジアの旅で撮った写真を貼っていきます。

トルクメニスタンと違い、ウズベキスタンは観光地としての整備が進んでおり、ガイドもスムーズで見所がビシッ!っと決まっている印象を受けました。
青を基調としたタイル張りのモスクはどれも鮮やかで、どれを見てもため息の出るような美しさでした。


ウズベキスタン、ヒヴァという街の中心に存在するミナレット。


引きで見てもとにかくデカい。
これでも未完成で、本当は更に倍程の大きさになる予定だったと言うガイド。
地震の無い大陸では建造物がとにかく馬鹿でかい上に馬鹿高い。


礼拝の為のモスク。


青いタイルが本当に美しい。


お土産にもなっている。


今度は木で作られたというジュマモスク。
木漏れ日が幻想的で、ファンタジーの世界に迷い込んだのかとさえ思った。


カメラマン気取りでもう一枚。


ビールがとても美味い。乾いた気候のせいか?


路地裏の売店にて。アイスクリームが美味しかった。


ホテルへの帰路に、少年に呼び止められて一枚。この国の人は写真に撮られるのが大好きみたい。


サッカーをしていた子供たち。


これも撮影をお願いされての一枚。


ホテルの前の民家の子供達。


その民家に何故かお呼ばれして、飲み物やお菓子をごちそうになった。


友人が、お礼に日本のオタグッズ(ラブライブ缶バッチ)を手渡したw


これもコミケでの戦利品らしい。
この後、女の子二人によるオタバッグの激しい奪い合いを目撃する。


何を撮っても絵になるんじゃないかという発想で、トイレの手洗い用ジョウロを題材に一枚。


帰ってインターネットを見ると、友人がツイッターで画像を貼ったらしく、海外でのオタク文化布教活動がまとめサイトに載る等、ちょっとした話題になっていたようだ。
日本だとコミケグッズは白い目で見られるけど、外国ではどうやら違うみたいw

ウズベキスタンでは、子供達がどこに行っても元気いっぱいで、笑顔が可愛く、何をしていても目がキラキラと輝いている。

途中で縁あってお呼ばれしたお家は、日本の基準で見ると決して豊かには見えなかった。
けれど、異国から来た旅人を前に、皆が楽しそうに歌ったり笑ったりしているのを見ていると、僕の思う豊かさとはそもそも何だろうと思わされる。

・・・なんて綺麗でありがちな事を書いてみたりw

ただ彼らは、この国で生まれて育って、日本の生活なんて全然知らずに生きていくんだろう。
それは僕も同じ事で、結局どうしようもなく世界は広いんだなぁと思わざるを得なかった。


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中央アジアの北朝鮮ことトルクメニスタンに行って来た2

2014年10月08日 | たびにっき
旅について順を追って話していこうと思ったのですが、出来事が多すぎて面倒なので見づらくなるのも嫌なので写真で代えさせていただきます。

砂漠を車にゆられていると、日本の事とかスピリチュアルがどうとか色々な考えが本当どうでも良くなってきます。
このブログももうすぐ1年経ちますが、ブログも日常の出来事も、人生の一瞬に過ぎない事を思って諸行無常を感じてしまいます。
揺れるジープからどこまでも続く地平線をぼんやり見て、世界の広さ、自分のちっぽけさみたいなものが胸に湧き上がって、何を思うでも考えるでもなしに何度も不思議な気分になったのでした。



トルクメニスタンといえば謎オブジェ!金色の輝く建造物だらけです。


黄金の大統領像が国のあちこちに設置されています。


なんと元大統領の書いた本「ルーフナーマ(魂の書)」の銅像まで!


トイレのドアを開けると、そこにあったのは長方形の穴でした。僕はこのパターンで3回程トイレを我慢しました。


ラクダって、超可愛いんです。油断したら汚ねえツバを飛ばしてくるけどな!



砂漠に空いた、天然ガス採掘の事故現場「地獄の門」


近づくとこんな感じ、写真では伝えられないド迫力感でした。

道中、やっぱり感染症でお腹を何度も壊して、ロシア語の書いてある恐ろしげな抗菌薬を飲んだりもしました。
地獄の門ではテントで一泊し、大陸の気候を舐めてかかったせいで、厚着も持ってこずに寒さで睡眠不足になったり。
現地ガイドに何度も美術館に拉致されては、大統領の素晴らしさを2時間に渡って説明されて意識を失いかけたり。
語りつくせぬ程色々ありましたが、僕に言えることはトルクメニスタン最高!の一言に尽きます。



トルクメニスタン最高!


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中央アジアの北朝鮮ことトルクメニスタンに行って来た

2014年10月06日 | たびにっき
世界を冒険するのが夢で、いつかバックパッカーの真似事のような事が出来たらいいなぁと漠然と思っていました。

それが今年になってから仕事にかなりの余裕が出来、休みも取りやすい状況になってくるわ、英語が出来ないから勉強しなきゃな、なんて思っていたら、なんと英語の出来る旅好きの友人から海外旅行のお誘いがあり、苦労せずに世界を冒険出来る事になりました。

渡りに船とはこの事、実にラッキーです。

後はあれこれ煩雑な手続きやら何やらも全部友人にやってもらい、僕はアホ面で待っているだけという完璧なオートマチック具合。

しまいにゃ職場で、ただの観光旅行なのに壮行会と称した飲み会までやってもらえる始末。

お膳立てが上手く行きすぎて怖いくらいです。まあ日頃の人徳ってやつですかね。

まあ何やかんやで僕の冒険の旅が始まりました。

ただ漠然と旅がしたいと思っていた僕には行き先へのこだわりも特になく、友人の行きたがっていた国「トルクメニスタン」に行く事が決定。

このトルクメニスタンという国、ネットなりで調べていただくと分かるんですが、国土のほとんどが砂漠であり、数年前にニヤゾフ前大統領が亡くなるまで、大統領による独裁政治が行われる、通称中央アジアの北朝鮮とも呼ばれる程の独裁国家だった国です。

その独裁っぷりをトンデモ政策を通して軽く紹介すると・・・


「田舎もんはどうせ本なんて読まないから、首都と大学内を除く図書館を廃止」

「ニヤゾフ大統領の大好物がメロンだから、8月の第二日曜日をメロンの日として国民の祝日に」

「音楽の発展を妨げるから、コンサートやテレビ結婚式などで、口パクで歌う事を禁止」

「男性の髭禁止、なぜなら見苦しいから」


等々、面白くかつ理不尽な政策を連発しておりました。

2014年現在ではニヤゾフ大統領の死後、選挙によって選ばれた大統領が民主化路線を推し進めているとの事ですが、現状に関する情報が皆無な為、調べれば調べる程僕の不安は大きくなっていきます。

それに対して、世界中を行き尽くして旅慣れた友人は、地球の歩き方に5ページしか載っていないこの未知の国への興奮がどんどん高まっている様子。

出発前日にサイゼリアで行われた作戦会議の結果は、とりあえず行ってみなきゃ分からない事だらけだという事でミラノ風ドリアを食べただけで解散。

そんなこんなで?始まったトルクメニスタン観光。

笑いあり、涙あり?のトラブルに見舞われる事もありましたが、冒険心さえあれば何のその。

ついでに、トルクメニスタンの隣国ウズベキスタン、帰国途中にストップオーバーを使って韓国に一泊、と合計三カ国を訪れたんですが、サイゼリアで膨らんでいた不安はどこ吹く風!刺激的な経験だらけであっという間に2週間は過ぎてしまいました。

よって


結論:超楽しかった!


・・・と一言で締めるのはあんまりなので、写真を交えつつ数回に分けて書いていこうと思いますです。


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帰ってきました

2014年09月30日 | どうでもいいこと

日本に帰ってまいりました。

サボり癖が付きそうなので、ブログを書く事をゆっくり習慣に戻していこうと思います。

国外旅行はカルチャーショックの連続でとても面白いですね。

旅に出ます

2014年09月14日 | どうでもいいこと

いつか世界を冒険したいなぁと思っていたら、そんな機会が巡って来たので2週間程消えます。

中央アジア辺りをフラフラしてきます。

仏ほっとけ神構うな

2014年09月11日 | 悟りのこと
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悟りがテーマになっているので当然かもしれませんが、色々な話を聞いた結果、そういった体験を求めたくなるものだとは思います。

しかし悲しいかな、求めれば求める程、求める体験や理解は離れていく一方です。

僕が思うに体験に価値を付けること自体、大して意味は無いとは思うんですが・・・

それでも体験を求めたいのなら、そうやって求めることや考えることを一度放棄すると良いと思います。

頭での理解とは、全くベクトルが逆方向の道を見つけ出すんです。

つまり「考えるな、感じろ!」ってやつですね。

あなたがそれ以上求めようが探そうが、自我には何も出来ません。

「どうやら~~な仕組みらしい。」

「本当か嘘か、自分は幻らしい。」

そんな感想以上の答えは、もう頭の中からは出てきません。

後は体験や理解を求めるそんな自分を、そのまま何もせずに放っておけばいいと思います。

何もしない事って、実際全然出来てないもんですよ。

自分の中で起きる何もかもをそのまま放っておけるなら、自分がすぐに「何か」を求めだす無限ループの中に居る事にも気づけることでしょう。

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