無名会から無明人へ

写真付きで興味をひかれたことなど語ってみたい。

逝きし友

2021-02-08 22:11:12 | 日記

2021年2月8日

昨日のことでした。夕方、友人KさんからWさんが亡くなったと電話をうけた。
膵臓がんで6日に亡くなられたとWさんのお嬢様からの連絡であった。
このコロナ禍で通夜と葬儀は内々で行うとのことだった。
突然の話であった。聞いたときはあまりの驚きで足下から背中まで寒気がして
総毛がゾワーとたった。何のこと?しばらく事柄が飲み込めなかった。

逝ってしまわれたWさんは私より年は3つ上。
子供の幼稚園の送り迎えで出会ったのがはじめ。

その後、共通の習い事(習字)で4人グループができあがり
指導してくださる先生を招いて指導を受け、
後はかわりばんこにお昼を用意して
お互いの家で食べ合ったりした。
習字は条幅を書いて展覧会に出品したり、

(鳩居堂では3回位ミニ展などして)10年ぐらい続いたかな・・。
先生が高齢となり習字会は存続しなかったが、
そのグループの付き合いは、ずーっと続いていた。
九州や京都、越前や能登や金沢、軽井沢、箱根等を満喫した。
東北の桜の名所巡りの旅行なども楽しみ、35年以上の付き合いでした。
春の桜を楽しむ集まりや忘年会は毎年の恒例。
おいしそうなレストランを探し出すのも得意な彼女。
Wさんのご主人は7年前に亡くなられその後は二世帯住宅を作られて
息子さん夫婦はお二階にと住まわれてました。 
彼女はひとりになられて旅行(私から見ると世界の辺鄙な場所に)を楽しまれていた。

モンゴル、アフリカの砂漠、ノルウェーのオーロラ、マチュピチュ遺跡 など・・。
4人のうちのもう一人先輩に当たるSさんのご主人も去年、薬効なく逝かれた。
Sさんへの寒中お見舞いを出したばかりなのに、Wさんまで逝ってしまうとは・・・。

あまりにも突然で。どうして前々に教えてくれなかったのか?
恨めしい気持ちがいっぱいだ。励ましたかった!
私たちをリードして引っ張ってくれた。旅行計画などは彼女に頼りきりだった。
せめて感謝の気持ちを伝えたかったのに・・・。通夜にもお葬式にも行けないなんて。

彼女は女々しいことが嫌いな性格で決断は早いほうだった。
先に亡くなられたご主人は長く透析をされていたが
その彼を連れてヨーロッパ旅行を何回もしていた。
フランスとかオランダとか行く先々で透析の準備を手配して旅行を楽しんでいた。
コロナ禍で行き来は自粛なのでこの一年4人は会うことはなかった。
11月にlineのメールを見たが病気のことは一切感じさせる物はなかった。
自分の弱い部分は見せない人ではあったが・・・。
自分の心の中でがんを受け入れて他人には言わず戦ってきたのだろうか?
一人で自問自答の病魔との戦い!
生への執着をどうやって処理していたのだろう・・・。
   あまりにも切ない・・・。
  

ここで先輩にお礼の言葉を言わせていただきます。
     「
ありがとうございました。」

                   合掌


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