白花ミゾソバ 👆 がこのようにいっぱい咲くのを見るには藪を覚悟しなきゃならない、今までは綺麗に刈ってたぉ菊様
エリアだけど、疲弊の極致でそのままにしといたら、思わぬ効用が、
きれいだわ~来季はエリアを決めて咲かせてみよう、早く外の仕事をしたいけどここで無理しちゃ先が心配だから、
雨に咲いても花は花といいたいほど美しい、コタツもすでに出してまったりした日々を、何でこう疲れちゃったんだろう
そういう疲れの中でも片づけは少しづつして、テレビ観て、家事をして、案外悪くもないんだけどさ、
あ!ガラスには集中したし、これからもと思えるから、ガラス疲れかな?
コスモスも仕舞い花となってきて、種を増やしてる、今季のコスモス園が中止になったのは、種まきの頃はコロナ自粛で
出来なかったからというニュースがあった、
花にもコロナの影響があって、ひとにも勿論のこと、遠くに住んでる、ましてや関東近県からは、こちらローカルには、
帰れない雰囲気があり、こちらから行けば帰れないという、甚だ寂しい状況だった、
ひとに試練というには重すぎて、何をするにも自粛の二文字が、老いは肩身が狭くて買い物もすっと行ってさっと帰る、
当たり前に過ごすということが大変な日々だったのだわ、今でもそうだけど、
秋明菊 👆 を刈ろうかな?と思い外に出た、葉っぱがかれてきたからね、でもあまり一生懸命咲いてて綺麗だったから
刈りかねて、もう少し日延べしなきゃ可哀そうだわと思った、
花の命は短くて・・・というけれど、花は咲き継ぐので、その間楽しめるからついついね、葉っぱが枯れても花は咲く、
ということで花の命は長いということよ、
河野センセは今度「こより」を廃止ということを、知ってる私が古い人間だということですけど、父は仕事がら、書類
が多くて、よく家で「こより」を作っていた、
親指と人差し指(よね~)で半紙を裂いて、捻って、(この表現いいのかしら?)いて、
「P 子~こよりが上手に出来るようになったら一丁前だ!ぞ」って、
私は不器用だとは思わないけど(すまん!)「こより」だけはツンと立つようには出来なかった、そういえば錐で書類に
穴をあけ、その「こより」を通し結ぶと満足げに父は一服した、私は小学生で秋田市に住んでいた頃のこと、懐かしいわ
紙縒りを撚る(花さん、ありがとう)話から、>私たちは時代の境目を生きているような(辞典さんより拝借)から婆は
色々なことを思い出しちゃった!
母の話の多い私が父の話も時には供養と思い、そのピン!と立った紙縒りと墨書(当時は文言書も筆で)で、あの時には
当たり前だと思ってた薄い紙の中央の折れ目に役所明が印刷されていた、
甲は、乙は、という文字があり、大きな判子が押してあり、ただの文言書でも風格があった気が今はする、そして墨書は
堂々と、丁寧な言葉が記され、何ということなく好きだったなあ、
>私たちは時代の境目を生きているような・・・これ名言で、思えば終戦の年の4か月前に生まれ、昭和天皇の結婚式を
初めて我が家にきたテレビで見て、昭和の時代を満喫し(その頃は平和だったように思える、青森県の八戸市に住み)
そうそう富にあふれてたわけじゃないけど、家族5人が寄り添って過ごし、時々の親の諍いを見て見ぬふりをしながらも
こんなもんでしょうと暮らしてた、
はじめてのconciseを買ったのは中学生で、急に大人になったような気がして、それなりにウキウキしたり
今朝の八重朝顔 👆 は潔くパッと咲いてた、いいですね~余生というくらいなんだから好きなように過ごした、今まで
これでも十分言われるがままに過ごしてましたから、誰から?って~決まってるじゃん【D】( ゚Д゚)
コスモス 👆 もまだまだ咲いてる、蕾もあるからもう少し見守りましょ、
枸杞の花 👆 は色も姿も秋そのもので、実 👇 も可愛らしく連なって
夕暮れのコスモスは 👆 寂しげね、こういう時には~♬
オナゴの一生には色んなことがあって(オトコの一生にももちろんそうだけど)「どうしようかなぁ」って惑うことも、
そこを乗り越えるのがオナゴの強さで、
誰かに話したりするときにはもう決めてて、やはり自力で超えるものだと私は思ってる、寂しくないひとはいないのよ、
寂しさにどっぷり浸ってれば、そのうち時が解決してくれるかなぁと思えるから不思議、底ヂカラとでも、
器量よしばかりが実じゃないわ、👆 アケビの器量のわるいのを見つけた(´∀`*)ウフフ 実に変わりはないので、
今は休んでる時の実だから仕方がないわ、と言いながら Anne を紹介じゃあ意地悪のようだけど、そうじゃないのさ、
可愛いのよ、
地上 012 アンという名の少女
学校には行かない!と、誰もが通る道を今、アンは通ってるんで、ダイアナもかばいきれないし、ギルバートも当てには
ならないとなりゃ、自分で考えて決めるしかない、
マリラは必死に登校させようとするけど、マシューは無理強いはしない、子育ての経験がない二人には難問だ!
そこでマリラは友人に相談し、更には教会の牧師さんを家に招いて話し合いをして、学校のことを決めようとテーブルに
ついたはいいけど、牧師さんとアンは対等に応酬する羽目に、
だって咲くんだもの、今朝の八重朝顔です、
やはりきれいだわ~
ガラスのぉ教室に行ってきました、黙々とマスクのまま仕上げをしてる、ソーシャル・ディスタンス4卓で(笑)
同じ空間にいるというだけですけど、70 越えのささやかな気分転換とでもいいましょうか、
そしてもれなく作品がついてくるというわけ、その趣味がひとを助くる自粛ほにゃらら、
CS 2 293 これは経費で落ちません
経理部にいるんですから経費のチェックは避けられない部署です、そこで起こる様々なやり取りが面白くて、again です、
それでも笑っちゃうシーンが多くて、しかもありがちなね、
今観てますけどククククの繰り返し、「鶴の恩返し」や「はなさかじいさん」など、恋あり仕事あり、まあ今はこういう
時じゃないから不謹慎と言われそうだけど、
そして今、ドラマには欠かせない 👆 江口さんの立ち位置とセリフと、厳しい中にもひとを信じる精神が潔く、目力が
なんとも言えず引きこまれた、
「ひとは変われる!」この言葉がいい、自分はこういうもんだと決めつけてしまっては先がつまらないもん、正しくある
ということは大変だけども、その分自己を否定しなくてもいいし、言質をとられても堂々の対応ができる、
経理という仕事はしたことがないので、領収証を扱ったことはあまりないけど、裏書きがあやふやで、接待の際や内容が
詳らかになるその過程がおかしくて、
会社の¥で遊ぶような接待だと思いきや、飲みたくない酒を飲んだり、不本意に諂ったり、慣例に従って接待しなきゃ、
仕事が取れない現実に懊悩した役職を見ながら、
若者は「おっちゃん、ようやるわ」と遠目に眺めながら、徐々に接待の渦に巻き込まれていく、現実なんて綺麗ごとじゃ
済まされないと気づいていく、
そして今の若者は、オナゴはクイーンでオトコは僕(あらごめん、言い過ぎ、でもボクちゃんという意味ではそうだね)
なんてオナゴには幸せなんでしょ?
婆の頃なんて結婚するまではまあまあの処遇(* ̄▽ ̄)フフフッ♪、結婚したら即ママの代わりのような、あらそうね、主役の
座を引きずり落された脇役のような、
「僕が食べさせるから」なんて粋がって言おうものなら「古!それに仕事をしないで家に居て家事をやってりゃいい」と
そんな傲慢なオトコはヤダ!だそうで、
オトコが受難の時のよう、パパが横柄にママに対応してたのを真似しようものなら、バイバイね~みたいなもんだもの、
オナゴには至福の時代といえるかしら?
それにしても失ってしまった若さが、実はとても貴重で楽しくて、何でもできる輝いてる日々だということに気づかず、
無為に過ごした日もあったことを思えば、今更ながら惜しい!!!
どっちかと言えば好き放題に過ごした方だから、そんなに口惜しがらなくてもいい処なんだけれど、ひとはない物強請り
それはそれとして、この先をもう一度充実させてラスト・ランとしたいもんだわ、