ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

甲州街道を歩く( 36-2:蔦木宿から金沢宿へ)(長野県諏訪郡) 2021.10.11


(写真は、JR富士見駅の近くから望む富士山)

 

 

早朝に、JR新横浜駅から横浜線に乗り、八王子駅で中央線に

乗り換えて、上の写真の「信濃境駅」で下車します。

 

高低差が200メートルもある、前回延々と上って来た坂と

同じ坂を、今回は延々と下って行きます。   

 

 

 

前回の上り坂に比べたら、今回は下りなので格段に楽です。

 

 

ようやく、上蔦木の集落まで下りて来ました。

 

そこから、国道20号沿いの蔦木宿を抜けて、前回のゴールの

西枡形跡まで戻りました。

 

西枡形跡をスタートして、国道20号を進みます。

国道20号沿いに、上の写真の「岩田屋建材」の資材置場が

ありました。

旧甲州街道は、この岩田屋建材の脇の砂利道へ入って行きます

が、この先には「電流ネット」が待ち受けています。

「電流ネット」には前回苦労したので、今回はパスして、迂回

の国道20号を進んで行きます。

国道20号と並行して、旧甲州街道を囲む赤丸印の「電流

ネット」が見えています。

暫く歩いて行くと、上の写真の「レストラン赤石」が

ありました。

ここの食堂はカツカレーが美味しいと案内書にあったので

楽しみにしていたのですが、月曜定休日で閉まっていました

・・・がっかり・・・、お腹すいたなあ~・・・

 

国道20号を進み、国道の左側から下を眺めると、道の下の

大木の根っこの辺りに「平岡の一里塚」の標石が見え

ました。

 

日本橋から46里目(184キロ)の一里塚です。

更に国道20号を進み、上の写真の机の交差点の先を右に入る

と、次頁の写真の「机観音堂」があります。

 

 

 

机観音堂を出て国道20号に戻り、「矢の沢川」橋の手前を

右折して、机旧道に入ります。

 

 

右手に写真の石仏石塔群がありました。

 

 

更に進むと、右手の石垣の上に写真の「かぐら石」が

あります。

 

 

説明版によると、このかぐら石の下から、綺麗な清水が

湧き出ていたところから「清水の神楽石」とも呼ばれ、

旅人の休憩の場だったそうです。

 

かぐら石の並びの石垣の上には写真の「馬頭観音像」も

あります。

 

 

かぐら石の先で国道20号に合流し、立場川を「瀬沢大橋」で

渡り左折します。  

 

 

 

 

 

この先を逆コ字に進んて行くと、「旧瀬沢村」に入ります。

 

急な上り坂になりますが、左手の瀬沢郵便局の右隣には、

写真の「旧家らしきお宅」がありました。 

その隣のお宅の軒下には大きな「めでどこ」が吊り下げられて

います。

(めでどこの説明については、

「甲州街道を歩く・蔦木」を見てね。)           

めでどこの背後には、「本宮御柱御用」と書かれた木札が

掲げられています。

 

更に坂を上ると、左手に1842年建立の「諏訪神社」の常夜燈

があります。

 

常夜燈の後ろには、「男女双体道祖神」が祀られています。

諏訪神社の隣は、上の写真の「吉見屋」で、吉見屋の先が

Y字路になっているので左に進みます。

 

 

更に、この先に同じような分岐点が3か所あったので、何れも

左手を選択して、緩やかな坂道を上って行きます。

 

上り坂を進み、小川を渡り、その先の急な坂道を上って

行きます。

 

急な坂の途中の左手の擁壁上に、次頁の写真の「観世音碑」

と「馬頭観音」がありました。

 

急な坂は、この先では、左に大きくカーブしていますが、

これから先、どんどん深い山の中へ入って行く感じです?

 

どうやら、どこかで道を間違えたようです。

ガイド本の通りに歩いて来たつもりなのに、どこで間違えたの

だろう?

分岐が多かったから、どこかの分岐で間違えたのかなあ~?

・・・

このまま山道の途中で日没になったらどうしよう、と

途方に暮れます・・・

こんな山奥で道に迷うなんて!

仕方なく、引き返して、ここからJR中央本線の最も近い駅を

目指して緊急避難することにしました。

先ず、北の方向にあるハズの国道20号を目指して、坂道を

上って行きます。

少し坂を上ったところで、国道20号に突き当たりました。

国道20号を上の写真の地下道で横断すると、「瀬澤古戦場

跡」の碑と解説板がありました。

それによると、1542年、甲斐の武田信玄は、信濃の小笠原、

諏訪、村上、木曽の連合軍と、この辺り一帯で激しい合戦を

しました。

その結果、武田軍は、信濃の連合軍を1,600人も討ち取る

大勝利を収めた、とあります。

この古戦場跡碑から国道20号を進んで行きます。

やがて国道20号の左側に、右手の坂道が「JR富士見駅」

への道路であることを示す標識(赤丸印)がありました。

標識によると、この崖を上がって行く自動車道を約2キロ

歩けば、JR中央本線の富士見駅へ行けるみたいです。

富士見駅を目指して必死で坂道を延々と上って行きます。

延々と上り坂が続くので、息切れがして苦しくなって

きました。

坂道の途中で20分くらい休みます。

何だか、最近は、旧街道を歩いている距離よりも、最寄りの駅

に行くために崖道の道路を上り下りしている距離の方が長い

なあ~・・・

 

気力を振り絞って坂道を上って行きます。

振り返って見ると、写真の富士山が見えました!

街道を歩いていて富士山を眺めるのは初めてです!

崖の上を走るJR中央本線の車窓からは富士山が時々

見えます。

しかし、旧甲州街道は、両側を崖に遮られた川沿いの道

なので、街道を歩きながら富士山が見えることはほとんど

ありません。

最後のひと踏ん張りで、ようやくJR中央本線の富士見駅に

到着しました!

富士見駅から韮崎駅まで乗車して、今晩の予約の韮崎の

「清水屋」へ向かいます。

「清水屋」は、江戸時代には旅籠だった1845年創業の

老舗旅館です。(1泊2食付:8,820円)

 

 

 

 

清水屋に宿泊した翌朝です。

 

朝食を済ませて天気予報をみていると、新横浜を出発した

昨日の朝の天気予報が大きく外れて、今日は終日雨の予報

です・・・

 

股関節も少し痛み始めたので、急遽、予定を変更して、韮崎駅

から、午前中の特急列車に乗って、八王子経由で新横浜へ

帰りました。

 


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コメント一覧

ウォーク更家
ruriboさんへ
コメント、ありがとうございます。

確かに仰せの通り、私も「かぐら石」の説明版は直ぐに見つけたものの、肝心の「かぐら石」は、急斜面の木立と雑草に隠れていて、探しだして確信を持つまでに時間がかかりました。

私は、5街道踏破を終え、これからは、近場の鎌倉街道などの古街道のウォーキングを計画中です。

私の1日のウォーキングの距離は最高で40キロですが、これは街道歩きを始めたばかりで張り切っていた15年前のことです。

その後、膝通、五十肩、腰痛、股関節炎などを次々に起こし、現在は最高でも1日に10キロ程度です。

日々平穏のブログ、楽しく読ませて頂いています。
信玄餅は、金精軒が元祖と言われているものの、登録商標が先だっただけで、販売年は桔梗屋の方が早い、というエピソードは面白かったです。
ruribo
「蔦木宿」の誤記でした。
ruribo
日々平穏の主催をしております。フォローありがとうございました。
本日蔦寄宿に立ち寄り湯へ寄った際に「かぐら石」なる巨石が近くにある事を知って、場所の特定をしておりましたら貴殿のブログにたどり着き紹介されていて、参考になりました。
1日どれほど歩かれていらっしゃるのでしょうか?
自分も東京在住時は、ウォーキングは好きな方で鎌倉街道などの古街道を良く歩いていましたが山梨県に移住してからは、車中心の生活になってしまって歩く機会など皆無となってしまいました。
ウォーク更家
もののはじめのiinaさんへ
ええ、あと一息で5街道踏破達成なので、執着心で、必死に、日を変えて旅を終えた場所まで戻って続けています。

机という地名、珍しいなとは思いましたが、机観音堂の机と大菩薩峠の机竜之助ですか、なるほど全く考えませんでした。

私は歴史にはほとんど無知なんですが、ブログ上は、現地の説明板を上手く要約して、あたかも私の知識であるかの様に書いています。(-_-;)

そう、旅の癒しは食事や温泉など宿のもてなしですよね。
もののはじめのiina
意 欲 
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/1e1700ad1391570ec0fc0530409702d3
日を変えて、旅を終えた場所まで戻ってつづけるのは、よほどの執着心がないと継続できないですね。

予定を組んで行くと、どうしても端折る所が出てしまいます。別の機会でも、行程の都合から跳ばし、いつまでも延ばされて気になっています。
3度も跳ばし、こんどこそと思っていた伊豆周遊でも、コロナ禍を心配してキャンセルしました。

「机観音堂」が気になりました。
小説『大菩薩峠』の机 竜之助にまつわるお堂であるはずはなさそうですが、気になりました。

いままで、旅紀行で見かける名所をブログに要領よく説明するにとどめてました。
現地の説明板は、WEB上より詳しく解説しているので、iinaの最近ではアップして登載するように心がけています。

旅の癒しは、やはり食事やお風呂など宿のもてなしです。^^

クリントイーストウッドには、撮りたいという意欲が まだまだ衰えないようです。

 
ウォーク更家
hide-sanさんへ
いや~、今回は、慎重に下調べをしてから歩いたのに、何故こうなったのだろうと思い本当に参りました・・・

帰宅してから、自分で撮影した写真と、ガイド本、地図、インターネットとを照らし合わせて確認しました。

詳細は、次回ブログで説明する予定ですが、結論から言うと、間違えていませんでした!(-_-;)

つまり、前回道に迷ったと判断したのは、早とちりで、実は正しい道を歩いていました。

もう少し我慢して、人気のない急な上り坂の山道を抜けてしまえば、開けた平地になって人家も続いていました・・・

いつもは、見切りが遅くて間違えた道を延々と歩いて傷を深くするのですが、今回は、見切りが早すぎて傷を深くしてしまいました・・・( ;∀;)
hide-san
おつかれさま
https://blog.goo.ne.jp/hidebach
瀬沢郵便局を過ぎて古戦場跡
あたりで間違ったのでしょうか?

でも概ね方角はあって居るようですね。
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