今日、TVで「池上彰の報道特番」ってのをたまたま観てた。
混乱が続くソマリアの難民について取材したものだったんだけど、
なかなか興味深い内容で、いい番組だなと思った。
さて、池上さんもグッときたという1人の難民の少女の言葉に私もグッときました。
「将来は大学の教授になりたい。勉強は楽しいし、もっと勉強したい。
だけど、中学校がないから勉強できない。貴方達の力で学校を作って欲しい。」
この言葉を聞いて私も何か彼女達に出来る事は無いかと、
すぐさまUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)のHPにアクセスしました。
そして、英語が出来ない私は、今は寄付くらいしかできないけれど
いつかは英語をマスターして今私が支援しているWWFやこのUNHCRのような活動を
直接支援できるようになりたい、もしかしてそれが今の私の夢なのかもと思いました。
その後、続けて観ているとこのVTRに対して、1人のゲストがこうコメントしました。
「彼女が夢を持つことが出来たのは、学校に行けたからだ。」
このコメントに私は、ハッとしましたね。
ああ、私もそうだ。
うつが安定して、健康も身の安全も確保されているから夢がもてるようになった、
というか自分に夢があることに気が付いたんだと。
病気が酷かった頃は夢なんて考えられなかった、というか考えもしなかった。
自分がとりあえず生きるのに精一杯だった。
ソマリア難民の人たちと私の境遇は比較にならないけど、
心身共に健康で安全な生活が保障されていなければ、今日を生きることに精一杯で
将来の夢どころか明日への希望さえ持てないと思う。
私は今、職場の仲間や友達、家族、医師、自治体、組合等
いろいろな人に助けられてうつ病の治療に励んでいる。
元気になったら、職場への恩返しも大切だけど、世界のどこかで
生きる楽しみを感じられないような境遇に置かれている人を助けるような仕事がしてみたいな。
中学時代から英語はず~っと大の苦手だったけど、ちょっと本気で勉強してみようかなって思う。
英語が出来れば、もっと多くの人を助けたり勇気付けたりできるかもしれないものね。
健康だったはずの大学生の頃には、遊んでばっかりでこんな事微塵も考えなかったけど、
やっぱりうつになって私なりに苦労して、挫折して、それを乗り越えようといろいろしてるうちに
考え方も次第に変わってきたんだなって思う。
毎回しつこいようだけど、「なんのために病気になったのか」で紹介した、
「偉大なことができるようにと 健康を求めたのに
よりよきことをするようにと 病気を賜った」
のフレーズには本当に真理があるような気がしてならない。
今日はゴルフをしてきました。
広々としたゴルフ場で楽しくプレイ!自己ベストを更新して本当に楽しかった♪
さて、タイトルの「ゴルフは人生の縮図」ですが、今日一緒にラウンドしていた人が
バンカーに入ったり、池に何回もつかまったりしていたときに、ふといい言葉を言ったんです。
「もう、バンカーとか池なんか無ければいいのに!
・・・って、そんなんだったらコースでゴルフする意味ないか(笑)」
これ、とてもいい言葉だと思いませんか?
もし仮に、誰でも絶対にホールインワンが出せるコースがあっても、それじゃ全く面白くない。
それって人生にも言えることですよね。
順風満帆な人生というのもそれはそれでいいものですけど、
夢やゴールに向かって、トラブルに足をすくわれたり、道を絶たれそうになったりしながら
試行錯誤して何度も挑戦して、やっと辿りつくからこそ面白い。
そういう風に思えたら、生きていく上でのストレスもまた、ゴルフのバンカーや池と同じように
人生をより面白くしてくれる要素だと前向きに捉えられますよね。
なんて、うつ病で落ち込みきっている状態ではそんな風には到底思えないだろうと思います。
ただ、今薬を飲みながら療養をして少し調子が上がっている私が、うつでどん底だった頃を思い出しても、
やっぱりあれは、人生のちょっとしたハザードに嵌っていただけと思うことが出来ます。
今、うつでお悩みの方、またはうつ病患者を支える立場の方に是非申し上げたい。
死にたい、生きる意味なんか無い、そう思っている今のあなたは、
ちょっとバンカーやらOBやらに嵌っただけなのです。
それで、人生というゲームを放棄することはないのです。
誰だってハザードには悩まされます。
そうしたピンチを乗り切った先に、どんな結果が待っているかが
人生というゲームの面白みなのです。
たかだか、ちょっとしたトラブルでゲームを投げたらもったいないですよ。
この病気を乗り越えた先で自分はどんな状態になるのか、見届けるまで待ってみましょうよ。
きっと、乗り越えた後で振り返ってみたら、悔しさだったり達成感だったり
何かしら感じるものがあるはずで、決してそこでゲームを放り投げていればよかったとは
思わないような気がします。
・・・と、言ってみても毎年多くの方が自ら人生を投げ出してしまわれるのですが。
私は、今はあまり感じませんが、かつては自殺願望が酷くて辛い時期がありました。
そういう人の救いになるかどうかはわかりませんが、
うつ病に罹っていると、物の見方に柔軟性が欠けてしまうように思います。
そういう意味で、この記事が、また違った見方でものを捉えるきっかけになればと思います。
人生というコースは、うまくいかないようにできているんですよ。
それを攻略して乗り越えていくから、ゲームが面白いのです。
・・・なんてね。ちょっとこの記事上から目線ですいません。
他人の言葉の受け売りのくせにね(笑)
今日も昨日に引き続き具合がよいので、ちょっと長文を投稿したいと思います。
お題は「ひきこもりは罪か」。
まず、ここでいう”ひきこもり”について定義したいと思います。
世間一般でいう”ひきこもり”はいわゆる”ニート”に近いニュアンスで使われることも
多いですが、ここでは職の有無や病気かどうかに関係なく、
単に「外部との接触が著しく少ない状態」と定義したいと思います。
まぁ、イメージとしては以下のような状態ですね。
・コンビニの店員等との事務的会話以外に数週間声を発していない。
・久々に鏡を見て、あれ私こんな顔だっけって思う。
・久々に外出したら、以前に外出したのが昔過ぎて、外気温が急に変わっていて、
その時期にしてはやけに薄着もしくは厚着になってしまっている。
・歯磨き、洗顔、風呂などの衛生面に全く関心なし。もちろん汚部屋OK。
私も、うつでこもりっきりのときは数週間まともな会話してないみたいなことは経験しました。
そういうとき思うんですよね、これでいいんだろうかって。
今日は心が健康なので、改めて考えてみたんですが、やっぱりひきこもりはよくないと思います。
なぜなら、誰かに何かを与える力があるのにそれを使わずに生きることだからです。
皆に助けてもらってる事、優しくされている事に感謝するチャンスを逃すからです。
もっと幸せになれるのに自らそれを放棄しているからです。
もったいない!
そもそもなんでひきこもりについて考えるかというと、
私がうつでひきこもりがちだからというのと、
私の叔父が筋金入りのひきこもりとして生きているのを見ているからです。
叔父は独身で、もう60を過ぎていますが人生で一度も就職したことがありません。
手に職などはありません。自動車運転免許もパスポートも持っていません。
趣味の映画以外に興味はなく、亡き祖父の残した財産を食いつぶしながら生きています。
人間関係はゼロではなく、時折友人と会うこともあるようですが、
基本的には先ほどの定義の「ひきこもり」生活をしています。
ちなみに、精神科の診断は受けた事がないので精神的な病気かどうかは不明です。
本や映画が好きな叔父とは昔はよく話をしたり、遊んでもらっていましたが、
今は年賀状を送っても返ってこないような感じ。
子どもの頃は、仕事をしていない叔父に何の違和感もなかったんですが、
この歳になって、彼の生き方を見ていて、これでいいのかな?って思っちゃったんですよね。
私もうつになって引きこもってるときは、会社から給料も出ていたので
別に誰にも迷惑かけてないし、このままず~っとこうしててもいいんじゃないかなって
思ったりしたこともありました。
だけど、お金があるから誰にも頼ってないかっていうとそんなこと無いわけです。
パンが食べられるのは、小麦粉を作った農家の人とそれを製品にしたパン工場の人がいたから、
トイレに行けるのは、下水処理場の職員さんが頑張ってくれてるから、
そもそもこの家に住めるのは、この家を建ててくれたひとがいるからなわけで。
そういうなんでもないようなこと1つとってもいろんな人が頑張ってくれたおかげなんですよね。
しかし、叔父を見ていると、ず~っと引きこもってるとそのことに気がつけない人に
なってしまうんだなって思うんです。
彼は自分が働いたことがないから、小麦粉やパンを作ることの手間、
下水処理場職員さんの苦労、家を建てるときの大変さがわからないから、
今の生活でいいんだって思っちゃうんだと思うんです。
・・・ま、ここまではよくある話。私が言いたいのはここから。
私は、無職の叔父に仕事しろって言いたいんじゃないんです。
ひきこもっていると、怪我もしないし、ケンカもしないし、いじめられたりもしない。
それがね、残念だなって思うんですよ。
人間、自分が怪我したとかいじめられたとか病気になったとか、辛い経験をすると、
他人が同じような目に遭っている時一声かけてあげられるじゃないですか。
別に、仕事なんかしなくっていいんですよ。
むしろ、無職で失敗ばっかの人生でいいんですよ。
失敗しなきゃ、その失敗を助けてくれた人の優しさにも気付かないし、
同じように自分も誰かに優しくできるんだってことにも気が付かない。
これが、すごくもったいないと思うんですよ。
自分にとっても、この世界にとっても。
私も、つい数日前までは落ち込んでひきこもってましたが、そのときは私に出来る事なんか
何にも無いと思ってたし、もう会社なんか行きたくないって放り投げてた。
人との繋がりなんて邪魔だ、めんどくさい!って思ってた。
でも、会社に行ったらさくさくパソコン操作してる自分がいて、
あ、そういやパソコン使えるよな、いつか老人相手にパソコン教室とかできるかなとか、
大丈夫?って心配してくれた不妊症の友達に、ああ、彼女を励ましたい、
何か楽しい企画でも考えようかなとか思った自分がいて、
ああ、やっぱりひきこもってちゃダメなんだって思いました。
ひきこもりの経験があるから、ひきこもる気持ちはわかるつもりです。
でも、「人との繋がりなんて邪魔だ、めんどくさい!」ってのはやっぱり違う。
蛇口ひねって水が出る生活してる限り、人は他人との繋がりを断つ事は絶対にできない。
だったら、その絶対断つ事の出来ない人との繋がりっていうものが一番大切なものだって認めて、
大切にしなきゃいけないんじゃないかと思う。
そうすると、大切にされた絆はどんどん温かくなって、自然とそこから生きる幸せが産まれてくるように思う。
まぁ、ひきこもりは是か非かに正解なんてないでしょう。
他人との付き合いってのは、ホントめんどくさいもんですよ。
でも、私はうつ病になって、その”めんどくさい”が今まで真の苦労ってものを
経験してなかったから、めんどくさいんだって気が付いた。
引きこもってたら、永遠に人付き合いはめんどくさいまま。
だけど、人付き合いからは逃げられないから、ダサくて恥ずかしくてしんどい状態の自分のまま、
他人と向き合ったら、他人ってのは思った以上に優しくて温かいんだって知りました。
人付き合いを拒んでた私は、何も知らなかったってことに気が付きました。
生きるってめんどくさい。それは人付き合いがあるから。
だけど、その人付き合いからしか幸せってのは産まれてこないんだよね。
手を差し伸べて、差し伸べられて、感謝して、されて人は生きていくんだね。
ああ、どうかうちの叔父が少しでも多く、誰かから幸せを受け取れますように。
先週7連休も取っておいてちょっと気まずいと思いつつ、軽井沢に1泊2日でゴルフに行ってきました!
正直知らない方とも話したりしなきゃならないので、気を使うので体調は心配でしたが、
でも、実際いってみたら皆さんフレンドリーな良い方ばかりで
こういう善い人たちに囲まれて好きなゴルフを堪能できるのって本当に幸せだと思いました。
うつの症状が酷いときは、人に会う以前に太陽の光すらあたれなかったのに、
本当に不思議なものですね。
思えば私は、他人にも手を差し伸べない代わりに、自分が病気になっても全て自分で抱え込んで、
助けをうまく求められずに結局、うつになってしまったところもあると思います。
今回、ゴルフスクールの皆さんとのふれあいで、ああなんて暖かい人たちなんだろうと感じると共に、
自分はもしかすると今まで人をあんまり信用してなかったのかなとも感じました。
世間の人は真面目な人がうつになりやすいって言うけど、私は微妙にニュアンスが違うと思ってます。
うつの患者は、うまく人に甘えたり頼ったり助けを求める事が出来なくて
何でも人の面倒背負い込んでいくタイプが多いんじゃないかなと思います。
そして、失敗して自分を責め、もっと頑張らなきゃと思ってさらに1人で深みに嵌っていく・・・。
それに、うつの人って(私だけかもしれないけど、)仕事や子育てが全てだったりして、
なんというか「こう生きなきゃいけない」っていう固定観念に縛られていることが多いような気がします。
その意味で、ゴルフしながら立場も何もかもまったく違う人達の話を聞くと楽しいし、
自分の視野の狭さに気付くことができて、すごく勉強になりますね。
また、そういういつもと違うメンバーでのコミュニケーションの中では、全く違った視点から出た
きらりと光るステキな言葉に励まされたり、驚かされたりします。
会社のメンバーからしたら、もしかして遊んでないで仕事しろ!って思われているかもしれないけど、
こういう職場から離れたコミュニティに身を置き、遊びの場をもうける事で、
頭にこびりついたうつ的思考を変えていくことができ、遠回りかもしれないけど、
こういう遊びが病気の回復にも繋がっているような気がします。
ちなみにゴルフの方は、最近の体調不良のため全く練習しないままコースに出ましたが、
その割にはまあまあでしたね。
今回のキャンプには、私の父親くらいの年齢の方も参加していましたが、
いろいろなアドバイスを受け、マナーや技術が向上した気がします。
・・・って、走行中のカートから転落する人が言っても説得力ないかもしれないけど(汗)
といっても初心者なので、十分ひどいスコアだけど、スコアにこだわってしまったら、
またうつになっちゃうので、スコアは考えずに楽しむ事だけ考えてプレーしてます。
残業できない身としては、ゴルフを続けるのは経済的にもかなり厳しいのだけれど、
それでも思い切って初めてよかったな。
人とのつながりって心からよいものですね。
「私の履歴書」の通り、私は入社2年目、そして7年目にうつを患った。
大抵の病気や怪我には、なんらかの原因となる行動があるものだ。
7年目、うつ発症までの数ヶ月は、趣味もお洒落も何もかも犠牲にして
仕事だけをただ続けた日々だった。
本当に何もかも犠牲にしてきた。
人付き合いも悪くなったし、怒りに任せて携帯を地面に叩きつけ、友達を失った。
常にピリピリしていて同僚やお客様にも怒鳴り散らし、周囲からも嫌がられた。
大切な人からの誘いを断って残業し、彼と連絡をとらなくなってしまった。
大金をはたいてエステに通い手に入れた理想のボディも、連日の残業続きで元通り。
それで、私が得たものは、ほんのちょっとの昇給だけだった。
でも、ここまで何もかも捨てて仕事だけをやってきたのは、
社会的地位を得る、つまり会社で偉くなる事が人生の一番の目標だったからだと思う。
(明確に意識してなかったので後づけだけど。)
だけど、身体というより私の無意識・深層心理が仕事だけでは幸せになれないことを
知っていて、まさに身体を張った「うつ病」という抗議行動に出て、
私にそれを気付かせてくれたのだと思う。
私は、今までの人生を否定されるのがイヤで、最初素直に受け入れられなかった。
心理カウンセラーに1度だけ相談しに行ったときも、
1番に常になりたいと思っていたらストレスが溜まるのは当たり前ですよと言われたけど、
1番になりたいと思わないほうがおかしい!とちょっとキレ気味でその場を去った記憶がある。
だから、会社に復帰してからもトップ昇進にこだわりつづけていた。
ある意味それが、早期回復の原動力でもあったんだけど。
しかし、ある日産業医がそんなに早く復帰はさせない、休めと言い出してケンカになった。
これ以上休めば、出世の道は完全に断たれると思ったからだ。
産業医と私は言い争いになり、結果人事部と上司と健康管理センターの話し合いで
決着がついたのだが、そのとき上司から「今年の昇級はない」とはっきり言われた。
この瞬間に、私の中で何かが壊れた。まるで、自分の映った鏡が粉々に割れたみたいだった。
もうトップに立つ夢は諦めざるを得なくなった私は、人生を振り返ることにした。
何でこんなことになったんだろうと。
全てを犠牲にして追いかけたはずなのに、その夢は病気と共に崩れ去ったのはなぜか。
私は、毎日自殺願望と戦いながら、人生を客観的に振り返ってみた。
小学生の頃は中学受験で塾に通っていた。いわゆる進学校に入るためだ。
だけど、勉強がイヤでしょうがなくて、最終的にストレスで肥満と円形脱毛症になり、
イジメにもあったあげく、志望校には入れなかった。
中学と高校では、デブとさよならするために部活動(剣道)を始めた。
でも、勉強は相変わらず大嫌いで、東大理系志望からいつのまにか私大文系に格下げ。
結果、大学受験に失敗し、浪人するものの、予備校にも行かず毎日、映画や動物園、博物館などを
歩き回り、またしても志望校に入ることはできなかった。
大学では、法曹界をめざして法学部に入りロースクールに通うも、
サークルではじめたダイビングに夢中になって、結局一般企業に就職。
・・・と、ここまで書けば誰でもわかると思うが、私は勉強も嫌いだし、努力もたいしてしていない。
要するに、いつも世間的に認められるような立場になりたいといった目標をかかげながらも、
無理して失敗するか、別のことに興味が湧いて辞めるかのどちらかだ。
会社だって同じで例によって1番になりたいなんて思ったものの、
そこまで努力家でも勉強好きでもないから、ストレスが溜まって病気になったとしか思えない。
だとすると、私にとって本当にやりたいこと、好きな事は仕事じゃなくてもっと別のことだ。
もちろん何をするにしても、努力や勉強・練習は必要だ。
だけど、トップになれるほど夢中になれるタイプでもない、全くの凡人なのだ。
だったら、凡人らしく、一介の市民として、一応1人で食べていけるだけの稼ぎがあって、
友達や家族がいて、趣味や遊びに付き合ってくれて・・・そういう普通の人生を
生きるのが1番いいんじゃないか。
こんなことは、大半の人がとっくに気が付いていることなんだろうけど、
幼い頃から偏差値教育を叩き込まれ、肩書きを気にする価値観がこびりついていた私には、
ここまでたどり着くのに気付けば30年もかかってしまった。
せめて1回目のうつ病の時に気付けばよかったが、それもできなかった。
だが、例え少々遅かったとしても、気が付く事ができて本当によかったと思う。
今、まさに人生の舵を思いっきり切りなおしたところなので、まだまだ心が揺らぐ事はあるし、
もう既に時遅しといった感も一部あるかもしれない。
それでも今まで生きてきた自分に敬意を表しつつ(ここで自虐するとうつが酷くなるからね)、
ぶらりぶらりとおぼつかない足取りながらも歩みはじめたこの道こそが、
私の真の幸せへの道であると信じて、今は進むしかないのである。