大事なことを書き忘れていました。
8月19日の記事に書いたもの、2009年12月末から翌年1月に
私のもとに降りた、「日は光り、世を照らす法となる、
月は日の光を法とし、法を行じ光となる」から始まった
日月神示ですが、私への霊指導が始まって長い年月がたち、
(本を読んだ記憶はないのですが前後の脈絡なく、
1991年2月2日の記載で「⦿の神はこの世の生活の中に現れる」
というものがありますが)
そして2009年にblogを書き始めた後、blogを通して日月神示に
向かっての霊指導に変わったのはこの時なのだと思います。
既に某宗教団体の活動からは外されて離れることが決まって
開始したものでしたし、blogの活動自体も知らせていません。
本格的に日月神示の指導として書くことになったのは
このblog幸福の芽3の4月12日の記事、神から
「これからは日月神示に変わる」というものからです。
某宗教団体ですが、ずっと私を排除してきたり、ネット上の
嫌がらせをし続けているだけではありませんでした。
実際に私を亡き者として扱おうと活動していました。
それは7月に書いた[近況について1]に書いた内容に重なります。
某宗教団体は私が彼らを攻撃などせずにblogを書いていたころから、
嫌がらせをしていました。
またblogに彼らが嫌だと思うようなことを書き始めたときは裏で彼らに
相当な嫌がらせをされていたからです。
その後、ずっと現社会で私が仕事や仕事上の活動も全くできないように
嫌がらせ繰り返してきています。
blogの内容を指導できる人間じゃないと言い、blogの内容と本人が
一致しない人間にするために批判を繰り返してここまできています。
そして神の法ならblogの内容はうちのものだ、だからうちの人間なら
本人に言わず勝手に使用してもいい、むしろ本人が説けない(説けない
ようにしむけて)のだから、かわりにうちの関係者なら説いて良いと
言っていました。
また私が低スペック、低レベルで、それよりハイスペックな周囲の
人の頭脳からその知識を取っていると言ったのでしょう。
私にはそのようなことはできません。確かに謙虚にそれらしいことを
1度書いたことがあったのでそれを真にうけたのかもしれませんが
それはあまりに無知な話、内容は私のほうが勝っていましたから。
本当はわかっていたでしょうに。
.....
でも神は神、かれらの主宰神は主宰神で私の神ではないのですが、
教祖自体が私が神として指導している、某教団幹部が私たちが
霊指導しているからうちのものだということなのでしょう、
日月神示の内容ではあまりに我が強く、優秀すぎると神の声が
きけない。阿呆(当時ひつき神示記載のままの表現)くらいの
ほうがよいと書いてあります。
私はその加減を天之御中主神様の指導で受けています。
私はblogの多くをMy masterである神、また神にお聞きしたりして
書いています。その結果、今年の3月のように神の意志でどうしても
書かなくてはならない、譲れないことも書いてきています。
しかし、先に彼らの嫌がらせと私を潰して亡き者にしようとする
意志がありました。
反論しなくては生きていけない、そういう状態です。