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知らないことや気になることをいろいろと調べて記録していきます
 




日本の通貨といえば円である。DollarやPondと違ってYenはユニークな通貨単位だ。
現在の日本の通貨単位である円は、明治4年5月10日(1871年6月27日)に制定された新貨条例(明治4年5月10日太政官布告第267号)で定められたもので、当時の表記は旧字体の「圓」であったそうだ。
通貨単位としての円は「新貨条例」の廃止後も「貨幣法」(明治30年3月29日法律第16号)に受け継がれ、さらに現在は「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」に受け継がれているという。すなわち日本は140年以上円という通貨を使用していることになる。

一方で、一時期日本国内で円とは異なる通貨が流通していた。「B円」がそれである。

B円
http://ja.wikipedia.org/wiki/B%E5%86%86

B円(ビーえん)は、1945年から1958年9月まで、米軍占領下の沖縄県や鹿児島県奄美群島(トカラ列島含む)で、通貨として流通したアメリカ軍発行の軍票。1948年から1958年までは、唯一の法定通貨だった。日本国内で法定通貨とされた唯一の外国軍票であり、本土地域でも短期間少量流通している。正式名はB型軍票。英語表記は、Type "B" Military Yenで、Yen B type、B-yenなどとも表記される。

正確には、連合国の共通軍票であるAMC(Allied forces Military Currency)軍票の1種であり、他の連合国にも発行権があったが、日本に駐留した占領軍はアメリカ軍主体だったため、他国の軍は円建ての軍票は発行しなかった。硬貨はなく、全て紙幣だった。デザインは肖像や風景などの具象的なものではなく、彩文模様であり、これはアメリカ軍が占領した地域で使用した軍票と共通したものであった。

アメリカが占領した直後、沖縄本島は沖縄戦による荒廃によりどの通貨も流通せず、取引は物々交換で行われていた。1946年4月15日、アメリカ軍は自らが発行するB円を公式通貨とした。その後、1946年8月5日からは若干の条件付きで新旧日本円の流通も認めた。そのため終戦直後の沖縄県や奄美群島においては、これらの通貨が混合して流通していたが、アメリカ軍が恒久的な統治を考えるようになると、1948年7月21日に新旧日本円の流通は禁止され、B円が流通する唯一の通貨となった。このときは、7月16日から21日にかけて、日本円とB円の交換が行われた。

当初は 日本円1 円 = 1 B円 が公定レートだったが、1950年4月12日に日本円 3 円 = 1 B円(1ドル=120 B円)となり、B円が廃止されるまでこのレートが使われた。このレート変更は物価の上昇を招き、奄美群島の本土復帰運動を加速させる結果にもなった。

B円だけを使用させることにより、米国民政府は、通貨の流通量を統制することができた。当時の公定レートは1ドル=360円だったが、1ドル=120B円という、日本円に比べ割高なレートがとられたのは、アメリカ軍が基地建設や駐留経費などを日本企業に支払う際に有利な条件にするためだったといわれている。これにより日本本土から安価で資材を調達することができたかわりに、沖縄県周辺の経済は空洞化した。また、本土系企業の進出をも遅らせる理由になった。当時の朝日新聞によれば、1953年12月25日において実際の通貨としての価値は1 B円=1.8 日本円程度だったという。

沖縄を除く本土地域でも、1945年の敗戦直後、占領軍によってB円も日本円と同じく正式な通貨とされ支払が開始されたが、日本政府が占領経費を日本円で支弁することを交換条件として軍票支払の停止を要請し、占領軍に承認されたため出回った量は極めて少ない。ただし、当時、東京で、B円は受け取り拒否できず困った、という記述がされているので、若干は流通したと考えられている。1948年7月15日をもって、本土ではB円は廃止されたが、ほとんど流通していなかったため混乱はなかった。本土で回収されたB円紙幣は沖縄で使用された。

1958年9月16日から20日にかけて、アメリカドルへの通貨切り替えが行われ、廃止された。


沖縄県 戦後の生活と文化 B円とドル
http://www.payphoneone.com/bunka/sengose/ben.html

沖縄県公文書館 9月16日 B円からドルへの通貨交換(1958年)
http://www.archives.pref.okinawa.jp/publication/2012/09/post-82.html

沖縄は占領された後に、無通貨(金銭取引禁止)、B円と(新旧)日本円混在、B円のみ流通、ドルへの切り替え、と短い期間に流通通貨がめまぐるしく変わり、そして1972年に日本に復帰し、日本円が流通するようになった。経済活動の最も身近な通貨の変遷からも戦後の沖縄の激動をうかがうことができる。さぞかし大変だったことだろう。

そして、B円があるなら、A円も存在する。




A円
http://ja.wikipedia.org/wiki/A%E5%86%86

A円(エーえん)とは、1946年に通貨として流通させる目的でアメリカ軍が発行した軍票である。
A円はB円と同時に発行が計画され、日本の敗北を見越して1945年春には完成しており、沖縄本島を占領したアメリカ軍によって先に沖縄でB円が使われ始めた。B円と比較して表に印刷された袋文字が「A」であるか「B」であるかの違いしかない。

なぜ同じ日本円に対し二種類の紙幣を用意したのかについては、A円は日本によって占領されていた地域で用いるのを想定し、B円は日本本土侵攻作戦に用いるのを想定したとされている。実際にA円は朝鮮半島における日本円の発券銀行であった朝鮮銀行券の流通地域のうち、アメリカ軍が占領した南朝鮮(現在の大韓民国)で法定通貨とされた。しかしながら、A円は日本国内でも一時的に沖縄の八重山諸島でも使われたほか、アメリカ軍基地間での決済のみで使用されたが、外部への流出は禁止された。

B円が米軍占領下の沖縄県や鹿児島県奄美群島において1948年から1958年まで使用されていたのに対し、A円は1947年7月に韓国銀行が設立されウォン紙幣が発行されたことから、わずか2年でその使命を終えた。

nao♪のハロハロ日記 沖縄の通貨~A円~
http://ameblo.jp/ityara/entry-10383274773.html

雨男雑記帳 "B"と"A"
http://ameotoko.cocolog-nifty.com/note/2008/10/ba-dd24.html

我々が意識せずに使っている円だが、その傍らで沖縄で流通したB円と、幻のA円の存在があったことを覚えておこう。
そういえばその沖縄・首里城守礼門を描いた二千円札はどこに行ってしまったのだろうか。こちらは現在も発行中のはずなのだが、既にA円の域にあるのかもしれない。




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