goo blog サービス終了のお知らせ 

謂われなき反日を語るBlog(仮運用中)

誇りと恥を。
小異に拘わり、大道を外す事なかれ。

金素梅 靖国に入れず

2005年06月16日 00時30分34秒 | ななよ
台湾より、高砂族の代表と偽りの看板を下げて金素梅が来日。靖国神社への抗議を行うということで迎え撃つために準備を始めました。


いよいよ当日(14日)

朝、外苑休憩所に到着。そこを本部とする。
無線機(神社内にメンバーが散るので連絡用)をつけ、8時半過ぎより各門の状況確認などで神社内を動き回り、本部に連絡を入れる。
正面~車引きまで、団体の方々や私服公安、制服警官の方々が待機。ただし空気としてはピリリとしながらも、温和な感じもありました。
9時過ぎ、門脇翁と会いアテンドにつくことに。大型バスが向かってくるも、国内の慰霊団だと
わかり本部に連絡を入れる。
9時半ごろ、金素梅が二松学舎前にて足止めを食っていると情報が入る。一気に緊張が高まる。
警察が引き返すようにと交渉中とのこと。

しばらくして、門脇翁より台湾のTVスタッフ(金素梅側ではなく、中立のメディア。門脇翁の取材に来日されていた)のアテンドの依頼を受けTVスタッフの側にいることに。彼ら日本語が片言なためその補助につく。
10時ごろ、TVスタッフが二松学舎前に移動。同行。
二松学舎前では、バス2台がとまっており、バスの前では金素梅がマイクパフォーマンス中。
本来ならライト側の方々の罵声もあるところだが、時折単発で「台湾に帰れ」という声が飛ぶ程度。
総じて緊張はありながらも、それほど現場は荒れていない。
バスの中から随行者からの声が荒げてくる。金素梅のスタッフ?が宣伝用のCDーROM?(もしかしたらDVD?)を配布。受け取ろうと思ったが、名刺との交換だということで断念。
日本人は歩道側に、金素梅は車道側にと、整然と区分けがされている。しばらくたち、警察も十分に喋らせたと判断したのか随行者をバスの中に誘導し、金素梅も乗車させ、Uターンを促す。

バス2台がUターンし永田町方面へ。
事前に入手した情報では、11時より記者会見とのことだが場所が不明。アテンドについているTVスタッフがタクシーを止めて乗車。私はタイミングが合わずに同乗が適わなかった。為、別のタクシーを拾い、TVスタッフのタクシーを追いかけることに。しかしタイミングが悪く、間に5~6台の車が入り、追いかけるタクシーをロスト。失態!

ロストを本部に報告し連絡を待つ。本部より「記者会見は霞ヶ関、弁護士会館」との情報が入り急遽タクシーで向かう。
弁護士会館に到着。金素梅一行のバスはまだ到着していない。しかしNHKから民放、新聞社などのプレスが多く固まっている。彼らの手元を見るとFAXが。どうやら金素梅サイドからマスコミに対して記者会見の事前情報が流れていた模様。(横目で見ただけなので発信者が誰かは不明。もしかしたら日本側の支援者だったのかも)
そうこうするうちに、バス2台が到着。唄をうたいながら横断幕を掲げ弁護士会館の前庭でこちら
向く。主張、記者会見の開始。

内容は前出なので割愛。
日本の悪行を示すための写真パネルがあったが、どれも南京大虐殺なみのキャプションつき。
生首と子供が写っている写真に「日本軍が子供の首狩を奨励」などなど。高砂の方々は野蛮とは言え、首狩も文化であることはそっちのけ。
見事に記者会見・抗議のためのアイテムを準備している。高砂の方々のお話は「静かに慰霊に来たが追い返された」・・・・って、おいおい、その準備の充実振りはなんなんだ?
ひとしきり抗議が終了したところで、マスコミからの質疑応答を受ける。が、マスコミ活発に質問しない。ネタとしてばれているのかマスコミのテンション低すぎ。カメラを回すのはテンションを持ってまわすが、質問がぐだぐだなのはお約束?
二松学舎の前でバスの中から声を荒げていたご老人(70歳前後?)は、少し離れた場所で日本人たちとにこやかに談笑中。カメラの前に立っていた人たち以外は、ゆるりとした雰囲気でもあった。
金素梅と通訳は必死。


しばらくたち「時間がなくなったので私たちは出発します」と、箱根の温泉に気持ちが奪われたのか、記者会見は終了。そそくさとバスに乗る。残るは日本側の支援者(雰囲気的にレフト側弁護士?)が代弁する。が、多くのマスコミは帰路に帰る模様。
台湾のTVスタッフを捕まえ、門脇翁が待つ靖国へタクシーで移動。到着は12時半くらいだったかな?
TVスタッフを門脇翁に合わせ、ミッション終了。翁とTVスタッフは別の取材場所へ。お見送りをする。
本部に戻り口から出た第一声が「飲み物!食い物!タバコ!」w
そういや、朝から何も食べてないし8時半からは飲み物、タバコも中断していた。食べて飲んで一服して全員で撤収開始。私は仕事場へ・・・・・・

日曜日からの3日間、かなり濃い時間を過ごしたことを思い出しながら、仕事に励む火曜日の午後。