05/26
マーガレットが咲きました!調子いいですよ~
05/26
姿も色合いも清々しくて”育ててよかった” 丁子咲きで【マーガレット・ノヴォコレクション あずきちゃん】
今季かくべつ嬉しい花です、勢いがいい、私も頑張ろうっと~
05/27
2011 日本映画 ショウゲート配給 脚本 林民生 SABU you tube
日本映画
芦田愛菜ちゃんの幼い頃の映画、ひょんなことから女の子を育てることを決めた青年(松山ケンイチさん)の優しさと
一生懸命さがにじみ出ててこころが洗われるようだ、職場の近くに保育園を見つけて、通勤をしながら送迎もするという
過酷な状況で、この二人はどのように過ごしてゆくのだろうか「子育ては大変なのよ、どれだけ私が犠牲になった事か!」
と先を案じるその母親(風吹ジュンさん)の言葉に事情の深さが感じられた、けど、こういう父親代わりって悪くはないと
思うけどと観始めた、父親になってはみても、なり切れないオトコも多い時代だから(´∀`*)ウフフ
抱っこに負んぶをしても走ってもその子を保育園に預けるためにラッシュアワーに立ち向かう青年は力強い、それを裏打ち
する愛情は流石です、少女はしっかり青年のスーツにしがみつき・・・こういうシーンを観ると自分の子育ての時のオトコ
とは程遠いなあと返す返すも残念至極、恨みつらみを言ってるだけじゃないのです、根っから子育てには向かないオトコも
居るんだということを、仕事のせいにして家庭を放り出すようなオトコじゃ諦めるしかないわね(笑)
昔、”関白宣言” という歌が流行った、あの歌詞、最後には”愛してるのはお前(この呼び方も上から目線で(´・д・`)ヤダけ
ど)”ひとり~と 百歩譲って〆たからいいとしても、”仕事を出来ないオトコに家庭を護れるわけなどない”もう一丁考え
て””家庭を守れないオトコに仕事など出来るはずがない~”としたらオナゴの心をもっと安堵させたかも~レコードももっ
と売れたかもよ、さださん(笑)
はなしは逸れた、青年は遣り甲斐のある部下からの人望も厚い部署で仕事をしてたのに、時間の都合で配置転換を申し出て
現場にいった、そこには荒くれオトコが多くて最初はビビってたけど、これが顔に似合わず子煩悩で仲間意識が強く結束
してて、楽し気な環境だった、そこで原田らいて少女を少女を育てることに決めた、実家の家族も漸く理解し始めた、
殺伐としたドラマが多い中、久々のハートフルな映画で観てて観客まで優しい気持ちになるから不思議、そして私自身の
子育て(3人を強調するのは3人をほぼほぼ独りで育ててた、諄いようだけどここは強調したい、オトコは得てしてオナゴ
の仕事と決めつけてるようだっから、私は今はそれでよかった!と思ってる、思い描いてた子育てが出来たのでホホホ)
でも映画の青年独りで保育園の送迎までもしてるのを見せて貰ったらたっぱりうちのオトコは(あら失敬!)父親とは言え
るわけがないない!(怒)
同じような考えのオトコは当時は多く、オナゴは「子らは¥札を食べて育つんじゃない!それに付随する作業をしてこそ、
初めて美味しい食事が出来るんだよ、あなたお札を食べられるの?(* ´艸`)ハハハ」とブチ切れた工務店の奥さんがいた、
同感!!! ただし子の犠牲になったとは私は全然思ってない、だから今は安心していられる、これも努力の賜物じゃ(´∀`*)ウフフ
さて映画、産みの母親との連絡がついて青年は会いに行った、そして「じゃあ、僕が一緒に暮らしてもいいんですね」と
訊いたら、その母親は「ハイ、でも学校に入ったら苗字が違うと子が困ると思いますからあなたの苗字にして下さい」
いやーーー世の中には色んな母親がいるもんだね、
そして青年はその子に尋ねた「僕と同じ苗字になるか?」少女は答えた「今のままの苗字がいい」泣けた、
青年の家族や、その保育園の友やその母などと交流しながら誰にでもあるような幼児期を過ごせるようだった、よかったぁ
松山ケンイチさんは色んな役を熟して、大河の清盛まで演じて、小雪さんと結婚してぉ子を育ててる、小雪さんとの家庭は
都会を離れて自然を感じられる所で自由に暮らさせたいと言っていた、その実直な子育て論は小雪さんとも一致して、
こういうご夫婦って素敵です、
話し合いができない夫婦もたくさんあって、それは大人の勝手だけど、子供は黙って従うしかないということを親はもっと
自覚しなくちゃイケないね~まあ色んな子育てがあってもいいけど、この意思を確認しながら行ってゆければいいね~
母親の気持ちって案外直に子に伝わるから殊更、心にかけなきゃね、それが母親になるという事なんじゃないかしら?
05/27
松葉牡丹のこの咲き具合は妙に色っぽいでしょ?このような秘めた咲き方が似合うオナゴだったのだよ(^^ゞ オトコには
堪らない”色気” という表現をオトコ達から聞いた、
事実は小説より奇なりという言葉があるけど実際、私もそう思った一件がある、”あちらの鬼” などはどこにでも居るのよ
そういう話を書きたかった、今がその時かしら?
【Y】はそういうオナゴだった、出会いはエリア内では珍しい本格派の喫茶店で、私は高校卒業の日に同級生A&Oと初めて
行った店だった、古い二階建ての建物で、エリアでは当時はまだ栄えてた○本町にあった、個人商店が軒を連ね、その通り
だけで必要品は全て揃うというような、今ではすでにシャッター街と化した通りだけどね、
コーヒーの香りいっぱいで、店主は大柄のちょっと髪の毛が薄くなったおっちゃんだった、物静かな、プライド高そう!な
感じで、茶色のエプロンをして、3月だったのに寒かったの石炭をくべるストーブがあったりして雰囲気が良かった、物語
で読んだ古い喫茶店仕様で気に入った、その2Fには奥さんが美容院を営んでいた、
そこのカウンターに独りで座って本を読んでたオナゴが【Y】だった、このエリアにしちゃ(だってほんとだもの)横顔が
すっとして色白でオトコが放っておかないような、
Aが「先輩!お久しぶりです」と、またいい振りして言葉をかけた、そのオナゴが笑顔で「あらA君、卒業おめでとう!」
中学校の時の一年先輩だって、それにしちゃあ大人っぽいね、そりゃそうだ、社協に務めてるという社会人だもの、
なんだぁ、知り合いかぁと思いながら私も会釈した、オトコとオナゴの一目ぼれというのがあるように、オナゴ同士だって
初見でウマが合うか合わないかは分かる、合いそうだと私は思った、後で訊いたら「私もこのへんじゃあいいオナゴだ」と
思ったらしい、ほらね、私もけっこう悪くはないのよ(笑)
あちらの鬼の欄に登場するようなオナゴじゃなかったんだけど、長い付き合いで、私、18~62までつき合いましたよ~
以降16 年も会ってないわ、
ある一件でとても主義主張にずれが出て(大袈裟だけどこの線より先はダメという”一線” というもんがあるでしょ?)
何も言わないで退いた、私も頑固一徹な処が大いにありだもんで(´∀`*)ウフフ
【Y】の出生の秘密は私には分からないことで、現在ここにいるオナゴと友達としてつきあえるかどうかにのみ興味が、
関心があったけど、でも【Y】にしたら、出自は大きな問題で、そこを経なければ相手との話が進まないような気持で、
生きてこざるを得なかったのかもしれないので、無下に気にしないでと言えない空気が漂った、
このような話は他にもあって、オトコもオナゴも”ここ”を話すということは、そこを逃れたいのかもしれないし、理解を得
たいのかもしれないし、或いは優しさをもって接してほしいという希求も含まれてるのかもしれない、合槌が欲しいとか、
私には想像外の事象なので、傷つけないためにも言葉を選んで話さねばならなかった、初めての経験だったので気遣いをし
出来るだけ意に添うように努力したことで、少しは打ち解け、相手の思いを受け止められるようにもなったからつき合えた
具体的な言葉でいえば”戦争” だから安易に言葉にしない方がいいと思い込んでた私だけど、あまり気にしながらおずおず
と話すのもどうかと思う気持ちも一方にはあったから「どう言葉を遣ったらあなたの気分を傷つけないか教えて」と直截に
訊いた、ら、「気に入ったわ、今までそういう人はいなかった、ただ大変だったね、とか、戦争がイケないとか、気にしな
さんな~とかしか言われなかった」【Y】は続けた、
「今から私の過ごしてきた日々を簡単に言うから、それを聞いてくれたら普通の対応をしてくれたらそれでいい、同情も
要らないし、余計な気を遣わないでつき合って欲しいよ」と、私は理解できたので「じゃあ先ずはあなたの話を聞くね」
私はそう返事した、
端的に言おう「農家の長男宅に(戦争に行って)戦死の公報が入った、次男が家督相続をすることになったので、その母親
は次男の嫁になり出産した、オナゴは次男の長女として入籍された、
処が長男(オナゴの伯父)が無事に戦地から帰ってきた、そこに次男の子がいては家の中が複雑になる、ということで養女
に出された、兄の嫁の連れだったはずの次男は、他所の家の婿になって家を出て行った、昭和 20 年頃の話だったそうで、
そういう話は他にもあって、農家の後継者がもし次々と戦地へ赴き、敢え無き憂き目にあったなら後継者問題は必ずおきる
私の従姉が嫁にいった先でも、3男に嫁にいったけど結局は家督相続人となり、家を護る立場となって、従姉は苦労した、
後に【Y】は言った「生まれた家というものを見たいし、産んでくれた母親とも会ってみたい、従兄姉にも会ってみたい、
墓参りもしたいし、だからつき合って」これは私には思いもかけないオーダーで戸惑いもしたし、どういう対応をされる
のかも想像が出来なかったので簡単には答えられなかった、私たちは 20 代半ばを過ぎていて、つき合い始めて6~7 年程
経っていた、私は免許を取りスバル 360 に乗ってた頃だった🚗
初めてのお宅訪問ではあっても、村名が分かってたら後は訊きながら行けばいいようなエリアだから簡単な案件だった、
その家はかやぶき屋根の農家然とした家で、玄関に迎えてくれたのは従妹にあたる娘さんで、優しそうな応対だった、
家にお邪魔した処、玄関の三和土は綺麗に磨きこまれ、囲炉裏の有る居間から続き座敷は開け放たれ、丁寧に暮らしてる
様子が分かり、オナゴはホッとしたように靴を脱いで、揃えて上がろうとした、私は送ってきただけだから車に戻ろうとし
「じゃあ後でね」と言ったら着物を着たその母親らしい人が静かな声で言った「お友達も折角だからあがらっせ~」と招き
座布団を並べた、私はオナゴを見て「どうする?」と「折角だから上がらせて貰って」と言ったので、図々しいとは思い乍
らおじゃますることにした、【Y】も私も座布団は外し「初めまして、急なことで」と挨拶した、
その従妹にあたる娘は甲斐甲斐しく茶を出して「頂き物で申し訳ないですけど」とお持たせの和菓子を出してくれた、流石
に、その従姉や従兄に当たる人たちは遠慮したらしく、後で生まれた、詳細を知ってるかどうかは分からないけど娘2人が
接待してくれて「お墓参りにご案内しますぅ、山の上の方にありますけど」と用意してあった花と水を持って歩いて上った
墓処は綺麗に整えられてて、オナゴは涙をこらえたような後ろ姿が印象的だった、「またごんぜなぁ」と言ってその母親は
【Y】と私に色よくつけた茄子の漬物を差し出した、好物だったので二人とも遠慮しないで有難く頂いてきた、夏だった、
それ以来【Y】は明るくなったような気がした、そして自分自身の養父母以外の肉親と会えて、独りじゃなかった!と得心
したようだった、控え目も口数が少ないのも、ましてや自身の美しさにも自信が持てなかったかもしれなかった、以降は
自信を得たように、言葉もハッキリして臆しがちな様子も見られなくなった、よかったよ~何より積極的になったのは、
そして私は仙台の学校に通学するようになった、【Y】は今までは養父母の元から離れられない人生だと決め込んでいた、
無理な進学の希望も言わずに就職したのも、養父母に迷惑をかけられないと思い込んでたからだと言った、
同年代のオトコもオナゴも進路によってあちらこちらに転居するようになり、なかなか皆が集える機会も少なくなって、
何処にでもあるように街は閑散とし始めた、
【Y】はこの地で一生を終えるのかと迷い始めたようだった、養父母に自分の気持ちを打ち明けた「東京で働きたい」と、
その養母は言った「私は終生子を持てないと思ってたが、あなたがこの家に来てくれて、私たち夫婦を両親と思って接して
くれた事に感謝してる、だから、もし、東京で仕事をしてみたいなら、若いうちの方がいい、今まで本当にありがとう」
と言って上京を勧めた【Y】は初めて思い通りの選択をしたことになった、
私はその時思った、幾度も【Y】のお宅を訪問してるけど、その後夫婦はとても仲睦まじく”夫婦っていいもんだなぁ”と
うちの親もご多分に漏れず諍いが多かったから結婚は夢じゃあなかったしね、でもその時は心から思ったもんでしたよ、
そして嫁にいってみっか~とも思わせられた唯一の(^^ゞ理想的な姿でした、【Y】もそれまでは孤独と思って生きてきた
らしいけど自身のルーツを知って冒険もしたいと思ったのでしょうか?
そして”自分で探してとある有名菓子製造会社にたどり着いた” との知らせがあったのは間もなくのことで、でも私には
【Y】は製菓業に向いてるとは思えなかった、上司某と知り合い今ならなんちゅうこともない(いや、あるか?)不倫の
道を歩き始めてしまったようで「だから言わないこっちゃない!東京のオトコはおっかね~」とその養父が言ったらしい
その頃の私は学生で仙台と北国を行ったり来たり、学校が休みの時は北国で地元の同級生と遊んでたので【Y】が初めての
東京でどのような青春を謳歌してたかは知らないけど、帰省するたびに”あか抜けて” ゆくことは確かだったよ、
せめてもの白い花を、
同級生の訃報はこの頃多くて、昨日も、川崎に住んでたNが亡くなったとの知らせがあった、記事にも書いたことのある
林隆三さんの親族で、ハンサムで優しくて静かな佇まいのひとだった、殆ど部活(カメラ部)以外では交流がなかったけど
その人の住む街に集って撮影会と称して遊びにいった、
道の両側には川(あるいは山水かしら?)からポンプでの堰があり鯉が悠々と泳いでた、イザベラバード女史が旅をした
美しい町で、家を取り巻く塀も洒落てた、家々に一貫性があって整った街並みの印象が今でも記憶に残ってます、
件の同級生の”車屋さん”A の親せきで学校では明るいぉ方でしたよ、東京の大学で過ごしてそのまま結婚して関東に住んで
殆ど奥さんのご実家にしか帰られなかったらしいから、会う機会も同学年会で数度という感じのまま”さよなら” という事
そういう年齢になったとは知ってるけど、あまりに立て続けなのでへこんだよ、
05/27
松葉牡丹は今を盛りと咲いてる、牡丹に引けを取らない咲き方で、花殻摘みをきっちりしないとダメな贅沢花なのよ、
それも楽しいから見つけてよかったわ!