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米ソの東西冷戦構造が終結して30年ほどになる。第二次世界大戦後の東西陣営による戦いは、イデオロギーの対立に加えて「相互確証破壊」と「交渉の不可能性」という特徴を持ち、睨みあいながらも直接手は出せず、また両首脳の会談もできなかった。朝鮮戦争やベトナム戦争などの代理戦争が各地で起き、また1962年のキューバ危機で核戦争寸前まで緊張したが、米ソ首脳の自制により回避された。

冷戦の副産物というわけではないが、東西両陣営が相手を意識して科学技術の発展を競った結果、様々な成果が表れた。特に宇宙開発の分野では、1957年10月にソ連がスプートニク1号を打ち上げ、世界で初めて人工衛星を地球周回軌道に送り込むことに成功した。スプートニクの成功はソ連において自国の科学力や技術力を国民に示す重要な機会となり国威が発揚され。、一方でアメリカではパニックとなり政治論争にもつながった。その後月面着陸を両陣営が競い、ソ連の無人探査機がアメリカの宇宙船よりも先に月軌道に達し着陸もしたが、人の月面着陸ではアメリカが一番乗りとなり、1969年7月にアポロ11号が月面に着陸した。

この「宇宙開発戦争」が最も華やかな科学技術の成果と言えるが、全く逆方向にベクトルを定めた「地底開発戦争」も米ソ間で進行していた。
アメリカの「モホール計画」とソ連の「コラ半島超深度掘削坑」である。

モホール計画
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB%E8%A8%88%E7%94%BB

モホール計画 (Project Mohole) とは、地球の地殻を貫いてモホロビチッチ不連続面まで掘削を行おうという、アメリカ合衆国の大計画。
宇宙開発競争でソビエト連邦に取った遅れを地球科学でもって挽回しようという目的もあって計画された。アメリカ国立科学財団が資金援助をし、American Miscellaneous Societyが主導した。陸地ではなく海底が掘削された。理由は、陸より海底下のほうが地殻が薄く、掘るべき深さが小さくて済むからである。

1961年に実行された第一段階では、メキシコのグアダルーペ島沖に5つの穴が掘削された。そのうち最深のものは海面下3,500mの大陸棚を183mまで掘り下げられた。これは穴の深さという点ではなく、海の深さおよび、固定されていないプラットフォームから試錐がなされた点において前例のない成果であった。
モホール計画の第一段階は、地球のマントルまでボーリングを行なうことが科学的にも技術的にも可能であることを証明した。しかしながら、モホール計画の第二段階は運営の不手際と予算の超過のため1966年に頓挫した。


もう少し具体的には、本計画はNASメンバーおよび全米科学財団 (NSF) 地球科学パネルのメンバーであったウォルター・ムンク (Walter Munk) が提唱したもので、既存の科学的カテゴリーに当てはまらない研究提案を扱うためにAmerican Miscellaneous Societyが結成されて本計画を主導して第一段階を成功裡に進めたが、その後NSFに運用管理が移行され、一方で国立アカデミー委員会がコストの増加に反対したため、第二段階の実施前にプロジェクトが中止されたとのことだ。



ちなみにモホール計画は、学研まんが「できるできないのひみつ」(内山安二、1976年) の「地球の裏側まであなを掘って荷物を送れるか?」でも言及されている。このまんがのように簡単に掘れたら地球は穴だらけになってしまうが。。



地底開発のような国家プロジェクトは社会主義国の方が進めやすいようで、その後にソ連で進められた「コラ半島超深度掘削坑」の方が成果を上げた。

コラ半島超深度掘削坑
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%A9%E5%8D%8A%E5%B3%B6%E8%B6%85%E6%B7%B1%E5%BA%A6%E6%8E%98%E5%89%8A%E5%9D%91

コラ半島超深度掘削坑 (Кольская сверхглубокая скважина) は、コラ半島のペチェングスキー地区でソビエト連邦が行っていた地球の地殻深部を調べる科学プロジェクトである。掘削は1970年5月24日に始まり、ボーリング坑は中央の穴から分岐することによって掘削され、最も深いSG-3は1989年に12,262メートル(40,230フィート)に達し、今も地球上で最も深い人工地点である。
このプロジェクトでは掘削目標の深度は15,000mに設定され、坑の深さが12,262mに達した時に、1993年には15,000mに達すると予想された。ところが、100℃程度と予想していた地中の温度は180℃と予想を大きく上回っていた。これによりこれ以上深く掘削することは不可能であると判断され、1992年に掘削が中止された。深さが増すにつれ温度はさらに上昇すると予想され、15,000 mまで掘削すると300°Cの温度に達すると考えられたが、このような条件下では地中を掘り進めるドリルビットが機能しなくなることを意味した。
このプロジェクトは、ソ連の解体により1995年で終了した。プロジェクトを担った現地の施設は放棄されている。




当時の映像や現在の様子を収めたドキュメンタリーが公開されている。



現在ではカタールのAl Shaheen油田の坑井が2008年に深さ12,289 mとなり最深の記録を更新しているが、地表面からの深さではコラ半島超深度掘削坑の方が深い。
その「穴」は直径23センチメートルと小さなものだだが、果てしなく深いものだ。何かを落としたら絶対に取りに行けない。その掘削坑は現在では溶接されて閉じられている。



詳細は割愛するが、コラ半島超深度掘削坑は地質の深部構造、地殻の地震の不連続性と熱的な形態など、地球物理学の研究に大きな貢献をした。またモホール計画で培われた技術は、その後の深海掘削計画 (1968~1983年)、国際深海掘削計画 (1985~2002年) へと引き継がれ、地球物理学や海洋地質学など学術分野に大きな進歩をもたらした。
現在ではさらに発展して日米欧中の多国による統合国際深海掘削計画 (2003年~) へと発展している。

宇宙開発でも地底開発でも20世紀後半に人類にとって顕著な発展が遂げられたが、その背景に冷戦構造があったことは紛れもない史実である。


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