< 憎いとは… >
言うまでもなく、私は別に菅さんが憎いのではありません。
公人が「憎い」と言う言葉を、安易に、公に使うのはいかがなものかなと思うのです。これは国会の議事録に残りますし。国の税金を原資に歳費をもらっているのなら、言葉を選んで欲しかった。
憎しみ、憎悪、妬み、これらはネガティブな気持ち、それもかなりネガティブなものです。それらに心を支配されていては真っ当な思考は出来ません。
これらを一番使いたいのは、問題を煽りたい当事者の黒幕です。
個人間、民族間、人種間、国家間が半目すればする程儲けになるのは誰でしょう。
以前に学んでいた聖書には「妬みは骨の腐れなり」とあり、本人にもマイナスの影響があります。
国会で「憎い」という言葉が出たので吃驚して思った次第。
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