S & A

日常生活の中で思ったこと、感じたことを気の向くままに書き綴っています。

-太平洋海戦は当時としては無謀でなかった-(GHQ焚書図書開封 第3回)

2017-01-18 15:59:29 | 近現代史

GHQ焚書図書開封 第3回

-太平洋海戦は当時としては無謀でなかった-
 戦後作られた映画「24の瞳」の大石先生の発言や、「硫黄島からの手紙」における海岸での穴掘り日本兵の発言は戦中のパラダイムではありえないことであった。その意味で、両映画とも反戦映画といえる。
 人間は、その時代、時代のパラダイムの中で生きているのであって、パラダイムが変わってから過去のことをあれこれ賛美、批判しても始まらない。戦後のパラダイムで考えると敗戦史観をもっていると反戦映画、戦勝史観をもっていると戦勝映画になるものだ。ただ一つ言えるのは、米国との戦争について、日本側は日露戦争同様に緒戦に武力戦で勝って、講和に持ち込むことができる「限定戦争」ととらえていたが、米国側は、道徳、教育、科学の力など持てる力全てを駆使して長期にわたって戦う「全体戦争」ととらえていたことである。この誤算が、終戦後、アメリカの長期戦略のひとつである敗戦贖罪史観の擦りこみによって日本古来の道徳、教育までもが破壊され、日本の自立性が失われていったのである。開戦と同時に発表され、全国紙に掲載された「帝国政府声明」に記載された戦争目的の「白人国家からのアジアの解放・独立」と言う視点で先の戦争を振り返れば、戦後アジア各国は白人植民地から解放され、独立を達成したのだから、日本の戦後史は戦勝解放史観となっていただろう。残念なことに、日本の政界、官界、財界、教育界、マスコミ界、知識人は敗戦贖罪史観を選択したのである。戦後、そのことによって、確かに経済が復興し、物質的には豊かになったが、精神的には荒廃し続けたのが実態である。、
 昭和15年当時の日本の軍備力はアメリカを上回っており、昭和17年には逆転すると予測されていた。アメリカの経済制裁に対抗するには、石油その他戦争用資源の備蓄が底をつく前に、緒戦で勝って、講和に持ち込むことができるこの時期を逃すことはできなかった。
 第一次世界大戦後、日本と並んで一等国の仲間入りをしたアメリカにとっての敵は、世界の覇権を握っていたイギリスと日清・日露戦争に勝利し力をつけてきた日本であった。右手でイギリスの弱体化を補完しながら、イギリスの覇権を徐々に奪取しつつ、左手で日本の台頭に対しては、表舞台に出ず、裏で工作し、妨害、嫌がらせを長期戦略で実施していたのは他でもないアメリカそのものであった。

参考文献:『三国同盟と日米戦』松尾樹明 『GHQ焚書図書開封1 第四章』西尾幹二 『極東危機の性格』雨宮廣知 『アジアにおける我が国の将来』ロバート・シュミット 『日米開戦 陸軍の勝算』林 千勝 『日米戦争を策謀したのは誰だ!』林 千勝


【帝國政府聲明】原文
昭和16年12月8日午後0時20分
大日本帝国政府発表

恭しく宣戦の大勅を奉載し、茲に中外に宣明す。
抑々東亜の安定を確保し、世界平和に貢献するは、帝国不動の国是にして、列国との友誼を敦くし此の国是の完遂を図るは、帝国が以て国交の要義と為す所なり。
然るに殊に中華民国は、我が真意を解せず、徒に外力を恃んで、帝国に挑戦し来たり、支那事変の発生をみるに至りたるが、御稜威(みいつ)の下、皇軍の向ふ所敵なく、既に支那は、重要地点悉く我が手に帰し、同憂具眼の十国民政府を更新して帝国はこれと善隣の諠を結び、友好列国の国民政府を承認するもの已に十一カ国の多きに及び、今や重慶政権は、奥地に残存して無益の交戦を続くるにすぎず。
然れども米英両国は東亜を永久に隷属的地位に置かんとする頑迷なる態度を改むるを欲せず、百方支那事変の終結を妨害し、更に蘭印を使嗾(しそう)し、佛印を脅威し、帝国と泰国との親交を裂かむがため、策動いたらざるなし。乃ち帝国と之等南方諸邦との間に共栄の関係を増進せむとする自然的要求を阻害するに寧日(ねいじつ)なし。その状恰も帝国を敵視し帝国に対する計画的攻撃を実施しつつあるものの如く、ついに無道にも、経済断交の挙に出づるに至れり。
凡そ交戦関係に在らざる国家間における経済断交は、武力に依る挑戦に比すべき敵対行為にして、それ自体黙過し得ざる所とす。然も両国は更に余国誘因して帝国の四辺に武力を増強し、帝国の存立に重大なる脅威を加ふるに至れり。
帝国政府は、太平洋の平和を維持し、以て全人類に戦禍の波及するを防止せんことを顧念し、叙上の如く帝国の存立と東亜の安定とに対する脅威の激甚なるものあるに拘らず、堪忍自重八ヶ月の久しきに亘り、米国との間に外交交渉を重ね、米国とその背後に在る英国並びに此等両国に附和する諸邦の反省を求め、帝国の生存と権威の許す限り、互譲の精神を以て事態の平和的解決に努め、盡(つく)す可きを盡し、為す可きを為したり。然るに米国は、徒に架空の原則を弄して東亜の明々白々たる現実を認めず、その物的勢力を恃みて帝国の真の国力を悟らず、余国とともに露はに武力の脅威を増大し、もって帝国を屈従し得べしとなす。
かくて平和的手段により、米国ならびにその余国に対する関係を調整し、相携へて太平洋の平和を維持せむとする希望と方途とは全く失はれ、東亜の安定と帝国の存立とは、方に危殆に瀕せり、事茲に至る、遂に米国及び英国に対し宣戦の大詔は渙発せられたり。聖旨を奉体して洵(まこと)に恐懼感激に堪へず、我等臣民一億鉄石の団結を以て蹶起勇躍し、国家の総力を挙げて征戦の事に従ひ、以て東亜の禍根を永久に排除し、聖旨に応へ奉るべきの秋なり。
惟ふに世界万邦をして各々その處を得しむるの大詔は、炳(へい)として日星の如し。帝国が日満華三国の提携に依り、共栄の実を挙げ、進んで東亜興隆の基礎を築かむとするの方針は、固より渝(かわ)る所なく、又帝国と志向を同じうする独伊両国と盟約して、世界平和の基調を糾し、新秩序の建設に邁進するの決意は、愈々牢固たるものあり。
而して、今次帝国が南方諸地域に対し、新たに行動を起こすのやむを得ざるに至る。何等その住民に対し敵意を有するものにあらず、只米英の暴政を排除して東亜を明朗本然の姿に復し、相携へて共栄の楽を分たんと祈念するに外ならず、帝国は之等住民が、我が真意を諒解し、帝国と共に、東亜の新天地に新たなる発足を期すべきを信じて疑わざるものなり。
今や皇国の隆替、東亜の興廃は此の一挙に懸かれり。全国民は今次征戦の淵源と使命とに深く思を致し、苟(かりそめに)も驕ることなく、又怠る事なく、克く竭(つく)し、克く耐へ、以て我等祖先の遺風を顕彰し、難儀に逢ふや必ず国家興隆の基を啓きし我等祖先の赫々たる史積を仰ぎ、雄渾深遠なる皇謨(こうぼ)の翼賛に萬遺憾なきを誓ひ、進んで征戦の目的を完遂し、以て聖慮を永遠に安んじ奉らむことを期せざるべからず。

参考文献: 国立公文書館 アジア歴史資料センター
・レファレンスコード:C12120377700
 件 名:昭和16年12月8日 帝国政府声明 (1画像目から)https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C12120377700?IS_KIND=RefSummary&IS_STYLE=default&IS_TAG_S1=d2&IS_KEY_S1=C12120377700

引用元:安濃博士のブログ(帝国政府声明文 「戦勝国は日本だった」)、



最新の画像もっと見る

コメントを投稿