05/25
ラベンダーが玄関先を淡い紫色に染め始めてちょっと雰囲気が変わって楽しい、
ブログを始めて 祝15 年 💐飽きっぽい私にしてはよくぞ続いたもんだと”私は私を褒めたい” なんて有森さんからの頂き
フレーズだけど、ブログは体力と気力が必須で、調子が出ない時には同じネタをも拾うか拾わないかの差が出るほどに、
時代が悪い時に出くわしたので明るい記事が少なくて、私としては不本意だけど、工夫して努力してなんとか仕舞いを
満足して迎えたい(笑)
そういう時に始めたのが PC で、あ!そうだ、PC といえば最初の手解きは【M】の事務所を仕切ってたオナゴからだった
【N】は負けん気が強いから年下のそのオナゴから習わなくても、教室に通おうと思ってた、40代の頃ね、
けれど【M】が、どうしてもと言うから「お手並み拝見!」という邪悪な心もなかったわけじゃないし、事務員だという
オナゴのぉ顔をも拝見したかった(笑)
だって【M】に用事がある時はケイタイもない時代の事だから直通のみ、いつもの声はこの方なの?と【N】は不躾ながら
しみじみと眺めた、その時の【N】の心の動きは「へーっ、このような方をお気に入りにしてるのね?地味で感じはいい」
と【N】は思ったものだった、だって【N】は世間知らずの最たるものだった、でも、その時【N】に閃いた、きっと何時
かは【M】と対峙する時が来るから、その時のための証拠固め(ハイハイ、サスペンスも見過ぎです)の為にも実地検証を
しておこうとね、なにせ父親は法律の人だったので (´∀`*)ぁははは
事務所に行ったこともなきゃ、どんなシステムで仕事をしてるのかも知らなかったので、いい加減な連れだなあと【N】を
思うかもしれないけど、3人の子育てでそれどころじゃなく【M】が帰ってこなきゃ子らと平和で楽しい時を過ごせたので
多忙の極みだったので、そんなことまで気が回らなかった!ぉ給料は飛ばさなかったのでまあいいやと、どうせ育児に協力
出来るよなオトコじゃないし、逆に手がかかるだけだったから、どうせ帰ってくるにはそれなりの野暮用の途中だろうし、
勤めてた会社を辞めて独立する時も、結婚したばかりで「辞めて独立したから」と言っただけの人だし、驚きはしないけど
【N】は資格を持ってたからいざ!という時には前職に就けばいいことだし、子らは地元で育てる手立てもあった、でも
子らを入れたい学校が東京にあったので、それさえ叶えられるならいいと思って in 神奈川、【N】の親もまだ若かったし
度胸は無いようで実は密かにはあったという処、そして【N】にもバリバリの若さがあったしね、
時給をお支払いしての事だったので指導を受けた(^^ゞ
【N】は 40半ばで「何かやらねば!」と嫁に来てから思った二番目の習い事だった、一番目は絵でしたよ 👇
於北国
ぉ他人様の前に出せるほどのことはございませんけど懐かしいわ、奇しくも今過ごしてる都下の近くまで神奈川から車で
通ってて楽しかったわ~これ好きなんです、他は友達に強引に召し上げられ、でもこれは気に入ってたので飾らずにいた
だから残った!
【N】よりは若いというのに世間慣れし過ぎてるようなオナゴに戸惑った、それでも初心者だから PC の指導者として礼は
尽くしたけど、やはり出来るから教えられるかといえばそうではない、自分は”出来る” をひけらかすようにカシャカシャ
と音立ててキーを打つ自分に酔ってるような感じで、【N】にはその手立ては伝わらない、茶飲みで茶を濁した方が(笑)
利口だなぁと趣旨替えをした、
やおらオナゴが自分の話をし出した「私、親の介護をしてるんです~だからパートしか出来ないので【M】さんに話したら
じゃあ手伝って欲しいと、奥さん(=【N】)は子育てに夢中で俺にはあまり関心がないようだから」そういいながら自分
で淹れた茶を伏し目がちに啜ってたのが印象的だった「それに私、別の仕事もしてるんです~時間が不規則なので【D】
さんに送って貰ったりして感謝してますぅ」と得意げに話すあたりが大したオナゴじゃ(あらごめん)ないんじゃない?
自分の子らの子育てにも手を貸さないオトコが、別なオナゴのヘルプは出来るんかい(笑)
「奥さんとお会いして分かりましたぁ、【M】さんは臆してるんですね~」洒落たことを言うじゃない?
言いたい事は分かった、要するに私が高ビーだから(´・д・`)ヤダということね、いいでしょう、【M】が現場から帰って、
その事務のオナゴの肩に両手を置いて「ご苦労様、大変だったでしょ?うちの呑み込みが悪いから」と私の目の前で言った
「呑み込みが悪いのは君の方でしょ?と腹の中で(腹黒【N】なのよ、)思いながらも平然とお世話様~」とは言いながら
さすがに鷹揚な【N】も「そりゃないだろう」とカチンときてさっさと PC をバッグに入れて帰途に就いた、
子らが帰ってくる時間だし【M】の本心は”見せびらかし”をして私の気分を害したいだけだったのよ(*`艸´)ウシシシ
その手は桑名の焼き蛤だよ!【N】は実地検証をしてる査察官だし、先を鑑みてのことだった(笑)
【N】は子のためと思い子育てに邁進した、そして何事もなかったように日々を過ごし、家事は手を抜かず料理は沢山作り
とにかく子らを無事に育て上げることだけに、それはそれで実に遣り甲斐のある仕事で【N】はその暮らしに満足はしてた
そして出来る限り【M】の行動を冷静に観察して記憶することにした、
”甘くみる” と油断するのが【M】の特質で分かり易かった、一回きりの事務員との会話で何となく推量できたのは、オナゴ
の優越感【M】の「気づきもしないでのこのこ事務所に来た【N】はちょろい(下品で申し訳ない!言動のそもそもが)」
と踏んだ【M】はますます図に乗った、いいでしょう、子らからの手が離れるまでは気づかぬふりしておきましょう、
そして子らが進学して【N】には時間がたっぷりできたので、先ずは事務所に出入りを多くし、その有限会社の内容を把握
するために事務員は他の事務所に移動させ、【N】が経理をみることになるように強引に仕向けた、ヤルときゃヤルのが
オナゴです、そしてその現実を見極めることにした、いやーーーいい加減なことでした、時代が時代だったので、空調設備
工事は順調でそれに付随するリフォーム工事が大流行で、時流に乗った感のある注文が舞い込んで、【N】も外商に手を
ひろげた、案外、親に似ず商才があったのかも~
【M】はただ黙って事務所の椅子にふんぞり返り、あるいは知り合いの所に出かけて仕事を取って、技術屋や施工者を選び
配置して、工事の一切の責任を持つという業者になった、その日々の中で【N】は【M】がどのようなオトコで、どのよう
な環境で暮らし、どのような価値観をもって、どのように人々の間を渡り歩いてきたのかを垣間見た、
そして得意先が上々だった、銀座の某有名店の専任保全屋となり公私にわたって尽力を、未亡人が社長だからという事?
旅はご老人たちが集って行ってたから、その団体さん御一行にはパシリが必要だったようでツアーコンダクターも兼任、
神田の電気屋の専任保全屋で瑣事から家屋の建築に伴う空調工事やら、そしてそこの老社長に気に入られてお遊び係兼任
大手町の某商社の偉いさんを通じて、会社だけじゃなくて個人宅をも保全してた、
【M】はそれでもその事務員のオナゴを自分が留守の時には仕事をさせていた、ウマが合ったのでしょうか?あるいは同じ
生き方をしてきた同士のような関係(だと言ってたけど同士って何?ー笑ー)を維持してたようだった、
壬生の同志じゃあるまいし、高々そのあたりの有限会社じゃないのさ(失礼)大袈裟にもほどがある、
05/24
青空と若葉の街道を車で走ってると色んな世情を感じてしまう、考えたくない”歳” というワードが頭の中を占める瞬間
が多すぎてやってらんない(笑)
そういえば多くの先達は言ってた「若い頃には分からないかもしれないけどホンとに歳だけはとりたくない(怒)」と、
私は若い頃は思ってた「そ-なんだぁ、でも現役退いたら悠々自適じゃ~ん、したいことだけして過ごせるなんて贅沢よ」
ところがそうはなったって、コロナ禍で自粛が身についてしまって計画を立ててどこかへ行くということを面倒に感じる、
ぉ国は自粛だ、自覚をもてば経済は後押しするなんて絵に描いた餅を配り過ぎちゃって、申請詐欺にまでヤられて這う這う
の体で逃げ出した、それぞれの判断でマスクも旅もいいよ~だなんて、ガキの使いのような(下品で申し訳ない)結果で、
私たちのように生真面目な人間がどれほど振り回されたか分かってるのかい?
悠々自適なはずだった老後はすっかり輝きを失い、余計者のような空気が立ち込めて、まるで年¥を無駄に使ってるような
気分にさせるなんて政治家の手腕不足だとしか思えないよ、
”若者6人で老人1人をささえてます” のようなキャッチコピーを浸透させ、若者の先行きに暗雲を立ち込めるような錯覚を
感じさせ、年¥なんて貰えるんだかどうだかわかんねー!と若者をグレさせて 75 歳くらいまでは仕事してってさあ、これ
ってぉ国の責任じゃないの?君たちが率先して”仕事” をしてよ、
国民のぉ幸せの為に粉骨砕身の努力をするんだったでしょ~よ、長生きしてる国民がイケないの?まあ野暮な問いだとは
知ってはいるよ ”貴族院議員” という言葉が懐かしい(´∀`*)ウフフ
05/25
婆は気分を変えるのは早い、うじうじ考えて時間を無駄にするほど時間を持て余してるわけじゃあないのよ(´∀`*)ウフフ
北国に居たる時には黙ってても花は咲いた、ところが都下ではそうはイかない、エリアが限られてるので工夫が必要となる
”寄せ植え” には憧れていた、北国の花畑を彷彿とさせるようなもんだから、でも冬に挑戦するには冒険過ぎた、経験ゼロ
だったので、折角の春だものと好きな色合いの花を買ってきて試みた、
05/25
オレガノ ケントビユーティ 👆 が個性的な姿で小さな蕾をもっていた、一目でこれだ!と思いました、
05/25
この色調が宜しゅうございましょ?寄せ植えは一方を正面にしてる場合が多いけど、私はその花その花を正面にできるよう
配置することを選んだ、どの花も主役ということで、
05/25
ロベリア スカイブルー👆 ダークブルー👇とを水の流れのようにしようかなと思った、
05/25
思い通りのセッティグとなっていって、早朝のつめたい空気が気分を変えてゆくから嬉しいね~
05/25
クフェア 👆 という珍しい小花を見つけた、メキシコハナヤナギという和名でミソハギ科だと、常緑小低木に惹かれて、
育てる!と思えたからまだ私には意欲はあったという証拠ね、
05/25
仕上がりは上々で早朝の腹立ちがどうにか納まって美味しい朝食となりました、やはり伊達に長生きしてるわけじゃない、
自分の気分は自分で何とかできなきゃ素敵な年寄りにはなれないわ、
腹立ちの原因ですか?昨日の元職(76歳)友達のゆき場のない怒り電話を聞きながら「なんでオナゴだけが?」と同調
したことなのよ、後でね~介護と生きる目的と遊びの欠如というところよ(´∀`*)ウフフ
H 子ちゃんは札幌生まれの札幌育ちで(垂涎の高校だった、かの渡辺淳一センセの母校)に通い、地元のぉ譲s間女子大の
二年生になった時、その父が亡くなったので、亡き父の親族の伝手で北国の父の地元の国立の学校へ再入学した、
家を離れ母親とも離れ、亡き父の地元とはいえ、初めての地で暮らし通学してた、そして縁あって現在の連れの嫁になって
私らの地元に転居した、そして私と同じ職に就いた、初めて会ったのは私は26歳、H子ちゃんは24歳だった、
道産子オナゴの気質は我慢強いというけれどその通りの性分で、H子ちゃんは舅姑、小姑と勢揃いの”下駄屋”の嫁になる
子を舅に預け仕事を続け、いち早く家に帰り家事をしていた、その時の頑張りは私たちがみてても難儀な日々だった、
下駄屋の職人さんだったH子ちゃんの舅はとても優しく控え目で、仕事に誇りをもっていた素晴らしいぉ方だった、嫁の
友達という私らに、お出かけ用の下駄をあれこれ選んで鼻緒の色や模様をつけてくれて、しかも格安で、
そのおかげで同僚たちは親へのプレゼントにしたり、親戚の客の注文を取ってきたりして出入りしてた、茶飲み話も丁寧で
セールスレディには余り興味がなかったような(恐れ入りますが夫婦などというものは思いがけない組み合わせなのよ)
そして間もなく舅は臥したままとなり、姑はやり手のセールスレディ、家になど居ることは少なく、家事はせず、只管
ノルマ越えの売り上げで家を支えていた、H子ちゃんの給料は神棚に上げ、その夫の給料は殆どがその夫のお小遣いと、
まあね、そういう時代だったのよ、今じゃ考えられないけど、
そして目の下のたん瘤(あら品がなくてごめん)小姑はやっと嫁にゆき、舅を介護しながら姑の代わりに家事を熟し、仕事
は続けていたH子ちゃんにも待ちわびた春がやってきた!と思った、
H子ちゃんの姑はその夫(舅)介護するどころか益々セールスレディになり切って仕事に夢中で家を空けて家事はしない、
H子ちゃんの連れは坊ちゃん暮らしが身に染みて、その親の事などお構いなしに、ましてや子育てすることもなく自由自在
の日々を謳歌してた、
職業柄、その世界は狭くて”その連れの噂” などはすぐに聞こえてくる、けど、矢張りH子ちゃんは母親の反対を押し切って
嫁にきてしまった意地を捨てられず、せっせと婚家に尽くすので、私などは実家暮らしだったし、当時は独身だったので
その意地が分からなかった(今なら痛いほどよく分かるけど)
H子ちゃんはそれでも私に「嫁にいった方がいいよ、一回はねと」笑って言ったのが【D】が気紛れに私の家に来て会った
時だった、ひとは一見じゃ分からない、ということもH子ちゃんは気づかずに(´∀`*)ウフフ
それで私はじゃあ嫁にいくかぁ、一回はねと思い実行したのだった、口車という言葉には無縁の世間に居たので乗せられた
私も軽率でした、太宰の天沼暮らしに惹かれてしまったのよ、
”立ち振る舞い”(嫁にいく方の家族親族のお振舞)をして同僚や親せきや同級生を招いての宴を張ったのが母でした、
大座敷に三の膳付きの料理に、親しい人達の集まりだったので無礼講で、しかも振袖、紋付きの格調高い座敷事だった、
「どうせ東京の結婚式など高が知れてる」(これまた申し訳ない)と、まあね、正解だったわ(笑)
H子ちゃんのことね、舅の介護を殆ど独りでしておくった、その娘(小姑)なんて嫁にいったまま何の手伝いもしないまま
葬儀の時には喪の和服で仰々しく座ってた、酒を酌するでもなく一人で黙々と食べてた印象しかない、
さすがに姑は参列してた、そしてH子ちゃんの連れは喪主として甲斐甲斐しく動いてた、初めて見た姿だ、何もしない坊ち
ゃんだったのでね、
そして何処にでもあるかもしれない葬儀後の諍いは始まった、この話はH子ちゃん本人言で「もし何かに書く事があったら
書いてもいいよ」との了承の事ゆえ、
「舅が亡くなったと思ったら小姑がやってきた!姑に呼ばれたからだといってさ、何のことやら分からなかったので同席、
そして姑がおずおずと銀行の袋を差し出して、これは娘に、そしてこれはH子ちゃんと息子に、半分分けてね」と、
そこでH子ちゃんはキレた(笑 だって本人が苦笑交じりに話したから)
「お義母さん、うちの旦那さんは長男です、それに娘の半分だなんて情けない、私も夫もそれは辞退します!」と言って
とっとと席を立っちゃった~やはりオナゴはいざという時にはヤルのよね(´∀`*)ウフフ
「金額じゃないのよ、今まで同居して舅の世話を何かと姑の代わりにしてきたのに、先ずはありがとう、ご苦労様でした
でしょうよ、それを銀行の袋なんかこれ見よがしにチラつかせていかにもお終いですよ~だなんてバカにされたと思った」
H子ちゃんは次の手立てを考えた、姑はきっと家を建て替えると踏んだ、だって姑はその道のプロですから準備万端なのは
既知のこと、今までの商家を壊して別の土地に新築した、嫁に来た家だから関心も愛着もなかったらしい、
H子ちゃんも自分たちが姑と別居するために家を建てていたので、そちらに娘夫婦を住まわせて、H子ちゃん夫婦は姑の家
に引っ越し同居した、今までの苦労を思えば、姑との同居は避けたかった処だけれど、やはりエリアの近隣の事を思えば
独居になった姑を、今度は再び介護するの図の方が自然の流れだと思ったらしい「いい嫁」というスタンスは必要なので
H子ちゃんは娘夫婦の家に通って、孫の面倒をみながら娘夫婦の食事から弁当迄、、姑の食事の支度をも熟し、絵に描いた
ような日々を過ごし始めた、そこが道産子の強みだったとつくづく感じ入った元同僚たちでした!
孫がゼロ歳から育ててるので我が子のように手厚く、しかも口の肥えた少年は、家以外の所ではものを頂きたくないと言う
ほどに、添加物NG、味の好みも難しくH子ちゃんの料理以外は、たとえその母の料理さえ頂かない始末(笑)
05/21
松葉牡丹がこんなに美しいとは、再度見惚れた、植えてよかったわ!
さて愚痴もいいけど、あまり長くなると”いいかげんにせいや~” と自分でも思うからページを変えて花を変えて序に
気分も変えて爽やかに始めたいと思う(^^ゞ
讃美歌312番
まあね、ひとの気分なんてコロコロ変わるのが常で、だから生きてもゆかれるというもんよ、これが気分が真っ平じゃ
つまらないかもしれないしね~
朝ドラを観てたら宇崎竜童さん役が言った「人生は短いからほにゃららら」私は言った「いやいや人生は長いでしょ」と、
出がけの子が言った「それは内容の違いでしょ」厳しいでしょう?私もドキッとした、だらだらした日々を送ってるという
ことを暗示したのかと思ってね、この頃僻みっぽくなってるなあとは自分でも思ってるけど、
だからこそ今からでも遅くはない、何か人生の指針のようなものを求めてる、
05/22
昨日、仙台の同級生から声の便りが、高校の時の私の恋の車屋さん役(ひばりさんの”車屋さんの歌”にある)の A よ、かれ
これ60 年ほどの知り合いとなるけど、同学年回会でのみ 会うような感じよ、
オトコとオナゴの友情は成立するかという話題がよくでるけど成立!だね、私の意見はよ、だって同性よりもさばさばして
恋バナも出来て、夫婦の話も出来てなんてそうそうないと思うから、大して重要な話はするわけじゃないから無責任・放談
が出来るならやはり友情でしょう、そして時折気にかけるぐらいが丁度いい、
A は言った「ばあなた、よくオトコとあちこちに行ってたね~ほら、20 の頃よ、しかも同じオトコと、年下だっけ?
長いつきあいだったのか~?」
「何をいまさら、思い出したの?そうだよ、学生時代だけの 4 年間ね、礼拝堂で清く正しく美しくってヤツよ、かの有名
な茂吉センセの故郷の出身で、お茶屋の息子、今やってるかどうかは知らないけど、確か、大分、名古屋、と転勤族で、私
が45の時、ママ友の miss千葉、miss秋田と3人で京都、奈良、福井を旅した時、京都で会って飲んだことがあったよ、4人
でね、実に懐かしかったわ~、冬の旅だった、何故冬だったかというと”永平寺” が目的だったからよ」と私、
「へーーーどうだった?」と A が言ったから率直に「うん、嫁にいかなくてよかった(笑)何がって」言い淀んでたら、
「顔か~?全く~自分の顔も考えないで」と A が言うから「私?イケてたでしょ?(´∀`*)ウフフ」と私は言った、
「あなたもよく追っかけてたよね、次から次へと、そしてNGでさぁ~あの電車で見染めたオナゴはどうだったのよ?電車
ですれ違って名を聞くか?」と私、
「その後、あのひとが俺の下宿に弟と来たんだよ、TD 在学中の弟で部屋をぐるりと見渡して、ちょっと喋って帰って行っ
たよ」A はまたも撃沈!「姉さん、TG の上に蔵書がなってないよとでも言ったんじゃないの?(爆)」
これ、TD とTG の違いが分からないとNGかもね~(´∀`*)ウフフ
こんな話を出来るなんて、これどう考えたって友情以外のなにものでもない、思い出はたくさんある方が老後は充実する、
05/22
柔らかなピンクの花びらが美しい~~~~って、今日は雨だから撮りおきを、
”光る君へ” のキャストの紹介が出てて思わず「ぉ――――お大河!」と嬉しくなった、そりゃキャストだけじゃ分からな
いけど今年の大河を残念ながら途中下車しちゃったから(失礼!)なおさらだけど期待大!
今月の 10 に取り組まなきゃならない日がやってきた、これはこれで私にはあった方がいい試練、けじめのない日々への
ちょっとした刺激とでもいいましょうか、何かひとつでもいいから宿題がないとね、
◎・・・・・『光る君へ』と・・・・・ ◎・・・・・スーツの若者・・・・・
◎・・・・・五月の雨に・・・・・ ◎・・・・・小学生の・・・・・
◎・・・・・雨だれ透ける・・・・・ ◎・・・・・思春期のような・・・・・
◎・・・・・老夫婦と犬・・・・・ ◎・・・・・五月の真夏日・・・・・
◎・・・・・先になったり・・・・・ ◎・・・・・政治家の笑顔・・・・・
いつものようにここから始めるのですけど、時事を見渡して(大袈裟だけど)自分の心情をあまり顕わにせず、何気なく
滑り込ませたりするのは面白い作業だと思うのよ、拙いから、素人だからと言っても、知り人も読むわけだから意識して
いい恰好しようと思うと裏目に出たりするので危うい遊びだと思ってはいる、
05/22
白い砂利が雪のように見えないこともない、人生もいい人生と思えば思えなくもないという複雑な心境の時期に突入して
なんとかもっといい人生にしたいと思うから”オナゴは欲張り”と言われるのだろうね、自分の人生だもの、好きにするわ
もし初恋の人と結婚してたらどうなっていたでしょうか?というお話があったから雨に誘われてちょっと考えてみた、
そりゃあ 10 代のやや仕舞いで知り合ったということだとすれば、もっと長い時間を共有したことになる、超長い、
でも案外、純粋な思いだったわけだから思いのほか楽しい日々だったのかなあ、とは一瞬思ったけれど、その後のそのぉ人
の人生を垣間見てきたことから察すると、今と大差なかったかも(^^ゞ
どうも私は人選が甘いのか?それとも世間というものを認識し過ぎず、ただ漂っていたような感じ、でも根が生真面目で、
取り組みは真剣だから、途中で放り出すことだけはしなかったから出来はいいんじゃないかしら(苦笑)
それと私ら親にしては子らが上出来だったので有体に言えば有難いこっちゃ!子らがいなかったらさっさとケリをつけて
とっとと別な人生を歩んでいたと思えないこともない、
まあね、世の中そうそうウマい話ばかりはないんだから、この中りで丁度いいのかもね、初恋の人はあの世へ旅立ったし、
連れは丈夫で長持ちしてるから、そうそう欲張っても仕方がない、でも私は業突く張りなの(笑)