ちゃんと物事を見ておられる方がいる.........
追記:この記事はかなりおいらの主観が入っていますので間違っていることは明白です。
その事を踏まえた上でお読みください。
昨日聞いた話は燃え尽き症候群に陥り鬱病になる原因になった仕事を辞めて引きこもりになったばかりの時の話でした。
母上から聞いたんですが、仕事先の皆さんは大変に困ったようです。
「仕事を辞めたい」と言うことはあの仕事を始めて半年で言いました。
確かなことはあの仕事は自分にあっておらず、ハードなモノだったということでしょう。
隣の町の配達をしている人(B)とたまにあったのですが、配達の量が全く違いました。
そして1日の給料が彼は1万円でおいらは8000円だったんですな。
配達量は彼のもっとも沢山はこぶ日の5倍はあったはずです。
今から考えると多い日の配達量は人一人で行う仕事ではないような仕事量でした。
夏場はビールの大瓶が100ケース以上で、これ以上の時もありました。
記憶の中では最高220ケースぐらいあったと思います。
余りに多い場合は2回に分けて運びました。
大口の注文があるところにまず沢山持って行き、後のところは2回目に積んだんですな。
とか積んで、更に缶ビールの500mlとか350mlなども100箱ぐらい、生ビールの樽10本など細かなモノを入れるとかなりの量を運んでいました。
カートン単位で積み込むことは普通で効率よく積み込むには不可欠でした。
酒屋の配達は行きだけではありません。
帰りにも空瓶を積んで帰り、それを降ろさなければならないわけです。
空瓶の最高数は200ケースを超える日もあったと記憶しています。
それが当たり前だったので消耗していきました。
一日単位で考えるのであれば「やりがいのある仕事」、「達成感のある仕事」だと思うのかも知れません。
しかし他の卸の配達を見ていると2人分は運んでいる勘定になります。
その上に非常に効率よく配達して、休憩もせずに帰りましたから、町内の配達も手伝うことがありました。
町内の配達は別の人の担当です。
ということから3人分の仕事をしていたということですな。
「真面目に仕事をしたモノが損をする」事に疑問を感じていたんですよ。
休憩しようと思えばいくらでも出来ましたし、休憩しても良いぐらいの仕事量を行っていたことは明白です。
助言を良く頂いた○老と一緒に配達に行ったことがありました。
彼の仕事をおいらが引き継いで仕事をする事になったわけです。
おいらの基準で見ると何をのらりくらりやってるのだろうと感じましたな。
この○老は仕事をするのであれば「後釜が決まってから辞めなさい」とか「急に仕事を辞めてはいけない」とか言っていました。
よっておいらは1年も待ったわけです。
6ヶ月で仕事が向いていない事がわかりましたし、店長のやり方にはついて行けないことも解りました。
商売人というのはケチだというのは解りきっている事ですが、異常なほどにケチなんですな。
おいらの町の人を兪やする言葉として「Uwaの人間が通った後には雑草も残らない」という言葉があります。
でも外面では取り繕い見栄を張るんですな。
おいらが生理的にもっとも受け付けない人間が多いということです。
確かにお金を使うことを制限することは大変良いことです。
しかし限度というモノがあるでしょう。
最低限のマナーとでも言えばいいのでしょうかね。
言ったことを行うことは常識ですが、おいらの町では対外的にいい顔をして実際には何も行っていないということが普通に行われています。
例えば「お茶をお客さんに出すときには絶対にお茶っぱを新しいのに変える」と言っていた人の家にいった際に出されたお茶は出がらしの出がらしであったりします。
お茶の色が出ないぐらいに飲むお茶というのはお茶と言うよりは「お茶っぽいお湯」というよりも「お湯っぽいお茶」といってもいいぐらいでした。(笑)
普通に考えるとこのようなお茶を恥ずかしげもなく出す事が恥ずかしくないのかな~とさえ思ったぐらいです。
話がずれましたな。
んで「あしたのジョー」のように真っ黒になってしまったわけです。
もう心からは何も湧いてこず、生まれてきたことを憎むようになりました。
だから白ではなく黒なんですな。
おいらは全てのことにおいて「Yes Man」でした。
納得できないことでも、自分のしたくないことでも、嫌なことでも従っていました。
都合の良い人間を手元に置いておく事は誰でもやりたいことでしょう。
面倒なことを全て引き受けてくれるならなおさらです。
そしてある日に家を出て仕事場に向かうつもりでしたが、とうとう限界が来て運動公園の駐車場で車の中ハンドルを持って下を向いたまま動かなくなりました。
何も考えられず、迷惑をかけることに罪を感じ、死ぬしかないと考えていました。
今から考えると「過労による事故」を数ヶ月前にして、それを給料から天引きされていました。
この事故の原因はどう考えても過労です。
責任転嫁するようなのですが、Overworkに次ぐOverworkでにっちもさっちもいかない状態は明らかでした。
選択の自由を放棄していた自分自身を呪い、自分のふがいなさを恨みました。
そして辞める事を伝えたら、事故で被った借金を全て払えと言われたんですな。
もちろんおいらはそんなお金を持っていない事を知っている上で店長は現金で払えと言ったわけです。
それで次の日に運動公園で動けなくなり、心のギリギリまで張り詰めていた弦が切れたのです。
よくよく考えると事故で被った借金というのはおいらが働いた仕事量と給料を考えると2ヶ月もあれば払えてしまう金額でした。
普通の人の2人分もしくはそれ以上の仕事は毎日のようにしていましたし、少なく見積もっても3人分の仕事量は1週間に1回はありましたからね~。
んで仕事を辞めました。
すると困ったのは良く助言を行っていたパリサイ人です。
彼の言い分では「仕事を急に辞めてはいけない」という事でした。
ということでおいらの仕事を理解し、実行できるのは彼しかいませんでした。
ここで問題があったようです。
おいらと同じ量の仕事を課されたようなんですな。
つまり彼の理解を超えた仕事量だったことは容易に想像できます。
多分彼の見積もりの倍以上の仕事量だったはずです。
結局彼は2ヶ月ほどで仕事を辞めて、実家に帰ってしまいましたとさ......
おいらは1年間仕事の後釜が来るのを待って頑張っていたのに彼は2ヶ月も持たずに根をあげて辞めたのです。
まあね。
彼の精神態度は問題がありましたよ。
書司やパリサイ人のように言う事は立派でした。
しかし行動が伴っていなかったんですな。
他の人には言いたい事を言っておきながら自分には甘いというおいらの見解では最低なランクの人間でした。
もちろんその遙か下においらがいるのですがね。
んである日にすごく顔色の悪い日があったらしく、どうしたのかある人が尋ねたらしいのです。
すると「仕事が大変なんですよ」という返事が返ってきたらしいですな。
おいらに課されていた仕事量を急に回されると困った事でしょうな。
あれだけ運んで疲れない人間はかなり屈強な人間でしょう。
普通の人であれば1回行うと1週間は動けないぐらいの仕事量のはずです。
また彼が回っていたおいらが引き継いた当時よりも仕事量が増えているはずでしたので疲れ切ってしまう事は明白でした。
彼は身をもって味わった事でしょうな。
どんだけ大変な仕事をしていたのかが解った事でしょう。
しかし彼は他の人間を平衡の取れた見方で評価できる人ではありませんでした。
自分が言っていた事を実際に自分でする立場になってその大変さから逃れられないという状況はつらいモノですからね~。
んでおいらに世知辛く言っていた「いきなり仕事を辞めてはいけない」という事と「後釜が決まってから辞めなさい」という言葉を実行せずに仕事を辞めました。
結果、逃げ帰るように実家に帰って行きましたな.......
気の毒といえば気の毒です。
そして少数の人からしか感謝されずに帰って行ったんですから余計にそうでしょう。
「人は自分の蒔いたモノから刈り取る」という言葉はまさに真実なのだと感じましたな。
今日は聞いたお話を書いてみます。
隣の隣の町にも独善的な○老がおられました。
そんな○老に苦しめられている人がたくさん居ました。
おいらと一緒に仕事していた○老と同じぐらいだったようです。
普通の集会や奉仕活動などで一緒だっただけならそれほど大変な思いをしなかったはずですけどね。
おいらの場合は私生活や仕事まで干渉してきましたからな。
理想論者であり、実際には行動が伴っていない人間というのは多いですよね。
また平衡の取れた評価の出来る人間というのは非常に少なく感じます。
え~っと、この○老はかなりの鬱旋風を巻き起こしていました。
会衆の大半をどん底に落とし、「自分は価値のない人間なんだ」と言うことを思い至らしめていたようなんですな。
また人選もおかしいことばかりで、彼の独断と偏見だけで物事を運んでいたようです。
つまり会衆を私物化していたんですな。
これは僭越以外の何者でもありません。
自分の分以上の栄光を求め、神に帰すべき栄光を自分に帰せていたのですからね~。
よって飛ばされることになったようです。
協会から直で電話があったようです。
おいらは手紙で移動というのは聞いたことがありますが、直で電話というのは聴いたことがありません。
よってかなり切迫した事態だったのでしょう。
彼によって教えられた若者たちの自尊心を培うための方法のバックボーン薄さには驚きました。
おいらは多少は平衡の取れた見方をするようになってきましたが、おいらが開○者の時に当然行うべき事だと考えていたことを誇っていたからです。
以前に「ある兄弟との会話」で書いた人が彼に教えられた人なんですが、どうも話の内容がずれていることを感じました。
おいらからすれば当然のことを行い、それによって自尊心を保つことに疑問を感じるわけですよ。
でもこれを言うと彼の行いを否定することになり、余計に怒らせてしまうことは解りきっていましたからね~。
少なくともするべき基本的なことを誇っていることに「すごいな~」とか感じなかったんですな。
ある意味でそれで誇れるのであれば真面目にクリスチャンをやっている人は全員誇るべき理由となるはずです。
しかし聖書には誇る理由として「神に関してのみ誇る」べきであることが書かれています。
まあね。
個○○究も「神に関して」の内にはいるのですが、みんなやっていることを自分だけがやっているという言い方をしていたので問題があると感じたんですな。
昔に交わっていた人たちもかなり彼の矯正により様変わりしました。
ある意味で効果的な教え手のようですが、良い教え手というのは動機に訴えるような教え方をするはずで、人の自尊心をはぎ取っていくようにして効果的に教える事には問題があります。
最後に書いておかなければならないことは、移動してもなんの解決にもならないと言うことでしょう。
問題の根本原因を無くさなければ、どこに行っても同じ問題が発生することは明白です。
そして必要なのは自分が犯した罪を理解した上での「謝罪の言葉」であるはずです。
悪いところがあるのであればすぐに謝る事の出来る人間でありたいと願っているmumu.comでした。
この記事はかなりおいらの主観が入っていますので間違っていることは明白です。
その事を踏まえた上でお読みください。
追記:この記事はかなりおいらの主観が入っていますので間違っていることは明白です。
その事を踏まえた上でお読みください。
昨日聞いた話は燃え尽き症候群に陥り鬱病になる原因になった仕事を辞めて引きこもりになったばかりの時の話でした。
母上から聞いたんですが、仕事先の皆さんは大変に困ったようです。
「仕事を辞めたい」と言うことはあの仕事を始めて半年で言いました。
確かなことはあの仕事は自分にあっておらず、ハードなモノだったということでしょう。
隣の町の配達をしている人(B)とたまにあったのですが、配達の量が全く違いました。
そして1日の給料が彼は1万円でおいらは8000円だったんですな。
配達量は彼のもっとも沢山はこぶ日の5倍はあったはずです。
今から考えると多い日の配達量は人一人で行う仕事ではないような仕事量でした。
夏場はビールの大瓶が100ケース以上で、これ以上の時もありました。
記憶の中では最高220ケースぐらいあったと思います。
余りに多い場合は2回に分けて運びました。
大口の注文があるところにまず沢山持って行き、後のところは2回目に積んだんですな。
とか積んで、更に缶ビールの500mlとか350mlなども100箱ぐらい、生ビールの樽10本など細かなモノを入れるとかなりの量を運んでいました。
カートン単位で積み込むことは普通で効率よく積み込むには不可欠でした。
酒屋の配達は行きだけではありません。
帰りにも空瓶を積んで帰り、それを降ろさなければならないわけです。
空瓶の最高数は200ケースを超える日もあったと記憶しています。
それが当たり前だったので消耗していきました。
一日単位で考えるのであれば「やりがいのある仕事」、「達成感のある仕事」だと思うのかも知れません。
しかし他の卸の配達を見ていると2人分は運んでいる勘定になります。
その上に非常に効率よく配達して、休憩もせずに帰りましたから、町内の配達も手伝うことがありました。
町内の配達は別の人の担当です。
ということから3人分の仕事をしていたということですな。
「真面目に仕事をしたモノが損をする」事に疑問を感じていたんですよ。
休憩しようと思えばいくらでも出来ましたし、休憩しても良いぐらいの仕事量を行っていたことは明白です。
助言を良く頂いた○老と一緒に配達に行ったことがありました。
彼の仕事をおいらが引き継いで仕事をする事になったわけです。
おいらの基準で見ると何をのらりくらりやってるのだろうと感じましたな。
この○老は仕事をするのであれば「後釜が決まってから辞めなさい」とか「急に仕事を辞めてはいけない」とか言っていました。
よっておいらは1年も待ったわけです。
6ヶ月で仕事が向いていない事がわかりましたし、店長のやり方にはついて行けないことも解りました。
商売人というのはケチだというのは解りきっている事ですが、異常なほどにケチなんですな。
おいらの町の人を兪やする言葉として「Uwaの人間が通った後には雑草も残らない」という言葉があります。
でも外面では取り繕い見栄を張るんですな。
おいらが生理的にもっとも受け付けない人間が多いということです。
確かにお金を使うことを制限することは大変良いことです。
しかし限度というモノがあるでしょう。
最低限のマナーとでも言えばいいのでしょうかね。
言ったことを行うことは常識ですが、おいらの町では対外的にいい顔をして実際には何も行っていないということが普通に行われています。
例えば「お茶をお客さんに出すときには絶対にお茶っぱを新しいのに変える」と言っていた人の家にいった際に出されたお茶は出がらしの出がらしであったりします。
お茶の色が出ないぐらいに飲むお茶というのはお茶と言うよりは「お茶っぽいお湯」というよりも「お湯っぽいお茶」といってもいいぐらいでした。(笑)
普通に考えるとこのようなお茶を恥ずかしげもなく出す事が恥ずかしくないのかな~とさえ思ったぐらいです。
話がずれましたな。
んで「あしたのジョー」のように真っ黒になってしまったわけです。
もう心からは何も湧いてこず、生まれてきたことを憎むようになりました。
だから白ではなく黒なんですな。
おいらは全てのことにおいて「Yes Man」でした。
納得できないことでも、自分のしたくないことでも、嫌なことでも従っていました。
都合の良い人間を手元に置いておく事は誰でもやりたいことでしょう。
面倒なことを全て引き受けてくれるならなおさらです。
そしてある日に家を出て仕事場に向かうつもりでしたが、とうとう限界が来て運動公園の駐車場で車の中ハンドルを持って下を向いたまま動かなくなりました。
何も考えられず、迷惑をかけることに罪を感じ、死ぬしかないと考えていました。
今から考えると「過労による事故」を数ヶ月前にして、それを給料から天引きされていました。
この事故の原因はどう考えても過労です。
責任転嫁するようなのですが、Overworkに次ぐOverworkでにっちもさっちもいかない状態は明らかでした。
選択の自由を放棄していた自分自身を呪い、自分のふがいなさを恨みました。
そして辞める事を伝えたら、事故で被った借金を全て払えと言われたんですな。
もちろんおいらはそんなお金を持っていない事を知っている上で店長は現金で払えと言ったわけです。
それで次の日に運動公園で動けなくなり、心のギリギリまで張り詰めていた弦が切れたのです。
よくよく考えると事故で被った借金というのはおいらが働いた仕事量と給料を考えると2ヶ月もあれば払えてしまう金額でした。
普通の人の2人分もしくはそれ以上の仕事は毎日のようにしていましたし、少なく見積もっても3人分の仕事量は1週間に1回はありましたからね~。
んで仕事を辞めました。
すると困ったのは良く助言を行っていたパリサイ人です。
彼の言い分では「仕事を急に辞めてはいけない」という事でした。
ということでおいらの仕事を理解し、実行できるのは彼しかいませんでした。
ここで問題があったようです。
おいらと同じ量の仕事を課されたようなんですな。
つまり彼の理解を超えた仕事量だったことは容易に想像できます。
多分彼の見積もりの倍以上の仕事量だったはずです。
結局彼は2ヶ月ほどで仕事を辞めて、実家に帰ってしまいましたとさ......
おいらは1年間仕事の後釜が来るのを待って頑張っていたのに彼は2ヶ月も持たずに根をあげて辞めたのです。
まあね。
彼の精神態度は問題がありましたよ。
書司やパリサイ人のように言う事は立派でした。
しかし行動が伴っていなかったんですな。
他の人には言いたい事を言っておきながら自分には甘いというおいらの見解では最低なランクの人間でした。
もちろんその遙か下においらがいるのですがね。
んである日にすごく顔色の悪い日があったらしく、どうしたのかある人が尋ねたらしいのです。
すると「仕事が大変なんですよ」という返事が返ってきたらしいですな。
おいらに課されていた仕事量を急に回されると困った事でしょうな。
あれだけ運んで疲れない人間はかなり屈強な人間でしょう。
普通の人であれば1回行うと1週間は動けないぐらいの仕事量のはずです。
また彼が回っていたおいらが引き継いた当時よりも仕事量が増えているはずでしたので疲れ切ってしまう事は明白でした。
彼は身をもって味わった事でしょうな。
どんだけ大変な仕事をしていたのかが解った事でしょう。
しかし彼は他の人間を平衡の取れた見方で評価できる人ではありませんでした。
自分が言っていた事を実際に自分でする立場になってその大変さから逃れられないという状況はつらいモノですからね~。
んでおいらに世知辛く言っていた「いきなり仕事を辞めてはいけない」という事と「後釜が決まってから辞めなさい」という言葉を実行せずに仕事を辞めました。
結果、逃げ帰るように実家に帰って行きましたな.......
気の毒といえば気の毒です。
そして少数の人からしか感謝されずに帰って行ったんですから余計にそうでしょう。
「人は自分の蒔いたモノから刈り取る」という言葉はまさに真実なのだと感じましたな。
今日は聞いたお話を書いてみます。
隣の隣の町にも独善的な○老がおられました。
そんな○老に苦しめられている人がたくさん居ました。
おいらと一緒に仕事していた○老と同じぐらいだったようです。
普通の集会や奉仕活動などで一緒だっただけならそれほど大変な思いをしなかったはずですけどね。
おいらの場合は私生活や仕事まで干渉してきましたからな。
理想論者であり、実際には行動が伴っていない人間というのは多いですよね。
また平衡の取れた評価の出来る人間というのは非常に少なく感じます。
え~っと、この○老はかなりの鬱旋風を巻き起こしていました。
会衆の大半をどん底に落とし、「自分は価値のない人間なんだ」と言うことを思い至らしめていたようなんですな。
また人選もおかしいことばかりで、彼の独断と偏見だけで物事を運んでいたようです。
つまり会衆を私物化していたんですな。
これは僭越以外の何者でもありません。
自分の分以上の栄光を求め、神に帰すべき栄光を自分に帰せていたのですからね~。
よって飛ばされることになったようです。
協会から直で電話があったようです。
おいらは手紙で移動というのは聞いたことがありますが、直で電話というのは聴いたことがありません。
よってかなり切迫した事態だったのでしょう。
彼によって教えられた若者たちの自尊心を培うための方法のバックボーン薄さには驚きました。
おいらは多少は平衡の取れた見方をするようになってきましたが、おいらが開○者の時に当然行うべき事だと考えていたことを誇っていたからです。
以前に「ある兄弟との会話」で書いた人が彼に教えられた人なんですが、どうも話の内容がずれていることを感じました。
おいらからすれば当然のことを行い、それによって自尊心を保つことに疑問を感じるわけですよ。
でもこれを言うと彼の行いを否定することになり、余計に怒らせてしまうことは解りきっていましたからね~。
少なくともするべき基本的なことを誇っていることに「すごいな~」とか感じなかったんですな。
ある意味でそれで誇れるのであれば真面目にクリスチャンをやっている人は全員誇るべき理由となるはずです。
しかし聖書には誇る理由として「神に関してのみ誇る」べきであることが書かれています。
まあね。
個○○究も「神に関して」の内にはいるのですが、みんなやっていることを自分だけがやっているという言い方をしていたので問題があると感じたんですな。
昔に交わっていた人たちもかなり彼の矯正により様変わりしました。
ある意味で効果的な教え手のようですが、良い教え手というのは動機に訴えるような教え方をするはずで、人の自尊心をはぎ取っていくようにして効果的に教える事には問題があります。
最後に書いておかなければならないことは、移動してもなんの解決にもならないと言うことでしょう。
問題の根本原因を無くさなければ、どこに行っても同じ問題が発生することは明白です。
そして必要なのは自分が犯した罪を理解した上での「謝罪の言葉」であるはずです。
悪いところがあるのであればすぐに謝る事の出来る人間でありたいと願っているmumu.comでした。
この記事はかなりおいらの主観が入っていますので間違っていることは明白です。
その事を踏まえた上でお読みください。