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謂われなき反日を語るBlog(仮運用中)

誇りと恥を。
小異に拘わり、大道を外す事なかれ。

誇りと恥について

2005年05月11日 22時18分38秒 | Nohe
ヤマモトさんの「誇りとは何ぞや」に反応して、
以前に無名之会の定例の宿題で提出したものを発掘して再掲してみる。

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平成17年1月9日
文責:Nohe

●概要
誇りとは、自らに誠実であるように自らを規定することである。
恥とは、個人の中に存在する、社会的評価の元となるものである。

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●誇りとは
 人間は社会的動物です。一人では生きていけず、他の人間との社会的関係を以って、生存することが可能になります。よって、社会的評価というものが、存在の根幹に関わっており、そのあり方が個人を強く規定すると考えています。

 私はこの個人を対象とした社会的評価を主体と受け手によって大きく四つに分類しています。
  1.他者→他者
  2.他者→自己
  3.自己→他者
  4.自己→自己

 他者から他の他者へ自己の評価が行われる場合、これを私は「評判」と呼んでいます。自分の見えないところで自己への評価が行われているため、日本人は特にこれを恐れてきました。大抵の名誉と呼ばれるものも、結局は評判を守るための物であることが多いでしょう。

 他者から自己へ伝えられる評価、これを私は「面子」と呼んでいます。面と向かって自己に対する評価が行われるわけですから、悪い評価であった場合は直接的な侮辱となります。また、得られるはずの良い評価がないことも、相対的にマイナスであり、これを「面子が立たない」として非常に重視する場合があります。 

 自己から他者への評価、これを私は「自負」と呼んでいます。「自分は自分をこれだけ評価している」と他者に対して表明することですが、欧米社会では、積極的にこれを行って社会的評価を形成する傾向があります。一方、日本ではこうした意思表示はあまりされていません。

 最後のパターンが、自己に対する評価を自分自身で行って自分のうちに留めるものになります。自己の中で完結するため、社会的評価としてはかなり特殊な部類に入りますが、私はこれこそが「誇り」であると考えています。自己内部で純度を高めることが可能であるため、他者との関係において発生するものに対して質的に異なったものとなりえます。
 日本においては、「恥」によって自らの行動を戒めることが求められていましたが、他者からの評価のための行動と自らに誠実であるための行動は、本質的には大きく異なります。特に、観測者がいない場合においては、全く逆の行動をとることもありえます。自らに誠実であるように自らを規定し、初めて自らを誇れるようになる。他者と比べて、ではなく自らが許せるかどうか。これが「誇り」の本質であると私は考えています。

 また特殊な例として、神による評価というものがあります。欧米では、絶対的存在によって評価されると考えることにより、道徳が成立しています。

●恥とは
 恥とは、個人の中に存在し、自己への社会的評価を認識する枠組みであると私は考えています。社会的評価は目に見えないものであるため、認識の方法は社会によって大きく異なります。日本の社会においては、「恥」となる行動が観測されることによって、その人間の社会的評価の低下が認識されていました。
 この意味における「恥」は、個々の人間で異なっていては「社会的」な評価として成立しないので、社会集団において共有されます。その集団内部で、恥につながる行動が観測された場合、その行為者の社会的評価が低下することになります。
 また、「恥」は個人の中に存在するため、観測者と被観測者の双方にそれぞれ存在するため、一致しないことがありえます。特に異なった社会集団の間では共有されないことが多く、異文化交流を難しくする大きな要因になっていると言えるでしょう。


●なぜ誇りと恥が失われたか
 まず、誇りと恥の関連性ですが、ここでいう「誇り」は、社会的評価の特殊なものです。また、個人内部で完結するため、個人の社会的評価を決定する枠組みである「恥」に大きな影響を受けます。

 まず最初に失われたものは「恥」でしょう。その主な原因は二つあると考えています。
 第一に、社会集団の崩壊です。現代社会では、社会集団に「帰属する」という意識が非常に希薄になっています。たとえその社会集団から大きな利益を受けているとしても、自分がその一員であるとは考えないのです。その結果、その社会集団からの評価を無視するようになります。社会集団による評価の低下が自分の社会生活に影響を与えることを認識できないのです。これは、社会生活に対する想像力の低下ということもできます。自分を中心としてしか世界を認識できず、社会全体としての相互に発生する利益の循環を意識できないのです。
 第二に、異文化の流入があります。開国以来、異なった文化における社会的評価の枠組みが日本社会に流入し続けていたのですが、敗戦以後はそれが破壊的な方法で行われるようになりました。以前は日本的な枠組みと融合するように行われていたのに対し、敗戦後はそれを破壊して入ってくるようになりました。

 「誇り」が失われたことは、その前提となる「恥」が失われたことにもよります。しかし、それ以上に、自己を自ら評価し続けるという覚悟を日本人が失ってしまったことが大きいと私は考えています。自らを厳しく評価しても、直接社会的な利益が得られることはありまえせん。自らを律し続けるというのは、精神的に非常に辛いことです。水が低きに流れるように、自然の状態では続けることはできません。常に自らの内部に静かな炎を燃やし続ける覚悟が、何より必要だと思います。

●失われたものを取り戻すには
 「誇り」も「恥」も、個人の中に存在するものです。一度失われてしまえば、取り戻すのは容易ではありません。また、特に「誇り」は、他人に言われたからといって持てる持てるものではないと思います。まず、自分自身がそれを持ち続ける意思こそが重要なのだと、私は考えています。

飯島酋長 補選で惨敗

2005年05月04日 02時23分58秒 | Nohe
韓国与党、過半数回復に失敗 6補選すべて惨敗、盧政権に打撃

韓国がアレなのは前からですが、朝鮮日報の社説とかは比較的まともなときがあります。
国民世論的には、やはり飯島酋長ほどアレではないのでしょうか?

酋長は日本に対して外交的宣戦布告をしてみたり、運命共同体と言ってみたりするヘタレですが、
朝鮮日報等のかの国での保守メディアは、少なくとも日本が絡まない限りまともです。
日本が絡むとファビョーンなのは、中の人がリアルでそうなのではなく、
そう書かないと放火されるからなのでしょうw

飯島酋長は、反日という麻薬を使ったにも拘わらずこの結果になりました。
この先どうなるかは余談が許さないところです。

靖国神社春季例大祭OFF

2005年04月23日 23時40分55秒 | Nohe
こちらのOFF会に参加してまいりました。

【春夏】靖国神社参拝へいきませぬか?2【秋冬】
http://off3.2ch.net/test/read.cgi/offreg/1113181499/

参加人数は計15人でした。
昇殿参拝を行ったあと、遊就館の見学or喫茶店でニダニダしました。
その後何人かの方は帰られましたが、残りは千鳥ヶ淵の戦没者墓苑に向かいました。
しかし、その時点で既に17時を回っていたために墓苑内には入れず、
そのまま流れ解散となりました。
7名がそのままさくら水産になだれ込んで気勢を上げ、21時過ぎに解散しました。

今日は土曜日でしたが、それほど混雑はしていませんでした。
私は集合に遅れたためにヤマモトさんと2人で個人として参拝したのですが、
受付所は直後の昇殿を待つ10人ほどの方しかおらず、
やはり一般の方は8月15日の方を注目しているのかも、と思いました。
個人的には、春秋の例大祭の方が重要だと思うのですが。

ルールとは

2005年04月18日 23時57分55秒 | Nohe
http://off3.2ch.net/test/read.cgi/offevent/1108906744/883

883 名前:Nohe ◆NOHE18ozlA 投稿日:2005/04/18(月) 22:36:19 ID:BHMBLCPW0
>>882

私は、「ルールは、ルールであるから守らなければならない」のではなく、
「ルールは、守らなければならないからルールである」のだと思っています。

だから、守るべきだと思えば誰も見てなくても守りますし、
意味がないと思えばルールでも破ります。
もちろん、自分の責任において、ですが。
そういう意味では、「私」的な人間なんでしょうね。
本来は、ルールに意味がないと思えばルールの方を変えるべきなので、
それをしないで勝手に破っていては、何の説得力もないのでしょうが。

ただ、ルールというのは決められた理由が必ずあります。
それが理解できないうちは、守るべきかどうか判断できていないわけです。
そういうわけで、意味が分からないルールは守ります。

また、ルールの意味が分からないと、その目的を達成できないことがままあります。
そういうわけで、ルールの意味を考えるのは有益だと思いますね。

もちろん、形から入るのは非常に正しいことです。
まずはルールを身につけるのが先決ですし、
その場その場で意味を考えながら判断するのは無駄が大きすぎます。

そういう意味ではマニュアルに近い物だと私は捉えているのかもしれないです。
マニュアルは「うまくいくためにすべきこと」が主に書いてあるのに対し、
ルールは「それをするとまずいことが起こるので避けるべきこと」が書いてあるので、
方向性は逆だと思いますが。
そういう質的な違いをのぞけば、あとは量的な違いかなあ、と。

軍歌は良い物です。

2005年04月17日 01時53分56秒 | Nohe
本日(16日)、
 第二十四回大日本帝國陸海軍軍楽隊演奏會・陸海軍軍装の會
に行ってまいりました。
無名人さんから受け取らなければいけないものがあったので、
九段まで行ったんですが、チケットが余っているとのことでしたので、
半ば興味本位で参加させていただきました。

無名人さんと鍾馗さんが一緒に門脇先生にご挨拶した後、
しばらく聞きながらお話などしていたのですが、
お二人はお仕事があるとのことで先に退席されました。

私は特に予定がなかったので最後までいたんですが、結構楽しかったですよ。
確かに軍装マニアの方は何か勘違いしているような気もしますが、
余り気にしすぎても仕方ありませんし。
こういう特殊なイベントは楽しもうと思えば楽しめるものだと思います。
もちろん、元々軍歌が好きだというのもありますが(^^;

また、終了後に靖国神社にお参りいたしました。
心が清らかになり、明日への気力が沸きました。
ここに漂う神気は、私が知る限り伊勢神宮に次ぐものと思います。
と言っても、そんなにたくさんの神社にお参りしたことがあるわけでもないのですが。

返事が来ました(驚

2005年04月15日 22時40分09秒 | Nohe
Noheです。

昨日の晩、中国の反日運動の件で自分の選挙区の衆院議員にメールを出したんですが、
今日返事が来ていました。
民主党の中塚一宏議員ですね。
返事が来るとは思っていなかったので、かなり驚きです。

こちらが出したメールの趣旨は、
・中国との関係を損ねるのは国益に反するかもしれないが、暴力には毅然とした対応をすべき
・いたずらに譲歩しては、同種の事件が頻発する原因にもなる
・与党を叩くために外交を政争の具にすることはあってはならない

返事の大意は、
・反日デモが暴徒化しているのは異常な事態
・背景には中国政府が反日感情を煽っていることがある
・中共政府の統治能力が低下しているのではないか
・日本政府は毅然たる態度を取ると同時に、対話の糸口を模索するべき
というもので、至極まっとうです。
小沢氏に近い立場の方のようですので、ポリシーは保守派のようですね。

これからも機会を見てメールしてみようと思います。

国会議員にメールしました

2005年04月15日 01時22分37秒 | Nohe
Noheです。
先ほど、自分の選挙区の衆院議員に中国の反日運動に関するメールを出しました。

自民党の議員は、Webサイトを見る限りは保守派のようでしたので、
小泉首相の靖国参拝を支えるように「お願い」するメールを出しました。

民主党の議員は、元自由党で財政や金融畑が本職のようですが、
本人しかそのアドレスのメール見ない旨が書かれていましたので、
まあ見てもらえるのでしょう。
こちらは、外交を政争の具にするな、という趣旨のメールです。

ロビイストのまゆさんもメールは意外と有効であるというようなことを
仰っていたように思いますので、
これからも機会を見てメールを送っていきたいと思います。

極東のテロ国家が一気に倍増!

2005年04月12日 22時03分30秒 | Nohe
中国銀行事件はテロと非難 中国外務省副報道局長
 【北京12日共同】中国外務省の秦剛副報道局長は12日の定例会見で、中国銀行横浜支店が入居する横浜市中区のビルの窓ガラスが壊された事件について「テロ行為だ」と非難した。
 この事件では、中国各地で反日デモが相次いだ直後の10日、同ビルの玄関ガラス数枚にひびが入り、近くに金属製の球10数個が落ちているのが見つかった。反日デモに反発した嫌がらせとみられている。
 一方、在日中国大使館は12日、日本政府に対して同日までに、中国系施設と日本在住中国人の安全確保のため、適切な措置を取るよう申し入れたことを明らかにした。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050412-00000201-kyodo-int
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はぁ、テロですか。そうですか。
外国企業の窓ガラスを割るのはテロ行為だったんですね。
これで我が国と中国は、仲良くテロ国家の仲間入りですw

しかし、中国政府は何を考えて煽っているんでしょう?
適切な措置を取るように申し入れるのはお互い当然のことなんですが、
「テロ行為」という扇動的な発言をしては、中国の反日分子は燃え上がるばかりです。
中国政府は、あの集団の統制をとる自信があるんでしょうか?
既に暴力事件は起きていますから、このままだと死者が出る可能性は否定できません。
暴走して邦人に死者が出れば、日本の世論は一気に硬化するでしょう。
そうなれば、落とし所はお互いないわけです。

以前の日本の世論と政府であれば、腰砕けになったでしょうが、
今や風が変わりつつあります。
中国政府は今ボールが日本側にあると思っているようですが、
少なくとも小泉首相は無様な譲歩は政治的に不可能です。

だいたい、今回中国が日本の常任理事国入りをデモの対象にしているのが意味不明です。
いや、無効の国民感情からすれば反対なのは理解できるのですが、
国際政治上、国内で暴力的なデモが行われることがプラスになるとは思えないわけです。
ネガティブキャンペーンだったら、もう少し効果的な方法があるでしょうに。

靖国参拝に対する抗議カードに頼っているうちに、
どのカードをいつ切るのが効果的なのか見失ってしまったんでしょうかね?
韓国と違って、中国の上層部はもう少しまともだと思ってたんですが。。。

ともあれ、もはや経済的な関係も大きいわけで、無視できる情勢ではなさそうです。

桜が散ってしまいました

2005年04月11日 23時15分49秒 | Nohe
Noheです。

今日はあいにくの雨でした。
明日からも雨ですので、桜はすっかり散ってしまうのではないでしょうか。

無名之会のみなさんは、10日に極東花見OFFだったみたいですね。
私は行けませんでしたが、靖国の桜はどうでしたか?

でも花見をしなかったわけではなく、
8日の晩に多摩川台公園で会社の人と花見をしました。
風が吹くと少し寒かったですけれど、なかなか良かったですよ。

極端から極端へ

2005年04月08日 00時25分57秒 | Nohe
Noheです。

無名人さんWrote:
> 切羽詰った状態で選択を迫られた人々が、それこそ急激に極端な方向へ
> 表層的な冷静ならざる民意を切り替える可能性があります。
>
> それこそ、最も忌むべき存在であり、危険視すべきことではないでしょうか?

この危惧は、私も以前から抱いているものです。

浮動層は、いったん勢いがつくと雪崩のようにその方向に向かうでしょう。
それは歴史が証明していることです。

私の政治的立ち位置をたとえて言うと、
1.自衛力の存在は憲法に明記し、国軍化すべき
2.憲法9条の存在自体は残すべき
と言った物で、少し前までは上記1のみで右派と分類されていました。
しかし自民党の新憲法起草委員会は9条2項全面改正の方針になっています。
つまり、この主張が国民に十分受け入れられると判断しているわけで、
中道右派くらいになっていると言って良いでしょう。

しかし、この位置は国際的に言うと左派、せいぜい中道左派です。
戦争放棄などというのは、それだけ左派的な主張だと言うことです。
日本も十年後二十年後には、そのようになっている可能性も高いでしょう。

そのようになったとき、絶対的な立ち位置を変えないのは、
当初からある程度は右よりだった人間が多いのではないかと私は考えています。
時代の空気で左向きだった人間は、風向きが変わればどんな方向でも向くでしょう。
そういう意味では、今は丁度風向きが変わりつつある時期かもしれません。

このような状況を考えると、徒に風を煽るのは確かに危険かもしれません。
しかし、社会構造の変化や国際情勢などを鑑みるに、
座して緩やかな変化を待つ時間はもはや残されていないと思います。

だからこそ我々は、走り出さねばなりません。
しかし、先陣を切らんとするからこそ正しい方向に進む必要があり、
知識、見識、徳を高める努力を怠ってはいけないと思います。
個人でそれに困難が伴うならば、皆でそれをやっていければいいと思っています。