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知らないことや気になることをいろいろと調べて記録していきます
 




ギネスブック公認の、停車駅間における営業列車の平均速度記録は以下のように変遷している。

ミドルエッジ 新幹線とTGV、どっちが速かった?高速鉄道、最高速度記録の歴史。
https://middle-edge.jp/articles/I0000948

1932年 Cheltenham Spa Express(イギリス)・・・115km/h
1933年 フリーゲンダー・ハンブルガー(ドイツ)・・・124km/h
1964年 ル・ミストラル(フランス)・・・132.1km/h
1965年 新幹線ひかり(日本)・・・162.8km/h
1973年 エタンダール号(フランス)・・・163km/h
1983年 TGV(フランス)・・・214km/h
1997年 新幹線のぞみ(日本)・・・261.8km/h
2005年 TGV(フランス)・・・263.3km/h
2007年 TGV(フランス)・・・279.3km/h

走行試験であれば400km/h超、さらに磁気浮上式であれば600km/h超の記録もあるが、停車駅間における営業列車の平均速度は、実際に乗る鉄道の速さという点で意義がある。
Cheltenham Spa Expressは蒸気機関車、フリーゲンダー・ハンブルガーはディーゼル機関車であり、昔は120km/h程度が限界であったが、新幹線の誕生とともに高速化が進み、新幹線とTGVが争っているという構図だ。1997年に新幹線のぞみ(500系)で広島-小倉間で平均261.8km/h (営業最高速度は300km/h) を記録したが、現在はTGVが記録を保持している。

この中でひとつだけ聞き慣れないのは、1973年に新幹線ひかり (0系) から営業列車平均速度記録最速の座を奪ったエタンダール号である。

Étendard (train)
https://en.wikipedia.org/wiki/%C3%89tendard_(train)

The Étendard was an express train that linked Paris and Bordeaux in France. Introduced in 1968, it was operated by the Société Nationale des Chemins de fer français (SNCF), and was initially a Rapide.
The train's name, L'Étendard (literally, "The Standard") is the French word for "banner", and commonly refers to military banners, as carried on parades and into battle.
From 1971 to 1984, the Étendard was a first-class-only Trans Europ Express (TEE), and between 1973 and 1975, the southbound service was an international train linking Paris with Spain. It reverted to being a two-class Rapide in June 1984 and was discontinued entirely with the introduction of TGV service between Paris and Bordeaux, in 1990.
The Étendard's core route was the 584 km long Paris–Bordeaux railway. The train normally ran daily except Sundays southbound and daily except Saturdays northbound.
Starting in 1973, the Étendard's southbound route was extended along the Bordeaux–Irun railway line to terminate in Irun, Spain, and its northbound route was extended to start in Hendaye, France, stations located on opposite sides of the French–Spanish border. During the summer timetable periods, these extensions were served on all operating days (six days a week), except certain holidays. During other seasons, the portion between Bordeaux and Irun or Hendaye usually operated only one day a week: southbound on Saturdays, northbound on Sundays. These extensions lasted until 1975.
The Étendard was usually hauled by one of SNCF's 1.5 kV DC, Class CC 6500 electric locomotives.


このようにエタンダールは1970年代にTrans Europe Express (TEE) として活躍した列車だ。1981年にTGVがパリ - リヨン間で開業し、その後役割を終えることになったが、(ギネス記録上は) 営業列車平均速度記録最速の座を10年にわたって記録した。
エタンダールを牽引していたフランス国鉄CC6500形電気機関車は、1969年から1974年にかけて製造されたフランスを代表する電気機関車であり、映像を確認することができる。



そしてエタンダールを含めたTrans Europe Express (TEE) もまた20世紀の偉大な鉄道遺産である。

TEE
https://ja.wikipedia.org/wiki/TEE

Trans Europ Express, 略称TEEは、1957年から西ヨーロッパで運行されていた列車の種別である。
TEEは本来、国際的に活動するビジネス客を主な対象として設定された列車である。また第二次世界大戦後に急速に発達した航空機や自動車に対抗できる速度や利便性、快適性を追求した列車でもある。
TEEでは出入国管理や税関検査などの手続きは原則として車内で走行中に行なえるようになっており、国境駅での長時間停車は不要になった。また食堂車を連結するか、もしくは車内の厨房からケータリングサービスが行なわれた。列車によっては車内からの電話や秘書によるタイプセットなどのサービスが行なわれるものもあった。
ほとんどの系統でTEEは1日に1往復から2往復程度であり、早朝に始発駅を出て昼頃に終着駅に着き、逆向きの列車は夕方に発車して深夜に到着するというダイヤが組まれた。これはビジネス客の出張利用を想定し午後を目的地での仕事に使えるようにしたためであり、昼間を列車の中で過ごすことはあまり想定されていない。

TEEの構想を提案したのはオランダ国鉄の総裁であったF.Q.デン・ホランダー(Frans den Hollander)である。彼は1953年10月30日の記者会見で、Europa Express(ヨーロッパ急行)という新たな国際列車を提唱した。これはすべて一等車からなる高速の気動車列車で、当時の旅客機と同等以上の内装を有し、国境で乗務員を交代することなく運行されるべきものとされた。デン・ホランダーは、300kmから500km程度の距離では列車は航空機に所要時間の面で優位に立てると考えた。また彼はこのころ国営航空会社KLMの役員も兼ねており、当時急速に発展していた航空業界のサービスを鉄道に取り入れようという意図もあった。一等専用としたのは、当時の航空運賃では二等旅客は航空機を選ぶことはないと考えられたためである。
ベルギー国鉄、ドイツ連邦鉄道、フランス国鉄、イタリア国鉄、ルクセンブルク国鉄、オランダ国鉄、スイス連邦鉄道、オーストリア連邦鉄道がTEEのメンバーとなり、1957年6月からTEEが運行された。その後スペイン国鉄、デンマーク国鉄もメンバーに加わった。

TEEの最高速度は1957年当時はすべて140km/hであったが、電車や電気機関車を用いることにより1960年代には160km/h程度まで向上した。1960年代後半には日本の新幹線の影響を受けてヨーロッパでも鉄道の高速化に関心が高まった。1970年代にはフランスや西ドイツの多くの路線でTEEの最高速度が200km/hに引き上げられた。中でもパリ - ボルドー間のTEEアキテーヌ、エタンダールは表定速度が151.5kmに達し、TGV以前のヨーロッパでは最も速い列車であった。

1987年5月にヨーロッパの国際列車の新たな種別としてユーロシティが誕生し、元TEEであった国際インターシティの多くはユーロシティとなった。また、イタリアの国内列車のTEEもこの時全てインターシティに置き換えられて廃止された。これによりTEEとして残っているのはゴッタルド(チューリッヒ - ミラノ)とフランス国内の4往復のみとなった。ゴッタルドは1988年9月25日のダイヤ改正をもってユーロシティに種別変更され、「一等車のみからなる国際列車」としてのTEEは消滅した。フランス国内のTEEも次々と二等車を含むコライユまたはTGVに置き換えられた。最後までTEEとして残ったのはパリとトゥールコワンをリール経由で結んでいた一往復であるが、これも1991年5月31日の運行を最後に廃止された。
TEEが本来の目的を果たした期間は決して長くはなかったが、ビジネスユーザをターゲットとしたその上質のサービスは、鉄道におけるサービスレベルの向上に貢献した。また、各国が競ってサービス向上に努めたことも特筆されよう。これらの要素は、後のインターシティや、現在の高速鉄道にも引き継がれている。



技術やニーズの変化に伴ってサービスが形を変えることは世の常であり、TEEがあったからこそ現在のヨーロッパそして世界の高速鉄道があると言うことができる。高速鉄道は今後世界各地に広まり、磁気浮上式を含め技術も向上し営業列車平均速度記録が更新されていくことは間違いないが、10年に渡って新幹線よりも高速を誇ったエタンダールをしっかり記憶しておこう。


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