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囲碁と京都御所紫宸殿 

2021年03月28日 23時11分28秒 |  京都御所 源氏物語五十四帖紙芝居
2009年11月9日 京都御所にて撮影

2009年11月10日 静かな快晴です。
おはようございます。お元気ですか。
天皇陛下ご即位20年記念京都御所特別公開へ
昨日いってきました。
今日は御所紫宸殿をご紹介します。
即位礼などの重要な儀式を執り行う最も格式高い正殿です。
入母屋桧皮葺の高床式宮殿建築。
向かって右に、左近の桜。
大正天皇 昭和天皇 の即位礼がここで執り行われました。
最初の写真は東側です。
内侍(女官)が親王 公卿等に昇殿するように
檜扇をかざして合図しています。


2枚目は南からの全景です。

        
3枚目は紫宸殿の中央です。
中央に天皇の御座「高御座」その東に皇后の御座「御張台」
高御座は、朱塗りの高欄を巡らした浜床の上に
八角形の屋形があり、屋形の上には大鳳凰、
御張台の屋形の上には、鸞鳥(らんちょう)が載っています。


        
4枚目は南西からです。右近の橘の木があります。

    
5枚目は西側です。西階進御膳 御膳宿ともいい、
節会の時は御膳具が準備され、
ここから采女(うねめ)と呼ばれる女官が
紫宸殿の母屋へ御膳を運びます。


囲碁と京都御所御学問所

2021年03月28日 23時10分53秒 |  京都御所 源氏物語五十四帖紙芝居
2009年11月9日 京都御所にて撮影

2009年11月11日 しとしと雨降りです。
おはようございます。お元気ですか。
今日は京都御所御学問所をご紹介します。
御学問所
入母屋桧皮葺の書院造りで、学問だけでなく
和歌の会、摂関家・大臣・親王との対面の場所にも使われた。
威儀者、威儀物捧持者姿の人形が凛々しく迎え立つ。



囲碁と京都御所皇后宮御常御殿

2021年03月28日 23時10分17秒 |  京都御所 源氏物語五十四帖紙芝居
2009年11月9日京都御所皇后宮御常御殿の西側にて撮影

2009年11月12日 曇りです
おはようございます。お元気ですか。
今日は皇后宮御常御殿の西側をご紹介します。
束帯・・・男性の正装
十二単(五衣唐衣装)・・・女性の正装
(五衣唐衣装は、江戸時代に俗称として、
「十二単」と、呼ばれるようになりました)

 
二階厨子
二階になった棚の下に両開きの扉のある脚付きの棚で、
梨地高蒔絵螺鈿桐竹鳳凰模様が施され、
清涼殿、西廂朝餉間で使用されていました。



囲碁と京都御所皇后宮御常御殿2

2021年03月28日 23時08分44秒 |  京都御所 源氏物語五十四帖紙芝居
2009年11月9日皇后宮御常御殿にて撮影

2009年11月15日雨上がり快晴になりました。
おはようございます。お元気ですか。
今日は皇后宮御常御殿をご紹介します。
皇后あるいは女御が日常のお住まいとして使用された御殿で
内部は13室からなりル入母屋桧皮葺の書院造りの建物です。
昭憲皇太后(明治天皇の皇后)の住んでいた御殿です。

上の図は東側襖絵 下は東側入り口です。



囲碁と京都御所若宮姫宮御殿

2021年03月28日 23時08分10秒 |  京都御所 源氏物語五十四帖紙芝居
2009年11月9日 京都御所にて撮影

2009年11月16日 曇り静かです。
おはようございます。お元気ですか。
今日は はじめに若宮姫宮御殿南側をご紹介します。
明治天皇の御幼少の頃住んでいたところです。

 
次は若宮姫宮御殿北側です。

 
3枚目は若宮姫宮御殿西側の襖絵をご紹介します。
 

囲碁と京都御所御車寄

2021年03月28日 23時07分40秒 |  京都御所 源氏物語五十四帖紙芝居



2009年11月9日京都御所にて撮影

2009年11月18日 快晴静寂です。
おはようございます。お元気ですか。
今日は京都御所御車寄をご紹介します。
昇殿を許された者が、正式に参内する時の玄関。 
檜瓦葺の優雅な屋根の反り。
正面には、美しい花が生けられている。



囲碁と京都御所特別公開展示物太刀弓矢

2021年03月28日 23時05分07秒 |  京都御所 源氏物語五十四帖紙芝居
   
威儀物 即位の礼にあたって、儀式の威儀を整えるための物 弓・矢。
                 
弓・矢に関連して 私がいただいたた弓のトロフィーを載せました。
昭和57年4月29日 小浜市営弓道場開設記念第1回弓道大会に
京都府 石川県 福井県から招待された 腕に自信のある高段者等
150人で競い合い 頂点に立っていただきました。懐かしいです。

     
威儀物 即位の礼にあたって、儀式の威儀を整えるための物 太刀


囲碁と京都御所特別展示品矛盾と鼓鉦

2021年03月28日 22時50分27秒 |  京都御所 源氏物語五十四帖紙芝居
        
2009年11月9日京都御所にて撮影

2009年11月22日 静かな快晴です。
長男が帰って来ていて雪つりをしてくれています。
今日も京都御所特別展示品 威儀物 
即位の礼にあたって、儀式の威儀を整えるための物
矛盾をご紹介します。

        
威儀物 即位の礼にあたって、儀式の威儀を整えるための物 
鼓鉦をご紹介します。


囲碁と京都御所清涼殿

2021年03月28日 22時49分07秒 |  京都御所 源氏物語五十四帖紙芝居
 
2009年11月9日京都御所清涼殿東側にて撮影

2009年11月23日 快晴の 勤労感謝の日です。
おはようございます。お元気ですか。
今日は京都御所清涼殿をご紹介します。
屋根は檜皮葺の入母屋造。正面は東で、
東庭の北に呉竹の台、南に河竹台がある。
紫宸殿が儀式を行う殿舎であるのに対し、
天皇の日常生活の居所として平安時代使用された。
ただし平安時代初期は仁寿殿や常寧殿が使用されたが、
中期頃には清涼殿がもっぱら天皇の御殿となった。
日常の政務の他、四方拝・叙位・除目などの行事も行われた。

 
清涼殿全景です


囲碁と京都御所小御所

2021年03月28日 22時48分25秒 |  京都御所 源氏物語五十四帖紙芝居
 
2009年11月9日小御所南側より撮影 書院造りと寝殿造りの融合

2009年11月24日 静かな快晴です。
おはようございます。お元気ですか。
御元服御殿ともいいます。東宮御元服、
立太子の儀式など皇太子の儀式が行われた所です。
明治維新の有名な「小御所会議」もここで行われました。

 
東側襖絵です。

小御所は平安内裏にはありませんでしたが、
源頼朝の世子の呼称であったものを
1251年の再建時に採り入れ造営されました


囲碁と 京都御所 朔平門 玄輝門

2021年03月28日 22時45分54秒 |  京都御所 源氏物語五十四帖紙芝居
        
2009年11月9日撮影

2009年11月25日 快晴です。
今日は飛香舎の近くの門をご紹介します。
朔平門(さくへいもん) 御所の最北 中央にある門です。
左側に屋根が写っているのが玄輝門です。

        
玄輝門(げんきもん) 丹塗りがポイントの門。
朔平門の内側にある門です。


囲碁と 京都御所 建礼門

2021年03月28日 22時45分30秒 |  京都御所 源氏物語五十四帖紙芝居
 
2009年11月9日 京都御所 建礼門外より撮影

2009年11月26日 快晴です。
おはようございます。お元気ですか。
今日は京都御所最も南の門 建礼門をご紹介します。
内裏の南正面にあり、内郭の承明門と相対する。
東西の築墻はそれぞれ39間で、その両端に春華門および修明門があり、
門外の東西に杖舎を設け、舎前に炬火を焼き、
左右の兵衛がこれを警固した。
白馬節会がこの門前で行われた事から「青馬陣」ともいい、
内裏の南にあるから「南端門」ともいい、
外郭にあるから「外門」ともいい、
「南面僻杖中門」ともいった。
構造としては檜皮葺、 切妻屋根の角柱の四脚門である。
京都御所南面正門は建礼門である。

           
御所の平面図です。

        
平安京内裏図もご紹介します。

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囲碁と源氏物語五十四帖押絵展 1・2・3・4.・5・6帖

2021年03月26日 07時56分33秒 |  京都御所 源氏物語五十四帖紙芝居
京都御所の ご紹介にちなんで
今日から源氏物語五十四帖押絵展の作品と
源氏物語の超粗筋を9回に分けて ご紹介します。
押し絵はすべて2008年7月31日に撮影しました。
超粗筋は篠崎 辰夫さんの文章をお借りしました。
押し絵の下に 巻番号タイトルと 超粗筋を示します。

        
第一帖 桐 壷 ↑ この帖から第33帖まで第1部です。
物語は、原文では
「いずれの御時(おほんとき)にか女御(にょうご)更衣(こうい)あまたさぶろひたまひけるなかに、
いとやむごとなき際(きは)にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり・・・・」
という書き出しで、一人の帝(みかど)を指して語り始めます。
帝とは、天皇のことで、物語ではその後四代にわたる帝が登場します。
その最初に登場するのが「桐壷帝(きりつぼてい)」です。
源氏はその桐壷帝と、桐壷の更衣との間に生まれますが、
その母は源氏が3歳のとき亡くなってしまいます。
生みの母は、帝の正妻ではなく、いわゆる帝の妾で源氏は帝の第二皇子です。
源氏はその後まま母に育てられ、幼時は決して幸せなくらしではありませんでした。
それが女性への異常な愛に発展していったのでしょうか・・・。
この巻では、桐壷帝とその妃(きさき)の一人「桐壷の更衣」との悲劇的な愛と死、
そして光源氏の誕生から結婚、それに義母「藤壷の宮」への熱い想いが語られ、
この大河小説の幕が切って落とされます。
絵は清涼殿東にて 源氏元服の儀式。源氏12歳
左大臣 加冠の役を務めているところ。

        
第二帖 帚 木(ははきぎ) ↑  今風には ほうきぎと よみます。
桐壷の巻で源氏は12才で結婚しますが、ここからはすでに17才の恋多き青年貴公子として登場します。
美男子で頭がよく、やさしくて学問、知識、遊び何でもこい・・・の源氏は、今や世間の憧れと好奇心の的で、
幾多の女性と出会い、多彩な恋に情熱を燃やします。
いよいよ「恋の狩人」源氏の登場です。
友人たちとの恋の経験談や恋愛論に花を咲かせるいわゆる「雨夜の品定め」が
展開されたあと、その翌日偶然にある女性と出会います。他人の妻です。
さかんに言い寄りますが、女性は拒み続けます。
源氏は、はじめて拒否する女性を知ることとなります。
絵は 五月雨の夜 源氏の宿直所を頭中将が訪問。
故ありげな消息などに興味を示す。そこへ 左頭馬、
藤式部の承が加わり 女性論議 源氏17歳

        
第三帖 空 蝉(うつせみ)↑
空蝉をあきらめきれない源氏は、再び紀伊守の別邸に出向き、
閨に忍びますが逃げられてしまいます。
一緒に寝ていた空蝉の継娘 軒端の荻(のきばのおぎ) に手をつけ、
その気にさせてしまいます。全く罪つくりな源氏です。
空蝉(うつせみ) 軒端の荻(のきばのおぎ)が
囲碁を打っている絵です。源氏 隙見する。 源氏17歳。

         
第四帖 夕 顔 ↑
源氏のラブハントはますます旺盛です。
この巻までにすでに正妻「葵の上」のほかに、藤壷の宮、
六条の御息所(みやすどころ)、空蝉、軒端の荻という女性と関係を持っています。
藤壷の宮との関係は、文中にははっきり出てきませんが、
帚木の巻でそれらしきを暗示する部分があります。
六条御息所との関係も、この巻の冒頭ではじめて出てきます。
それもほんの一行足らずですまされています。
(この藤壷の宮、六条の御息所とのくだりは、田辺聖子の「新源氏物語」では
順序を変え、内容をふくらませて描かれています。)
この巻では、あらたに夕顔という女性と出会います。
夕顔は、帚木の巻で頭の中将が打明けた女性です。
源氏は、身分の低いこの女性にすっかり惚れこみます。これまでの相手の女性は、
そろって身分が高く、年上でプライドが高く、気疲れがしていました。
それにくらべ夕顔は無邪気で初々しく、ひたすら源氏に身を任せ頼り切って従います。
しかし、この夕顔は突然「物の怪」にとりつかれ、あっけなく死んでしまいます。
あまりのはかない命の夕顔と源氏の一途な純愛・・・・・。
全編のなかでも、印象にのこる巻です。
絵は 六条御息所を訪れた翌朝、源氏 廊まで送りに出た
中将の君を振り返り見て 歌を交わすところ。源氏17歳。

         
第五帖 若 紫 ↑
源氏18歳の春。こんどは、われわれにはとても考えられないどんでもないことを企てます。
幼女を強引に連れ去り、この子を気長に理想の女性に育て、自分の妻にしようというのです。
源氏は、ロリータ趣味もあったのでしょうか。
その幼女こそが、後の物語のヒロインともなる「紫の上」です。
その一方で、あこがれの藤壷の宮と密会し、懐妊させたりもします。
物語はいよいよ佳境に入り、おもしろくなっていきます。
絵は 源氏、北山の僧都の坊で 逃げた雀を追って
縁先に出た美少女(紫の上)を垣間見るところです。源氏18歳

         
第六帖 末摘花(すえつむはな) ↑
見境もなく女に手をだす源氏に、作者の紫式部は、
この巻でちょっといじわるをしたようです。
こんどの女性はとてつもなくユニーク。
うまずらで、長くて真っ赤な鼻の想像を絶する醜女。なんとも残酷な巻です。
作者はこの女性を笑いものにしますが、
源氏は純真なこの女性に同情してあとあとの生活の面倒を見ます。
源氏の優しい一面がここでも登場します。
絵は 源氏 常陸宮邸に忍ぶと 身をやつした姿ですでに来ていた頭中将を見出す。
邸内では末摘花が 琴を弾いているところです。源氏18~19歳

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囲碁と源氏物語五十四帖押絵展 7・8・9・10・11・12帖

2021年03月26日 07時56分09秒 |  京都御所 源氏物語五十四帖紙芝居
おはようございます。2009年11月28日快晴です。お元気ですか。
源氏物語押し絵展と源氏物語解説の続きです。

        
第七帖 紅葉賀(もみじが)↑
この巻で、はじめて舞楽が登場します。
当時の王朝貴族たちの娯楽は、歌をかわしたり、漢詩を吟じたり、
舞楽などの芸事や蹴鞠など、優雅なものだったようです。
この巻に出てくる源氏の舞う「青海波(せいがいは)」は、
今でも演じられる名の知られた舞楽だそうです。
源氏はこの青海波を、藤壷との息詰まるような秘めたる恋を背景に、
異常な高まりの中で舞い、人々を圧倒します。
やがて、藤壷が不義の子を出産して中宮となり、
源氏も昇進して、華麗に物語が進展します。
絵は 朱雀院行幸の日 源氏 頭中将と青海波を舞っているところです。
源氏18~19歳

        
第八帖 花 宴(はなのえん)↑
源氏物語に登場する女性の中でも、人気の高い「朧月夜の君」が登場します。
二つの「花の宴」での源氏との出会いと再会。新しい時代の到来の予感。
藤壷への思い、苛立ちが、この禁断の恋に火をつけ、
これがのちの源氏失脚の発端になろうとは・・・。
絵は桜花の宴の果てた月夜 源氏 弘徽殿の細殿で
扇をかざして歩いてくる女 朧月夜に逢うところ。源氏20歳

        
第九帖 葵(あおい)↑
 ・「花宴」と、この「葵」の巻の間に、2年近い空白があります。
この間に、桐壷帝が譲位し、朱雀帝の即位が行われました。
これによって、物語はひとつの転機を迎えます。
・源氏の正妻は「葵の上」です。左大臣の娘で、身分では最高の女性です。
「上」というのは、その家の女主人公を指します。
よほど身分の高い人でないと上という敬称はつけません。
・この葵の上に対し、第二の妻というべき存在が、「六条御息所」です。
まえの皇太子のお后だった人で葵の上に匹敵する身分の高い女性です。
葵の上の懐妊、出産そして急逝。
葵の上の急死で、正妻の位置にすわるはずが、
彼女の生霊がわざわいして、自ら去っていきます。
・ふたりの妻の去ったあとに、若紫といわれた少女時代をすぎた女性が、
「紫の上」として登場します。源氏の名実ともに真の妻として、
そして物語のヒロインとしての「紫の上」です。
 この絵は碁盤の上に 若紫をたたせ
 源氏自らが若紫の髪をそいでいるところです。源氏22~23歳

        
第十帖 賢木(さかき) ↑
桐壷帝が亡くなり、右大臣一家の思いのままに世の中になります。
こういった情勢の中では、敵方の源氏はよほど行動を慎まねばならないときなのですが、
そこは大物というか、「花宴」の巻で出会った「朧月夜」とその後も密会を続けています。
この朧月夜は、敵方右大臣の娘というだけでなく、今や帝の妃なのです。
相手が悪すぎました。
この密会がバレて、右大臣側の陰謀が進みます。
・・・・・冬の時代の訪れです。
絵は晩秋の野宮に六条御息所をたづねた源氏 
榊の枝を御簾の中に差し入れ 歌を交わすところ。源氏23~25歳

        
第十一帖 花散里(はなちるさと)↑     
「葵」や「賢木」の巻での、緊迫した場面が続いたあとの、ほっと一息いれる巻です。
源氏物語の中で、最も短い巻のひとつです。
まわりの人々が離れて行き、政治的にもどんどん窮地に追い込まれ、
落ち込んでいた源氏は、ふと、かって一度関係があった、
亡き桐壷院の女御の一人(麗景殿女御)の妹(花散里)のことを思い出します。
いつもの性格から、思い立ったらいてもたってもいられず、
五月雨の晴れ間に会いにでかけました。
麗景殿女御や花散里と、昔話しに花を咲かせ、桐壷院を懐かしみ、
心和むひとときをすごします。
絵は 源氏 麗景殿女御のもとで時鳥を聞き 
昔話をしてから 花散里に逢うところ。源氏25歳。
 
       
第十二帖 須磨 ↑
自ら招いたあやまちで、源氏はその一生でもっともわびしかった
須磨での生活を始めることになりました。
右大臣の陰謀から逃れ、静かにすべてを時の流れにまかせよう・・・と、
自分から進んで身を引く決心をしたのです。
しかし、須磨に行くということは、罪人として都を追放されたと
受け取られても仕方ありません。
絵は 源氏、海の見える廊にでて、
沖行く舟や雁の列を眺めるところ。源氏26~27才

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