海外製。
全長約1,250mm。
重量約2.2kg。
ストラップ本革。
プレート部分 縦29cm 横31cm。
収納ケース無。
刻印無。
マジックテープ式。
AWA世界ヘビー級王座
AWA世界ヘビー級王座(AWAせかいヘビーきゅうおうざ、AWA World Heavyweight Championship)は、アメリカン・レスリング・アソシエーション(以下「AWA」と略)が認定するプロレスの王座の一つである。かつてはNWA・WWF(現:WWE)とならび「世界三大王座」と言われていたタイトルである。
なお、俗にAWAと言われた王座はオマハ(世界ヘビー級王座 (オマハ版))、ボストンやオハイオ、シカゴ(AWA世界ヘビー級王座 (ボストン版))などにも存在したが、最終的に消滅または「三大世界王座」といわれたバーン・ガニア(ミネアポリス)版のAWAに吸収された。カール・ゴッチやドン・レオ・ジョナサンの経歴に「AWA世界ヘビー級王者」とあるのはそれらの団体王座の獲得歴である。この項目ではガニア版AWAのタイトルについて述べる。
歴史
1960年5月にNWAミネアポリス地区からNWAを脱退してAWA創立。同月にAWAが当時NWA世界ヘビー級王者であったパット・オコーナーをNWA脱退後もそのまま初代AWA世界ヘビー級王者として継続して認定(記録上は、オコーナーのNWA王座獲得日である1959年1月9日)、オコーナーをAWA・NWA統一世界王者とする。そして、AWAは王者であるオコーナーにバーン・ガニアとの指名試合を勧告、90日以内にガニアとの試合を行わない場合はAWA王座の剥奪をすると通達。しかし、オコーナー側はガニアとの指名試合を拒否したため、指名試合勧告から90日後にオコーナーのAWA王座は剥奪され、1960年8月に指名挑戦者であったガニアをAWA王者と認定、AWAとNWAの世界王座が切り離され独立をする。
1963年9月には当時AWA世界ヘビー級王者であったバーン・ガニアが、世界ヘビー級(オマハ版)王者であったフリッツ・フォン・エリックを破り王座を統一し、オマハ版世界王座を吸収。このことから、日本では世界ヘビー級王座(オマハ版)をオマハ版AWA世界ヘビー級王座と俗に呼称される場合がある。
AWAが日本と提携交流のあった期間にはたびたび日本でもタイトルマッチが行われていた。1970年代には国際プロレスとAWAが提携し、ガニアが国際プロレスのリングで防衛戦を行った。1970年代中期以降AWAは全日本プロレスとも交流を始め、国際プロレスと並行して交流をし、国際プロレスの崩壊後には全日本プロレスとの交流をさらに深める。そして、1980年代後半のAWA衰退期には新日本プロレスと関係を持つようになった。日本人ではジャンボ鶴田とマサ斎藤が王者になっている。
1991年にAWAは団体の活動を終了し王座は消滅。
Wikipediaより
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