(写真は、上諏訪宿の入口に建つ「十王堂跡碑」)
「武田信玄」の諏訪侵攻により捕らわれ自刃した「諏訪頼重」
の墓がある「頼重院」を出て街道に戻ります。
街道の右手に、地元の人専用の上の写真の「共同浴場・
神戸温泉」があります。
写真の白い大きなタンクは、パイプを通じて諏訪市から供給
される温泉湯を貯めるタンクです。
個人の家でも、このタンクを設置すれば、低料金で、諏訪市
から温泉湯の供給を受けられるそうです。
個人の家に温泉を引けるなんて!、驚き!
ここ上諏訪には、何と!、共同浴場が80以上もあります
が、そのほとんどが地元の人専用で、観光客などの外来者は
入浴が出来ないそうです・・・
神戸温泉の先の右手奥に、次頁の写真の秋葉山大権現と
刻まれた「常夜燈」と「男女双体道祖神」があります。
やがて右手に一里塚バス停があり、その先の左手に「神戸
(ごうど)の一里塚跡」の碑があります。
神戸の一里塚は、日本橋から52里目(208キロ)、片塚で
塚木は榎(エノキ)でした。
更に進むと、火入れの部分が木製のあまり見かけない
「常夜燈」がありました。
上の写真は、街道沿いの秋葉山常夜燈とその脇の小さな道標
ですが、道標の文字は風化していて読めません。
街道沿いには、信州特有の「雀おどり」と呼ばれる
上の写真の様な棟飾りの家が散見されます。
やがて、「霧ケ峰入口」の交差点を越すと、右手に
「足長神社」の参道口の石段があります。
上桑原村の産土神で、諏訪大社の祭神に随従する足長彦神を
祀っています。
更に街道を進むと、「石祠に納まった男女双体道祖神」が
あり、その先には、次頁の写真の「男女双体道祖神と
秋葉山石塔」が祀られていました。
(自宅用の温泉のタンク)
左手の火の見ヤグラを過ぎると、細久保分岐で、下の道に
合流します。
「旧道細久保」のバス停を過ぎると、右手に下の写真の
「男女双体の祝言道祖神」があります。
その祝言道祖神の後ろには、次頁の写真の
「銘石こんぼった石」がありました。
説明版には、昔、ここには諏訪湖の入り江があり、この石は、
舟の舫石(もやいいし:船が流されないようにつなぎ止める
石)でした。
漁に出た親を子供達が、この「こんぼった石」(舟繋ぎ石の
方言)の所で帰りを待っていた、と書かれています。
少し歩くと、上の写真の「細武温泉共同浴場」があり
ました。
(自宅用の温泉のタンク)
やがて、国道20号に合流します。
清水1・2丁目の交差点の右の細い道に入ると、上の写真の
「殿様御膳水」がありました。
高島城に藩主が在城の際は、この清水を用立てたそうです。
また、この清水は、明治天皇の巡幸の際には、「秋葉御膳水」
と呼ばれ供されました。
更に進むと、左手に重厚な蔵造りの上の写真の「呉服商
かねさ」があります。
写真の様に、暖簾には、大工道具の曲尺(かねじゃく)に
サの屋号が染め抜かれています。
呉服商かねさの向いには、江戸時代創業の「染一染物店」が
あります。
この辺りはかつて染色に必要な湧水が豊富で、染め物店が
軒を連ねていました。
その先は、写真の「銘酒・真澄」の蔵元「宮坂酒造」です。
1662年の創業で、高島藩の御用酒屋を勤めました。
少し歩くと、元町交差点の所から二筋に分かれますが、
どちらの筋も「上諏訪宿」の町並みです。
この分岐点に、冒頭の写真の「十王堂跡碑」が建っています
が、ここが「上諏訪宿」の東口です。
ようやく「上諏訪宿」に到着です!
前の金沢宿からこの上諏訪宿までは約13キロもあります。