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知らないことや気になることをいろいろと調べて記録していきます
 




都市直下型の大震災が発生したらどうなるか、というのは地震の多い日本で我々が常に抱えている不安材料である。1995年の阪神・淡路大震災では神戸をはじめとした多くの町、2011年の東日本大震災では東北の多くの町が被害にあっており、その復興はまだ途上である。
さて、海外には災害によって首都が壊滅してしまった例がある。イギリスの海外領土であるモントセラト (Montserrat) の首都プリマス (Plymouth) は、1995年から1997年にかけ発生した火山の噴火により壊滅してしまった。

モントセラトはカリブ海の火山島で、総面積102平方キロで人口は約5,000人 (かつては12,000人ほどいた)。海外領土なので国とは言えないが、独自の行政も営まれている。現在の首相はDonaldson Romeo氏だ。住民はアフリカ系黒人が96%を占め、産業はバナナなどの農業が中心だ。
2002年のFIFAワールドカップ日韓大会の決勝と同じタイミングで、当時FIFAランク最下位のモントセラトと、ひとつ上 (=ブービー) のブータンの間で「もうひとつの決勝戦」が行われたのを覚えている人も多いだろう。



1493年にコロンブスの2回目の航海の際に発見され、スペインのモンセラート修道院にちなんで「サンタ・マリア・デ・モントセラテ」(Santa María de Montserrat)と命名された。しかしスペインは入植せずに、1632年にイギリス人プロテスタント入植者たちによってイギリスの植民地となった。
その後1782年にアメリカ独立戦争でフランスが占領するも、直ちにイギリスに返還され、また1958年には西インド連邦の一州となるも、1962年に同連邦が解体し再びイギリスの植民地になるなど、基本的に歴史を通じてイギリスの支配下にある。
首都プリマスは、以前の人口は4,000人以上で、重要な東カリブ上での船の停泊地のひとつだった。イギリス風の町並みだった。いくつか写真が確認することができる。





しかし、モントセラトは自然災害を受けやすく、1989年にはハリケーンが直撃し島の9割以上に被害をもたらした。
そして、1995年7月18日に島の南部になる活火山・スーフリエール・ヒルズ (Soufrière Hills) が噴火し、島民の2/3が避難し、イギリスが救助のため軍艦を派遣する事態となった。
その後1997年に再びスーフリエール・ヒルズが噴火し、プリマスが火山灰に覆われるなどして壊滅的被害を受けた。



その結果、首都機能を失い、人々はプリマスを放棄し、その後は人口0人のゴーストタウンとなってしまった。臨時首都は火山噴火の影響がほとんどない島北部にブレイズ (Brades) に設置され、さらに北部のリトルベイ (Little Bay) に新首都を設置する計画が進められている。

2003年や2006年にも大噴火を起こすなど、スーフリエール・ヒルズの火山活動は続いていて、プリマスがガスと地熱がひどく人が住める状況にはない。侵入も禁止されており、元の住民が物を取りに来ることも許されない。
一方で、観光局の「Must Do / Places to See」にはスーフリエール・ヒルズやプリマスが掲載されており、それが訪問の目当てとなることも事実である。(このブログのきっかけもそうだが...)
いつも思うのだが、被災地を旅するのは、地元の方としては経済的には助かるのだろうが、訪問する立場としてはどうしても申し訳ない気持ちがありすっきりしない。

モントセラト観光局
http://www.visitmontserrat.com/places-to-see/

詳しい状況は以下の記事や訪問記から知ることができる。

Montserrat, Island Partially Abandoned After Volcano Eruption, Is Slowly Being Consumed By Nature
http://www.huffingtonpost.com/2013/10/08/montserrat-volcano-eruption_n_4059709.html?utm_hp_ref=travel&ir=Travel

大噴火によって首都が壊滅したままの国、モントセラトに行ってきた
http://sekaishinbun.net/2013/07/19/montserrat/

どの大きさの国であれ、首都機能を持った町が一瞬で壊滅してしてしまう影響は計り知れない。関係者の精神的な苦痛は大きいだろう。
モントセラトはその後も火山活動が継続して立ち入れない状況にあったために、必然的に首都や島の南部を放棄するしかなかったが、我々が同様な状況になった時にどのような対応ができるだろうか。
2011年の東日本大震災からも月日が立ち、徐々に人々の問題意識が薄れている感があるが、政府も企業も家庭でも常に有事のことを考えたしかるべき準備が必要だ。



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