2025/04/08
外気温 19 ℃、戸外はお日様サンサン時々曇りに春風がそよぎいい按配ですよ、軒下という場所のハンディに負けない
力強さを学びたい、長い悶々の日々から解放されて、亡母の喪失感からも立ち直り、ちょっと強気になった私です、
率直に言って嬉しいわ、
2025/04/09
あっという間にサクラソウがこぼれるように咲いてた、言うともなしに「春ですね」という言葉が口をついて出た、
花ってどうしてこうもぉひとの心を捉えて放さないのかしら?
2025/04/08 チューリップも咲いた!黄色が鮮やか
2025/04/08
伐り戻した甲斐があったわビオラ、この色も好きなので、どうにかしてもう一度咲かせたかったので嬉しい、
・・・・・盛者必衰の理をあらわす・・・・・平家物語とまでは言わないけれど押並べてぉひとの人生は同等と言わない
けれども、同じような事は人間だもの、ありうるという話、時代を超えて、越えて、
私が勤めてた職場に私の後輩が勤めることとなった、私が祖父に急かされて長女の務めだから、妹達より先に嫁に行けと
示唆されて、吟味もせずに、農村の選択基準に則って、そのひとの(俺様ですよ)言葉を鵜吞みにして嫁にいく事になり
あれよあれよという間に荻窪教会で式を挙げた、その時に、その家族とは初見で、今じゃあり得ない、
興信所に調べて貰うとかという選択肢の無い農村では、ひたすら自身の言葉だけで事を決めるのであって、特に○○圏の
事など知る手立てはなかったし、ぉひとを疑う事も、このような大事には有り得ないと、親族一同そう思ってた、
同じく○○圏から嫁にきたぉひとも、そのエリアのこ面倒くささに辟易して、サッサと子連れで自宅へ戻ったオナゴは
枚挙にいとまがない、学生同士で親しくなって、本人の人柄で決めてたのでね、
カルチャー ショックは勿論の事、その姑の言動(舅はオトコだから嫁は贔屓目で見がちなので)は凄まじいもので、それ
って、どの世界でも、どのレベルでもあると最近は喧しい、それは姑の嫁に対する”嫉妬” あらゆる分野で(大袈裟だけど)
例えば学歴、嫁の家の成り立ち、その親の思考、志向、嗜好、価値観と数え上げれば枚挙にいとまない、
この話の場合は、○○圏から小都市に嫁に来てしまった(しまった!と気づいた時には身動きも撮れない場合が多い)話
この先はこの光景と同じように落陽の一途を辿ることになるオトコは、それはそれなりに苦労をしてた事が発覚した、
子が帰って着たので夕食の後で、誰にでも有り得る老いへの坂道とでも、酔い記事になりそうなので明日ね~つづく
オナゴを名前の一文字をとって K 子ちゃんとしときましょう(私より年下ですけど年代は同じ)K子ちゃんは雪のあまり
降らないエリアから雪しか降らないエリアに、学生の時 fall in love で嫁にきちゃいました、
弟ひとりの一人ぉ嬢様で、よもや親ごもそのような想像もつかない所に住むオトコのところへ、しかも舅姑の健在な家に
嫁には出したくなかったようです、けれど、K子ちゃんは恐らく口数の少ない、将来は家業を継いでDr. つまり院長にとの
道がきまってたので、それじゃ不安はないのねと踏んで嫁にきた、
理想と現実の違いに気づくには時間は要らず、すぐに悔いたけれども”院長さんの奥さん” との呼称には勝てなかった?
長女、長男、次女を産み、奥さん行を熟した、直ぐに舅姑は隠居したわけじゃなく、別宅から医院に通ってきては、
あれこれと指図して、息子(Kちゃんの旦那)の様子を観てた、ということは可愛い後継者になるであろう孫にも口出し、
「うっせ~!」(あら、ごめん)とは言わずに従順そうに従ってた、
なにせ先に明るい展望が広がってたから我慢のしようもあるということ、そのうち巷から噂が、センス良く洒落てて笑顔
がいいし、お愛想も得意で患者がどんどん増えて、ま、CMモデルになったような(そりゃアンチもあるに決まってるわ、
嫉妬と羨望の的になるのは至極当然)そんなことはどこ吹く風と、子らが大きくなったら旅行やジムや、ありとあらゆる
ぉ遊びはし放題で、その連れであるオトコとの間に隙間風、舅姑との間にも大きい隙間風、よくある話です、
でもK子ちゃんは、留学もしたし英語もペラペラだし、国内は元より国外にも出かけて、大いに結婚生活は連れ抜きで
謳歌出来てた、なんたって院長夫人ですから(笑)
そのうちその院長もそのK子ちゃんの暴挙(そりゃ、そのエリアでは考えられない嫁の言動ですから)に呆れ果てて、
K子ちゃんの締め付けに入り始めた「ここがイヤなら出て行ってもいいんだよ、父母も亡くなったし子らは自立したし」と
(姉妹は結婚したし、息子は○○技師になったし)可笑しいじゃない?用無しという事ですか?
だから職業に依る横柄な気分を縦横無尽に使い分けする職業の方々方々は、元はといえばそのK子ちゃんが出来ない辛抱
もしたからでしょ?そりゃ遊んだこともありましょうけど、オトコが遊ぶならオナゴだって遊びますよ、対等でしょう、
ましてや子も3人も産んで、その家に貢献したのですよ、オナゴを甘く見ないで、
私にはK子ちゃんの気持がよくわかる、寡黙だった東北出身のオトコを護ってやらねばと思ったのでしょう、そして協力を
惜しまないと、関東以西から東北に嫁にくると、そのギャップに疲れ果て、大体の嫁さんたちは帰ってしまうのが前例だ
K子ちゃんは偉いわ、ここまできても、時にはその連れを”かわいそうだ” と言うらしい、それじゃ帰れないわね、
それならそれでお互いの自由を尊重して、ま、気が変わるまでそのままということで、平和的解決策と言えるでしょう、
案の定、その夫婦は別居を選択し、K子ちゃんは近くのマンションワンルームを借り独り暮らしを楽しんだ、家事は夫と
息子のいる医院に通い、すべてが終わるとマンションに帰って自分の好きなように過ごすようになった、
孫5人の婆ちゃんとなった、けれども、婆ちゃん意識はあまり持たずに相も変わらず自由を、若さを保つにswimming、
けれど孫は可愛いから○○圏内の娘の家の”おさんどん”となった、やがてあの憧れて嫁にきた家の実態が明らかになる事が
分かる、ドキッ!
K子ちゃんの連れも 70 代となり、同じくK子ちゃんもそれに等しく歳をとるのだから、車で○○圏内との往復は疲れの元と
なり急に歳をとったような風貌になってきた、それじゃいけない!と思ったK子ちゃんに追い打ちをかけるように、事が
明らかになってきた、医院の行き詰まりで看護師が辞め始めて、患者は少なくなり経営は悪化の一途を辿ってたという事
が発覚した、そこに勤務してたその家の長男(K子ちゃんの息子)は知ってたらしいけれどK子ちゃんには隠してた、
事実は小説より奇なりとはこのことで、おまけに医院+住居+駐車場(何十台も駐車可)も含めて借地だった!と判明した
けれどもある所はあるなりに(無いところも無いなりに、そういう案件は掃いて捨てるほど)その先代が残したであろう
¥について、Dr.とその妹達で相続の争いが起きちゃった、今はその裁判中、いつまで続く泥濘ぞ、
そこにK子ちゃんとの裁判沙汰になったら、いつ終廷するか等、見当もつかなくなると思ったK子ちゃんは、”おさんどん”
先の自分の娘との話し合いで、○○圏内に中古の平屋建てを購入した、もちろんその夫は知ってるかは私には分からない
自分名義の家を持つことは必須アイテムよ(笑)
そこでその夫が以前言い放った言葉の意味が想像できるということよ「出て行っていいよ、その代わりビタ一文渡さない」
モノは言いようと私がよく書くけど、それもそうだわね、「ビタ一文渡せない」の誤語だったのだと推測できる、
そして医院を壊し更地にして返すには更なる¥がかかる、思えば薄情無常と思えるかもしれないけど推して知るべし、
夫婦なら、その責任の一部を負わなきゃならないわけで、そこを夫婦でどう考えたたかは分からないけど、別宅で暮らし
てたその母ごの家にDr. が住めるかどうかも分からない、エリアの人たちがそこがまさか借地だったなんて思わないもの、
先代の判断が甘かった、私が言う範疇の事じゃないけれど、先代の時にそこは購入して名義変更をしておくべきだった、
もしや何も知らないでDr.がここまで来たとは思えない、借地料は支払ってたはずだから、それとも司法書士に、会計士に
お任せコースで、ぉ坊ちゃまDr. は過ごしてきたのかしら?
と話してくれた元職が言った「今度、P ちゃんと一緒に温泉でも行こうって言ってたよ」と言うから深刻度はそれ程でも
無いのかもしれない、更に元職は続けた「親の死で分かるのがその子らの、その子らの連れの考えでその後の関係性は
決まるような気がする」って、その通り!ぁ―――――あ(^^ゞ
2025/04/08
パンジーも一生懸命咲いてるので(あら、与謝野晶子の真似、ごめん)載せたかった、何度でも~という歌詞もあるし
孤高の一輪、しかも濃い紫よ、紫といえば”源氏の紫の君” このように頼りなさげで愛らしかったのでしょうね、周りには
小さな花の周りに、大人の姫たちが わんさか(´∀`*)ウフフ 話が飛躍し過ぎてとりとめもない、
そういうところがブログ日記の良さかしら?
Can't Help Falling in Love - Elvis Presley Cover By Vanny Vabiola
やっぱりこの美しい歌声が好きだわ、Elvis もいいけれど、
2025/04/09
チューリップは去年の球根なのに、咲こうとしてるのを見ると健気さに感動!
2025/04/08
地植えの最後のクリスマスローズ、この時季の花は採りましょうとの you tube での指導だったけど、残してみたい!
私が家事(拘ってますよ、ドラマでもそうだし、昔の事を具に思い出したのでね)の中で一番好きなのは”洗濯物干し”よ
今の時季は殊更いい気分で(もうそよ風といっていいのかしら?)揺れる綺麗になった衣類を少し叩きながら干す、
そしてカーディガンやシャツや綿の上着でボタンがあるのは、ハンガーにかけてボタンは全部を閉めて着る姿で干す、
そして乾いたらそのまま洋服を入れてる処(クローゼットと書くには狭すぎるので ォホホホ、亡叔母は洋服ダンスと)
に、そのまま着られる状態で仕舞う
嫁にいって幾日もしない(当時は戦争に行く兵隊さんが、その前に嫁を貰って安心して国務を果たすような習慣)のに
走って帰ってきた叔母の話を書いた、何十年前の話じゃ?そうですね~~私が生まれる前だから、計算してくださいよ~
それも姉(私の亡母)より先に、昔じゃ珍しいことらしかったとのこと、
それ以来、実家を牛耳って、家長である弟(私の叔父)が未だ嫁を貰う前だったので祖父母も仕方がないと思ったらしい
そういう②叔母だったので、農業には携わらずに、女学校に行ってる①姉(私の母)と競って、自力で何でも習得した、
例えば料理、田舎料理は勿論の事(婦人公論などを愛読してたのでね)洋風の料理も難なく熟し、書道にはぉ見事!
というしかない、ペン字の練習帳を買ってぉ手本通りに乱れなく、そういうオナゴだもの、いい加減な相手じゃNGだった
そして③叔母(母の二番目の妹)が農家に嫁にいった(子が授からなかったので伯母『母の叔母』)はいいけど、血脈とは
いえども”姑” となったら話は違う、やはり姑は姑、③叔母は「実家に帰りたい――――――い」となっても②叔母がいる
後に①母も「実家に帰りた―――――い」となっても②叔母がいる、だから離婚は出来なかったとのこと、まあね、
何を言いたかったかといえば、家事は自力で覚えるものとも思うけれども、私のように肉親の身近にいて見て覚えるもの
でもあるということなのよ、
振り返れば、私の実家には親はいないけれども、誰もいないので、自由な空間だけが待ってる様な気がするのよ(笑)
未練なんだよ、