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私の知人所有のしょぼいプロレスマスクコレクション等です。 どうぞ、お暇なら見て笑ってやって下さい。とほほ…

マスカラスのマスクが欲しくテレビ局へ応募
タイガーマスクの四次元殺法に狂喜
休刊した週刊ファイトの元愛読者の彼

【売却済】  OJISAN SPORTS山崎製 ザ・コブラ レプリカ

2018年11月04日 00時46分05秒 | マスクコレクション

山崎製。

スパルタンモデル。
OJISANプリントタグ付。
山崎一彦氏刺繍入り。
 

ジョージ高野

ジョージ高野(ジョージたかの / George Takano1958年6月23日 - )は、日本プロレスラー、元大相撲力士。本名:高野 讓治(たかの じょうじ)。福岡県北九州市出身。

ザ・コブラThe Cobra)のリングネーム覆面レスラーとしても活躍した。

1982年1月にメキシコへ遠征。2年連続で最優秀外国人選手に選定されるなど活躍した。1983年にはカナダカルガリースタンピード・レスリングに転戦、自身のヒール志向もあって、将軍KYワカマツマネージャーに迎えて覆面レスラーザ・コブラとして活動。ダイナマイト・キッドブレット・ハートデイビーボーイ・スミスらと抗争を展開し、同じく海外武者修行中だったサニー・ツー・リバーズこと平田淳二や弟の高野俊二とも対戦した。9月2日にはブルース・ハートを破り、英連邦ヘビー級王座を獲得、タイトル初戴冠を果たしている

1983年夏の初代タイガーマスクの突然の引退によって、ジュニア戦線の後継者として凱旋帰国を促されるも一度は辞退。その後、師匠アントニオ猪木の説得により帰国を決意、11月3日の日本デビュー戦でNWA世界ジュニアヘビー級王座を獲得した。その後もザ・コブラとして、ジュニア戦線のトップとして活躍した。しかし、常にタイガーマスクと比較される宿命を負ったことに加え、猪木と同等の体格である高野がジュニアヘビー級戦士として活動するのは無理があり、1986年6月にコブラは姿を消した後、素顔のジョージ高野に戻ってヘビー級戦士として「凱旋」。凱旋試合では後楽園ホールの2階席からスポットライトを浴びて登場し、テレビ放映もされた。しかし、その後はタイトル戦線に絡むことがなく、活躍の機会には恵まれなかった。

Wikipediaより

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【売却済】 OJISAN山崎製 ザ・コブラ 直筆サイン入 レプリカ

2018年11月04日 00時46分04秒 | マスクコレクション

レプリカ

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【売却済】 CACAO製 ザ・コブラ レプリカ

2018年11月04日 00時46分03秒 | マスクコレクション

レプリカ

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【売却済】 イナゾーファクトリー製 ザ・コブラ 直筆サイン入 レプリカ

2018年11月04日 00時46分02秒 | マスクコレクション

レプリカ

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【売却済】 イナゾーファクトリー製 ザ・コブラ オーバーマスク 本人使用 直筆サイン入

2018年11月04日 00時46分02秒 | マスクコレクション

本人使用

平成16年(2004年)7月10日 PWCプロモーション 博多スターレーン ザ・コブラ、初代タイガーマスク組対維新力、折原昌夫組戦でオーバーマスクとして本人使用。
タグ、直筆サイン入り、着用写真付き。

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【売却済】 OJISAN山崎製 スーパー・ストロング・マシーン 本人使用 直筆サイン入

2018年11月04日 00時46分01秒 | マスクコレクション

本人使用

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【売却済】 OJISAN山崎製 スーパー・ストロング・マシーン 本人使用 直筆サイン入

2018年11月04日 00時46分00秒 | マスクコレクション

本人使用

スーパー・ストロング・マシン、長州力、ヒロ斉藤組対越中詩郎、野上彰、青柳政司組戦 、その他の試合でも長期間本人使用。
タグ、直筆サイン入り(二ヶ所)、着用写真付き、ひも付き。

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【売却済】 OJISAN山崎製 スーパー・ストロング・マシーン 本人使用 直筆サイン入

2018年11月04日 00時45分59秒 | マスクコレクション

本人使用

平成21年(2009年)3月17日 新日プロCircuit2009 NEW JAPAN CUP ~Soul on the Ring~熊谷市民体育館 スーパー・ストロング・マシン、井上亘対飯塚高史、石井智宏 、その他の試合で長期間使用。

タグ、直筆サイン入り(二ヶ所)、着用写真付き。

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【売却済】 ジョージア製 マスクド・スーパースター 本人使用 直筆サイン入

2018年11月04日 00時45分58秒 | マスクコレクション
ジョージア製 本人使用済みです。
昭和59年(1984年)から昭和60年(1985年)のWWF参戦時代に使用した物。
本人が使用した明確な日時、場所等は不明です。
証明書、直筆サイン入り(2ヶ所)、管理ナンバー付き。
 
 


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【売却済】 マスクド・スーパースター 本人使用 直筆サイン入

2018年11月04日 00時45分57秒 | マスクコレクション

本人使用

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【売却済】 マスクド・スーパースター 本人使用 直筆サイン入

2018年11月04日 00時45分56秒 | マスクコレクション

本人使用

アメリカでの試合で本人使用(画像参照願います)ですが詳しい年月日は不明です。

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【売却済】  SOLLUNA HAYASHI製 パトリオット 本人使用 直筆サイン入

2018年11月04日 00時45分54秒 | マスクコレクション

本人使用

SOLLUNA HAYASHI林雅弘製。

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【売却済】 SOLLUNA HAYASHI製 パトリオット 本人使用 直筆サイン入

2018年11月04日 00時45分53秒 | マスクコレクション
SOLLUNA HAYASHI林雅弘製。製 本人使用済みです。
平成4年(1992年)11月18日 京都・グランドーム『’92世界最強タッグリーグ戦』公式戦、パトリオット、ジ・イーグル組対ジャイアント馬場、小橋建太組戦等にて長期本人使用。
タグ、直筆サイン入り。
 

パトリオットPatriot1961年12月21日 - )は、アメリカ合衆国覆面レスラー。本名はデル・ウィルクスDel Wilkes)。サウスカロライナ州コロンビア出身。

なお現在までに、同名のリングネームを名乗ったレスラーが3名確認されている。通常「パトリオット」といえば、その多くの場合は1990年代全日本プロレスを主戦場に活動していたデル・ウィルクスを指すため、本項ではウィルクス扮するパトリオットについて記述する。

来歴

1988年、末期のAWAにおいて素顔の警備員ギミックベビーフェイスザ・トルーパーThe Trooper)のリングネームでデビュー。ラリー・ズビスコマイク・ジョージらベテラン勢と対戦してキャリアを積み、1990年8月11日にはD・J・ピーターソンと組んでデストラクション・クルー(ウェイン・ブルーム&マイク・イーノス)を破りAWA世界タッグ王座を獲得。翌1991年にAWAが活動を停止したため、結果的に彼らが最後のAWA世界タッグ王者チームとなった[3]。1990年にはトルーパーとして全日本プロレスに初来日している。

その後、覆面レスラーパトリオットに変身し、1992年5月に全日本プロレスに参戦。星条旗を基調としたマスクとコスチューム、長身かつビルドアップされた筋骨隆々の肉体、そしてそれから繰り出されるパワフルかつスピーディーで跳躍力あふれる迫力ファイトなどで、常連外国人選手となる。小橋健太とも「日米新世代ミサイルタッグ」を結成し、アジアタッグ王座挑戦や世界最強タッグ決定リーグ戦参戦が視野に入るほどの人気を得た。しかし、同年末の最強タッグには全日本側の都合により、このタッグチームでの参加は実現しなかった。そこで新パートナーとして、自身と同じ星条旗基調のコスチュームを身に付けた覆面レスラーのジ・イーグルと覆面愛国者コンビを結成し、リーグ戦に参加した。

リーグ戦では優勝を逃したが、イーグルとのコンビネーションが好評だったため、翌1993年6月2日に小橋健太&菊地毅の保持するアジアタッグ選手権に挑戦、勝利を収め第60代の王者チームとなる。9月9日にカンナム・エクスプレスダグ・ファーナス&ダニー・クロファット)に敗れ王座から陥落するが、翌年のリーグ戦にもイーグルとのタッグで出場した。

1994年WCWへ移籍。マーカス・バグウェルと「スターズ・アンド・ストライプスStars and Stripes)」を結成し、プリティ・ワンダフル(ポール・オーンドーフ&ポール・ローマ)からWCW世界タッグ王座を2度に渡って奪取した。

1995年、再び全日本プロレスを主戦場とする。7月に行われた三冠ヘビー級王座挑戦者決定リーグ戦に、田上明、小橋健太、ジョニー・エースと共に参加。挑戦権を獲得することはできなかったが、小橋からスカイハイ・パワーボムでピンフォール勝ちし、シングル・プレーヤーとしての成長を見せた。8月30日には、ジョニー・エースとのコンビで田上明&川田利明の保持する世界タッグ王座に初挑戦するも敗退。同コンビで同年末の世界最強タッグ決定リーグ戦にも出場し、第4位となる。

1996年には、超世代軍を脱退した小橋健太と数年ぶりにタッグを再結成する。10月12日にスティーブ・ウィリアムス&ジョニー・エースの「殺人狼」が保持する世界タッグ選手権に挑戦したが敗退。同年末の世界最強タッグ決定リーグ戦にも同タッグで出場、1点差で優勝を逃し、第3位となる。

1997年5月には、このコンビに2人と同世代であるジョニー・エースを加えたトリオで新チーム「グローバル・エネルギッシュ・タフGET)」を結成した。結成最初のシリーズでは小橋とエースのコンビが世界タッグ王座を獲得したが、翌シリーズにパトリオットは負傷により欠場。欠場中にアメリカのWWF(現・WWE)への移籍を発表した。

WWFでは当時ヒールに転向していたブレット・ハートとの「アメリカ対カナダ」の抗争アングルが組まれるが、負傷欠場を繰り返し解雇され、体調の回復が困難なことからレスラー活動を停止している。

その後、トム・ブランディにパトリオットのキャラクターを譲り渡し、彼がアメリカのインディー団体でパトリオットとして活動していた時期がある。

Wikipediaより
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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【売却済】 SOLLUNA HAYASHI製 レイ・ミステリオ・ジュニア レプリカ

2018年11月04日 00時45分52秒 | マスクコレクション

SOLLUNA HAYASHI林雅弘製。

1997年製、タグ付。

 

レイ・ミステリオ・ジュニア

レイ・ミステリオ・ジュニアRey Mysterio Jr.1974年12月11日 - )は、アメリカ合衆国男性プロレスラー

本名、オスカー・グティエレスÓscar Gutiérrez)。カリフォルニア州チュラビスタ出身のメキシコ系アメリカ人現在はWWEに所属。叔父はレイ・ミステリオ・シニア、従兄弟にエル・イホ・デ・レイ・ミステリオ。息子はドミニク・ミステリオ。   WWEでのリンクネームは、会長ビンス・マクマホンの意向で『レイ・ミステリオ』となっている。

人物

レイ・ミステリオは日本語に直訳すると「神秘の王」となる。メキシコ系であることを誇りにしており、腹部にタトゥーMEXICANと彫られている。また、親友だったエディ・ゲレロの死去以降しばらくは腕のバンドに、エディ・ゲレロのイニシャルEG」の二文字を記していた。160cm前後の身長で、軽量級のレスラーである。

14歳の若さでプロレスデビュー[3]。WWAでデビューした当時はコリブリと名乗っていたが、後に叔父のレイ・ミステリオ・シニア(シニアの実子はエル・イホ・デ・レイ・ミステリオ)からマスクとリングネームを受け継ぎレイ・ミステリオ・ジュニアを名乗る。WWAが崩壊した後はAAA、WCW(後にWWE)と移籍。WWEではビンス・マクマホンの方針でリングネームからジュニアを外し、レイ・ミステリオとしている。WWEを退団しAAAに復帰した際にレイ・ミステリオ・ジュニアにリングネームを戻している。

Wikipediaより

 

 

 

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【売却済】 イマイ製 ジ・イーグル 本人使用 直筆サイン入

2018年03月29日 13時00分07秒 | マスクコレクション
IMAI今井正彦製。製 本人使用済みです。
本人が使用した明確な日時、場所等は不明です。
直筆サイン入り。
 

ジョージ・ハインズGeorge Hines1963年6月1日 - )は、アメリカ合衆国出身のプロレスラー。出身地は複数説があり定かではない。身長186cm、体重110kg。

兄はザ・ファンタスティックスのボビー・フルトン

来歴

アマチュアレスリングやフットボールを経験したが、兄の影響もあってプロレスラーを目指す。デビューは1987年のフィデル・カストロ戦。

1992年ジャッキー・フルトンのリングネームで全日本プロレスに初来日。 同年に覆面レスラーであるザ・パトリオットのパートナーに抜擢され、同じく覆面レスラーのジ・イーグルに変身する。

1993年6月2日、ザ・パトリオットのパートナーとして小橋健太菊地毅組を破ってアジアタッグ王座を戴冠する。秋山準菊地毅組に一度の防衛後、9月9日にカンナム・エクスプレス(ダグ・ファーナスダニー・クロファット組)にベルトを奪われる。

1999年、素顔のジョージ・ハインズとして全日本プロレスに来日する。2002年武藤敬司が全日本に入団すると、共にスキンヘッドであった事から武藤と同じコスチュームを着用し、入れ替わり戦術など多彩なコンビネーションを見せ高い会場人気を獲得した。しかし全日本が武藤新体制となってからは現在まで参戦が殆ど途絶えている。

2006年2月に、キングスロードに参戦した。

 Wikipediaより


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