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謂われなき反日を語るBlog(仮運用中)

誇りと恥を。
小異に拘わり、大道を外す事なかれ。

ファーストコンタクト

2005年05月15日 02時03分44秒 | ヤマモト
あれは平成15年の8月

先月やっていたTBS前の偏向報道抗議OFF
(玄海灘沖韓国船衝突事件をマスコミがスルーした件)
に参加しそびれた自分は、残念がっていた。参加すれば良かったと・・

そんな時、オフ板で玄海灘報道抗議オフとしてビラ配りをやるという
場所:京成線江戸川駅前(どこ?)
責任者:無名人(変な名前・・)
補足:当日は仕事が入ってるので、平行しながらオフに参加します。
   (何だかよくわからないけどまあいいか)
それで当日は現地近くに花火大会があり、多くの見物客が来るらしい。

ともかくオフ当日現地に向かう
当日は夏真っ盛り、ガンガンに日が照っていて、暑い暑い

初めて乗る路線でとまどいながらも昼過ぎに何とか到着(遠かった)

駅を出て、集合場所の駅前通りに出ると、道路の片側にゆかた姿(?)
バイト風の女の子3人組、その反対側に、スーツの男性一人、
私服の男性二人が段ボール箱を囲んで何やら話している。
(あれかな?)近づいていって、スーツの人に話しかけてみる。

自分「あ、あの・・」(2chのオフに不慣れなので恐る恐る話しかける)
スーツの人「えっ!!?」
何だかスーツの人は、びっくりしたようにまじまじとこっちを見る
(えっ!?な、何?)
自分「あ、あの、スレで参加表明したヤマモトですけど」
スーツの人「あっ!ああ、いや無名人です。」
「いやクライアントかと思って。びっくりした」
自分(何だよ、クライアントって)

段ボールには、ビラがぎっしり入っていた。
そのままじゃ配りにくそうなので二つ折りにする作業に入る。
そうこうしている間に、花火を見るため来た人々が続々と駅から出てくる。

無名人氏は、バイトらしいさっきの女の子達に、
配布用のうちわを渡している。
「早く終われば、早く帰れるからさ」
(仕事ってあれか・・)

女の子達がうちわを花火客に配り始めたので、
自分らも抗議用のビラを配ることにする
無名人氏が配布可能な範囲の説明をし
「何かあったら、自分を呼んで下さい」

3時ごろビラ配布開始。無名人氏は女の子と一緒にうちわを配る。

すでに、花火客で通りはあふれかえり、
露店も出てかなりの賑わいをみせている。
人手も多く、花火で気分が開放的になってるせいか
結構受け取り率は良い。

猛暑なので、うちわはかなりの勢いではけていく、
それに便乗してビラのはけも良い。
5時くらいに、まあまあ年配のリュックしょった
女性が飛び入り参加する。
凄いフットワークの良さでガンガン配っていく。
(素人の動きじゃない、すごいわ)

6時ごろ、うちわ配布を終えた無名人氏が女の子を帰して参加。
それからしばらくして、ビラ配り終了。配布数7、800枚くらいかな?

辺りも暗くなり、花火が打ち上がり始めた模様。
無名人氏が、ビールとやきとりをおごってくれて、
そのまま全員花火見物になだれ込む。

江戸川の土手で、ビールとやきとりをつまみに花火見物。
間近でみる花火はとても綺麗だった。

花火見ながら、マスコミの報道姿勢について語り合う。
普段こういうことあまり話せないだけに、楽しい。

花火終了までいると、電車が馬鹿混みするので先に退散することにする。
お疲れ様でした。


こんな感じでした。まあ思えば長い付き合いになったものです。






日本はこれ以上謝罪すべきではない

2005年05月12日 00時43分13秒 | ヤマモト
先のバンドン会議での、小泉首相の過去の日本の戦争に対する謝罪
正直あれは残念であった。
中共の反日政策を封じるためなのか。

確かに、国際社会には欧米メディアの一部にも過去の日本を断罪したがる勢力はいる。
しかしあえて言いたい、
日本はこれ以上謝罪すべきではない。

2001年のえひめ丸衝突事件、アメリカ側はほぼ全面的に責任を認め
パウエル国務長官は当時の河野外務大臣に対し電話で謝罪、ファロン海軍大将は大統領親書を携行して来日し、公式に日本側に対して謝罪している。

それからしばらくして、米紙メディアはこう主張している。

「謝罪はもう充分にした。アメリカはこれ以上謝罪すべきではない。」

考えてみれば、謝罪は一回すれば充分なはずなのだ。
ことあるごとに、いちいち謝っていたらきりがないではないか。
米メディアの主張は理解できるものである。

ましてや戦争ともなれば、お互いの利害がぶつかってのことである。
堂々と日本の言い分を主張すればいい。

日本各地を空襲し、広島・長崎に原爆を投下し非戦闘員を虐殺したアメリカも
中立条約を破り、満身創痍の日本に対して、満州で悪逆非道の限りを尽くしたロシアも

日本対して全く謝罪していない。

しかし、軍事戦略・外交戦略次第でそれが通ってしまうのが国際社会というものである。
日本人はいい加減に理解すべきなのだ。

小泉首相の謝罪戦略は、小細工に墜ちたというべきだろう。
過去の日本=悪のレッテルを覆すには、途方もない時間と労力を要するだろう。

後世のことを考えているのだろうか。

とても残念だ。



誇りとは何ぞや

2005年05月09日 23時45分53秒 | ヤマモト
前回の懇親会でくらさんと話していた時、くらさんが
「若い人に誇りを持って欲しい。日本は悪ではなかったのだと、
 日本に大義があったのだということを」
と言っていたのを聞いて、うーんと考え込んでしまった。

いや、くらさんの言っていることに異存があるのではない、諸手を挙げて賛成したいのだが

「誇り」という言葉でどうも引っかかってしまうのである。

誇りとは何か。過去の日本を正当化すれば誇りが持てるのか。それはどんな誇りなのか。

過去の日本が虐げられてきたとはいえ、それは過ぎたことである。
過ぎたことに拘って、誇り云々言うのは非生産的ではないのかとすら思うこともある。


若者の雇用問題、フリーターの増加は深刻な社会現象となっている。
自らの意志でフリーターになる者もいるが、正社員になれなくて仕方なく
フリーターをやっている者も多い。
「衣食足りて礼節を知る」と言うが、このような状況で若者が、愛国心や誇りが持てるのか
甚だ疑問である。

もちろん誇りを持つことは悪いことではない。健全な愛国心をもつのは大切なことだろうと思う。
日本の自虐っぷりも是非改めてもらいたい。

しかしそれ以上に、将来への指針を持つこと、ビジョンを描くことは重要であろう。