お昼は1時がちょうど良い

在宅療養生活で見たこと、思ったこと、を伝えます。

回顧録 32

2016年01月03日 | 回顧録
今日は夜中の午前1:00頃の中途覚醒に続き、早朝覚醒で午前3:30頃目が覚めてしまいました。これは睡眠障害であり、〇〇病の特徴の一つです。こういう日は午睡(昼寝の事)をして寝不足感を補うようにしています。


たまにネットの掲示板等にこの〇〇病のことを「怠け病」と言ってる心ないコメントがありますが、まぁ言わせておけばいいんです。放っておいて気にしないのが一番良いでしょう。


今日、「回顧録」にしたのは私が過去にどんな労働をしたかを振り返りたかったので一部、過去の回顧録と重複しますが述懐したい。



・ 高校時代には既に仕事を掛け持ちしていました。まだ夕刊配達や集金をしていない時期の学校の長期休暇(夏休み等)には、昼間は日勤のアルバイトをしていたのです。



朝、朝刊配達が終わり朝食後に一般の仕事場に行きました。


人のツテで採用されたのです。それは「メッキ工場」の現場で、一日みっちり働きました。しばらくして会社側が暇になると「もういいよ」ということでお終い。


次は「大工」の補助的な仕事が見つかりました。暑い盛りの炎天下での作業でしたが、ある日、次の現場が県外になり遠くなるので親方から「次の現場は遠いからこれでお終い。ご苦労さん」で、その夏休みの日勤のバイトは終わりました。



その年の冬休みには電報配達の仕事が見つかりました。電報局で待機していて配達の要請があるとそこまで自転車で配達するのです。ある日などは未明からみぞれが降っていて寒い日だったのですが電報配達の仕事も外回りなので、結局早朝から夕方までみぞれの中、自転車を漕いだのを覚えています。



・ 20歳前半の頃は1カ月200時間の残業をしていたこともありました。これは経済上の事由ではなくて業務上の都合によるものでしたが。(今のように週休2日の時代ではありませんよ)



・ その後転職して深夜作業に就いてた時期がありました。深夜手当が目的だったのですが、給料の効率が良い分案の定、体調を崩していまい結婚を機に昼間の勤務にシフトしてもらいました。



・ 結婚後、子供もいて妻の病気がわかった頃だと思いますが当時働いていた会社の出入り業者の「掃除屋さん」の仕事でした。彼らはスーパー銭湯の営業時間終了後の清掃作業をしていました。私の当時の給料では治療費や生活費が苦しかったので、会社公認で深夜作業のアルバイトをしました。


その仕事の内容は営業時間終了後の夜9:00~12:00迄の時間帯でした。そうでないと翌日の本業に影響するからです。というのも、作業が終了して家に帰り、風呂に入ったりして就寝するのは午前2時頃になり、その4時間後には起床して正規の仕事に行かなければならないからです。一日中車の運転を伴う外回りの仕事なので、危険を少なくする意味で夜中の12:00迄としました。



時給は1000円だったと思います。週に5日間働いて、月に6万円程になりましたのでこれは家計にとっては大きい。しかし日が経つうちに理由は不明ですが、声がかからなくなりそのアルバイトでは働けなくなりました。



こんな感じで事あるごとに仕事の掛け持ちしたり、深夜作業をして稼いでいたので、当然の事、体に負担がかかります。長年の間にそういう疲労が蓄積し、回復しない内に給料は良いけどきつい仕事に転職せざるをえなかったのが、〇〇病を発症する遠因になったのかなと自分なりに思うのです。

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