ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

通潤橋と五老ケ滝(熊本県山都町) 2015.11.25


(写真は通潤橋の放水)

先月21日~29日、所用で実家の熊本に帰省した
際に「通潤橋」で有名な熊本県・山都町(やまと
ちょう)へ行ってみました。

山都町は、私が物心ついた頃から小学4年生まで
を過ごした懐かしい田舎町です。

交通センター(10:00)→(熊本バス)→
通潤山荘(11:34)

通潤橋に行く途中の御船町などへ行くバスは本数
が多いのですが、通潤橋行きは1時間に1本です。

途中の御船町を過ぎると、限界集落的な風景が
点在する、曲がりくねった山道を進んでゆきます。
 
 
交通センターから1時間半、山都町の町中を
抜けて、終点の通潤山荘に着きました。



通潤山荘は、通潤橋から徒歩5分という好立地に
ある町営の国民宿舎です。


(国民宿舎の前の八朔祭の造り物)

1時からの通潤橋の放水が始まる前に、ここで
ランチを注文して昼食を済ませてしまいます。


通潤山荘のロビーには、柔道の山下泰裕の
オリンピックの金メダル等が展示してあり
ました。





へ~っ!山下泰裕は、私と同じここ浜町小学校の
出身だったんだ!
知らなかったなあ~!

食事を終えて、通潤山荘の直ぐ下にある
「五老ヶ滝」へと急な坂道を下って行きます。

下り坂の途中で、いきなり高さ約50メートルの
目も眩む様な五老ヶ滝が眼前に現れます!


この滝を流れる水は、通潤橋の下を流れている
五老ヶ滝川で、五老ヶ滝の位置は、通潤橋から
わずか200メートルほどの下流になります。

更に坂道を下ると、写真の吊り橋がありました。

五老が滝を左手に眺めながら、この吊り橋を
渡って、対岸の小道に出ます。

吊り橋を渡った辺りは、「白糸台地の棚田景観」
と呼ばれ、通潤橋と共に国の重要文化的景観に
指定されています。






棚田のあぜ道を上ってゆくと、やがて棚田の風景
の先に通潤橋が見えて来ます。

通潤橋は、昼食をとった通潤山荘のすぐ下に位置
していますので、吊り橋と棚田を経て、ぐるっと
一周して通潤橋の通潤山荘側と反対側に到着した
ことになります。

「通潤橋」は、長さ75.6メートル・高さ20.2
メートル、肥後の石工職人の最高水準の技術を
駆使して架けられた、日本最大の石造りの
アーチ水道橋で、国の重要文化財です。

江戸時代末期の1854年、水不足に悩んでいた白糸
台地に住む農民を救うため、惣庄屋だった「布田
保之助」(ふたやすのすけ)が、難工事の末に
造り上げました。

私は、ここ地元の小学校の社会科で、布田保之助
は、橋の完成日、失敗した場合は切腹する覚悟で、
白装束で橋を見守った、と習ったを思い出し
ました。

通潤橋の上を歩き始めます。
通潤橋の端には、”橋から落ちても責任は
負わない”、旨の立て看板が・・・

通潤橋の上からは周辺の景観を楽しめますが、
橋には手すりが無いので、高所恐怖症の私は、
橋の中央部分を、ゆっくりゆっくり歩いて
ゆきます・・・

上の写真の様に、アーチ型の橋の上部には、
サイフォンの原理を応用した3本の石管が
通っていて、今でも周辺の田畑を潤しています。

下の2枚の写真の様に、通水管は、こちら側の
高い位置から、坂道を下って橋を渡り、向こう側
で再び坂を上っていますが、向こう側はこちら側
よりも低くなっているので、サイフォンの原理に
よって、向こう側の白糸台地に水を供給すること
が出来ます。



なるほどねえ、よく出来ています!

石橋の大きさ、機能美、そして当時の技術力の
高さに感動です!!

1時になると、橋の中央にある栓を、係員の
オジサンが、トンカチを叩いて外して、感動の
放水が始まりました!














放水は、通水管に詰まった堆積物を取り除くため
に行なわれています。

(山都町観光協会のHPの年間の放水スケジュール
 を確認してから、 通潤橋旅行プランをたてる事
 をお薦めします。)

ダイナミックな放水に、周りの観光客から
どよめきが起きます!





通潤橋の放水が終わり、橋を下りて、布田保之助
の像の前を通り、「通潤橋史料館・道の駅」へ
向かいます。

通潤橋史料館(300円)では、橋の構造、歴史
などについて、係のオジサンがら丁寧な説明を
受けます。(撮影禁止)

館内には、通潤橋の仕組みが解る模型、建設当時
の設計図、実物の石管、工具や資料などが展示
してあります。

係のオジサンの説明によると、布田保之助は明治
時代まで生きていて、明治天皇から表彰された
そうです。
生きている間に功績が認められて良かったねえ~。

次頁の写真は、史料館の前の「八朔祭」の巨大な
造り物です。
八朔祭は、稲刈りの時期に行われる巨大な造り物
の山車を曳いて練り歩く、この町の秋祭りです。


私も、ここの小学生だったときに、八朔祭で、
吉田茂の仮装をさせられて、”難破丸”という
造り物の上に乗せれらた事を思い出しました・・・
そう言えば、私が、ここの小学校にいたときは、
長い”秋休み”がありました。
これは、小学生も、稲刈りのための重要な労働力
だからで、その分だけ、夏休みが短くなって
いました。

帰りも、同じ熊本バスで、実家の熊本市内に
戻りました。
通潤山荘(16:23)→(熊本バス)
→交通センター(17:55)

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コメント一覧

更家
国民栄誉賞・山下泰裕
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そう、通潤橋の放水は、間近かで見物すると、大迫力で感動しますよ!

棚田は、稲刈りの前だったら、もっと素敵だったんでしょうけど・・・

そう、国民栄誉賞の柔道家・山下泰裕が、私と同じ小学校出身というので、私の話しのネタがひとつ増えました。
もののはじめのiina
通潤橋
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/5a9412f5c78002f3680e9c7057d65749
通潤橋の放水を、間近に見物とはでした。^^
棚田のあぜ道から、通潤橋に迫るレポートが効果的でした。

国民栄誉賞の柔道家・山下泰裕が、この町の出身でしたか。更家さんの自慢話が、ひとつ増えましたネ。

神楽坂の伊勢藤は、先輩が申すには座ると一汁三菜のアテが出てくるのが売りの気安いお店だったようです。

更家
上益城郡矢部町
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
いや~、驚きました!
私が育った山都町の以前の地名である上益城郡矢部町をご存知とは!!

また、普通の人の観光ルートは、熊本→高千穂→熊本か、熊本→高千穂→延岡で、高千穂から通潤橋へ迂回するルートは、かなり通の人のルートなので、こちらにも驚きました!

丹波の國さんは、日本全国、かなり詳しいんですねえ~!
丹波の國から
懐かしく拝見しました
平成15年12月5日(金)に丹波から車で、高千穂を経由して道の駅「清和文楽邑」で休み、通潤橋を見学しました。
石組の素晴らしさに感動したのを今でも覚えています。熊本城といい、肥後の石工職人は凄い仕事をしますね。やはり一周して五老ヶ滝も見ました。以前は上益城郡矢部町下市という住所では?
更家さんは本当にいい所で、お育ちあそばしたのですね。
更家
通潤橋を全国区に
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そう、「通潤橋」は、もう少し有名になって全国区になってもよいし、その価値があると思うんですが・・・

やはり、観光地としては僻地で不便だし、周りにセットで廻る観光地が少ないこと等がネックなのかも知れません。

災害で流されたり壊れたりする現代の橋に比べて、江戸時代に造られた橋が未だビクともしないというのは、江戸時代の技術、職人技も見直されてよいのかも。
Komoyo Mikomoti
こんばんは。
http://blogs.yahoo.co.jp/ya3249
ここは、100%初めて知りました!

明治ではなく江戸時代に、
こんなアーチ橋を作っていたんですね。
日本人はすごいですね。
更家
五老ケ滝と通潤橋
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
先月、小学校卒業以来数十年振りに、五老ケ滝を訪れたら、丁度、五老ケ滝についてご照会頂いたので、驚きました。
少しでもお役にたてたら幸いです。

そう、小学校時代、布田安之助と通潤橋は、郷土の誇りであり、私達の自慢でもありました。
hide-san
五老ケ滝
http://blog.goo.ne.jp/hidebach
五老ケ滝もさることながら通潤橋が1800年代に出来たとは驚きですね。
見事な水道橋です。

有り難うございました。
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