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かつてのホテルが廃墟となってしまう例は数多い。神戸の摩耶観光ホテルのように廃業して廃墟となるケースや、岡山県の王子アルカディアリゾートホテルのように完成前に計画が頓挫してそのまま廃墟となるケースもある。

摩耶観光ホテル
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%91%A9%E8%80%B6%E8%A6%B3%E5%85%89%E3%83%9B%E3%83%86%E3%83%AB

忘却炉 王子アルカディアリゾートホテル
http://korouka.blog47.fc2.com/blog-entry-9.html

それぞれ固有の経緯があると思うが、ホテル、特にリゾートホテルの廃墟というのは何とも物悲しいものだ。かつての関係者や宿泊者にとっては何とも複雑な思いだろう。

海外に目を向けても解体ができずに残された廃墟は数多い。そしてその最大のものはドイツのプローラだろう。



プローラ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%A9

プローラ(Prora)はドイツのバルト海に面した島、リューゲン島にナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)が計画した保養所・海水浴場である。この海水浴場が有名である理由は、砂浜に面した松林の中に長さ4.5kmにわたって伸びている、「Koloss von Prora(プローラの巨人)」と呼ばれるコンクリート製のビル群の存在である。

一棟500mの長さのビルが8つ連なる巨大建築は、1936年から1939年にかけて、ナチスの労働者組織ドイツ労働戦線の下部組織・歓喜力行団(Kraft durch Freude、KdF、国民に余暇活動を供給した組織)が巨大保養施設として建設を進めたものであった。それぞれのビルは全く同じ形をしており、20,000人の労働者が休暇を過ごすために計画されていたが、ついに使用されることはなかった。プローラは残存している第三帝国の建築の中でも、その統一感とヒューマンスケールを超える巨大さが印象的な建物で、ナチス建築の典型といえるものである。

プローラは労働者のリゾートとして計画され、ドイツの全ての労働者が浜辺で休暇を楽しめるようにするために2万人もの保養客を収容する宿泊棟が設計された。全ての部屋がバルト海に面している。後の計画では、二つの造波プール・劇場・映画館と2万人の宿泊客全員分の座席があるフェスティバル・ホールも予定された。大型客船のための埠頭も同時に予定されている。1937年のパリ万国博覧会では、このプローラの保養所計画は建築部門のグランプリを受賞している。



1936年、リューゲン島と本土とを結ぶ橋・リューゲンダム橋が建設され、プローラ建設も始まった。
1939年、第二次世界大戦が始まるとプローラ建設も中止された。長大な宿泊棟、劇場と映画館はがらんどうのまま放置され、埠頭は埋め立てたまま建設中止、その後ろに予定されたプールとフェスティバル・ホールは建設されなかった。英米軍によるハンブルク空襲が始まると、ハンブルクから多くの避難民がリューゲンに疎開し、プローラの居住棟の一つに入った。終戦間際にはドイツ空軍の女性補助部隊隊員や武装警察の教育施設となり、さらに東ヨーロッパからの避難民の受け入れにも活用された。
1945年、ソ連軍がリューゲン島一帯を占領し、プローラはその基地となった。プローラのビルは一部がソ連軍の爆破訓練に使われ、東ドイツ政府の手で解体する案もあったが頑丈な上に巨大なため撤去にはいたらず、戦災難民の一時居住施設、次いで国家人民軍の駐屯地として利用が続けられた。どっしりとした無味乾燥なビル群は6つが残存し、ドイツ再統一後は観光スポットとなっている。

プローラの一部は博物館として、ナチスの巨大リゾート建設計画やその背景となった諸政策に関する展示を行っている。また2006年にはビル群のうち2棟の売却が決まり、別荘やショッピング施設、文化施設として再利用する計画が進んでいる。2011年7月4日にプローラのビルの一部を利用したユースホステルが開業した。



プローラが位置するリューゲン島はバルト海に面したとても人気のリゾート地で、是非訪ねてみたいところでもある。

Rügen
http://www.ruegen.de/

昨年開業したこのユースホステルも比較的評価が高いようだ。

Hostelling INternational - Youth Hostel Prora
http://www.hihostels.com/dba/hostels-Prora---Youth-Hostel-Prora-022645.jp.htm#tabs=0

廃墟好きとしてはとても関心のある建築物だが、プローラはこのまま廃墟として残るにはあまりにも巨大すぎる。是非とも有効な再生を期待したいものだ。



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