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もー太郎の独り言

夢だけ大きく、あれやこれやと手を出すもー太郎の独り言(過去の記録と現在の生活)
みなさん、コメントください!!

バイト

2006-03-03 23:29:47 | もー太郎の履歴書
久しぶりの「もー太郎の履歴書」です。

新富町にある某冷凍食品会社のシステム開発は楽しく(?)過ぎました。

まったくの初心者にとって、大手会社のシステム開発に携わっているというだけで、なんだかワクワクするのです。

その後、どうなったか?

S銀行に出向することになりました。

入社当時からS銀行に出向していたM君の代わりに、私が修行に行くことになったのです。出向となると、直行直帰になります。

しかも、仕事は運用!運用というのは、既にできあがっているシステムを保守するものです。夜間動くことになっているバッチプログラムというものをスケジュールしたり、ちょっとしたサポートプログラムを作ったりします。
前の仕事と違って、9時17時で作業ができます。

それとわかって、私がとった行動!?

そう、生活が苦しい私はアルバイト探しです。アルバイトとはいえ、何か身に付くことがしたい。
私は小さなデザイン会社で版下の仕事をすることにしました。

今はパソコンで、作業するDTPデザインというもの。

当時は版下といい、一つ一つのパーツをハサミで切って糊付けし、1ページの構図を作って雑誌にしていきます。コンピューター関連と違った友達もでき、有意義なバイトでした。
ここの社長が、とんでもなく呑むのが好きな方!
私は18時から事務所に入るのですが、事務所はもぬけの空!
手紙が置いてあり
「○○さん、お疲れ様!地下のスナックにいます。来てください!」
行ってみると、みんなヘベレケ状態。
私も、結局ヘベレケに・・・。
何度、上野駅で朝を迎えたことか・・・。
バイト3回に1回(だいたい火曜日、金曜日)は呑むことがバイトのようでした。
酒を教えてくれたのは、この社長かな!

かくして、9時から17時までS銀行。18時から22時までデザイン会社という生活が始まりました。
なんといっても、給料が安いので、これくらいしないと食っていけなかった。

ところが、S銀行で大失態を・・・。

次回に続く。。

入社1ヶ月後から徹夜の毎日!

2006-01-30 16:18:29 | もー太郎の履歴書
本郷3丁目での仕事が終了し、私を待っていたのは楽しい徹夜でした。

新富町にある某冷凍食品会社のシステムが、架橋に入っていたのです。

私のする事は、社長が紙にコーディング(プログラミング)したものを、ひたすらマシンに打ち込む作業でした。

キーパンチャーという仕事です。

当時は、ホストコンピューターにパソコンを接続することはできず、ホストコンピューターへ入力できる端末というものの数に限りがありました。

これをマシンネックと言い、作業が遅れる理由の一つでした。

我が社は小さい下請けの下請けです。親会社の方が作業していると、自然に小さくなってしまいます。

それで、どうするか?

夜間に作業することになるのです。

夕方、普通は帰る時間に出社!

社長が、ペットボトルの紅茶やコーヒー、夜食用のパンやおにぎり持参でやってきます。

今思うと、本当に楽しかったですよ。まじで!
(今は嫌ですけどね!)

入力が終わると、今度はテスト作業です。

社長に「なんか入力して、エンターキーを叩いたら、どうなったか報告して」

言われた通りに作業し、報告します。

「そんなはずないでしょ!?ちゃんとやった?」

コンピューター技術者は自分のプログラムに自信を持ってますので、上記のような言葉を再三言われます。
言ったあげくに、社長が自ら確認。

「あっ、本当だ。」

席に戻り、プログラムと睨めっこ

「この通りに修正して、同じことやってみて。」

もう一度やります。
「状態は変わりましたが、変な色になってますが・・・」
(コンピューター用語でデグレートといい、直したがために、違うところに悪い影響が出ること)

「そんなはずないでしょ・・・」

・・・

これを永遠夜中に繰り返します(笑)

私は思いました、テストは自分でやったらいいのに!私の言うこと信じないんだから・・・。
それとも、私は鬱憤晴らし係りだったのか!?

この作業は、3ヶ月ほど続きました。。

内気な私!

2006-01-06 19:49:43 | もー太郎の履歴書
1ヶ月経過し、頂いた仕事は本郷3丁目のある出版社でした。

女性向けの手芸やパッチワーク関連の雑誌を扱っていました。

女性向けだからというわけではないのでしょうが、若い女性がやたら多い職場でした。

男性は2人。

そこに私は1人で乗り込んでいきました。

やること?

ああ、忘れていました。顧客データの登録作業です。

今や主婦が在宅でやっている作業です。

私は何の会社に入ったの?

毎日、直行直帰で分厚い顧客名簿を登録していきます。

内気な私は、女の子たちとお話もできません。

「お茶を、どうぞ。」

「ありがとうございます。」

一言がやっとです。

若かったなあ。今の私が行ったら・・・同じです!(かみさんの手前)

約1週間、そんな仕事をしました。

始めて地下鉄丸の内線に乗ったのは、この時です。

入社1ヶ月目(その1)

2005-12-29 16:49:48 | もー太郎の履歴書
入社して1ヶ月は、教育期間ということで、いろいろな本を読まされました。

その頃、流行の言語はCOBOL、PL/1、FORTRANなどなど。

今だから、簡単に列挙できますが、当時はCOBOL????

という感じ。しかも大量の本!!

私は、眠くなる目をこすりながら、がんばりました(?)。

お昼は、社長と同僚と、近くの喫茶店へ。

ランチ:1000円

たっ高!!

安給料、

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そういえば、給料言ってませんでした。

基本給:7万
住宅手当:5万
扶養手当:妻3万
     子一人につき2万
私の給料は、総額17万!前職の半額でした。
やめようかと思いましたが、走り出してしまっています。やるしかありません。

しかも、賞与は基本給×?ヶ月分
わかります?賞与に反映するのは7万のみ。3ヶ月分出ても、21万です。

週間就職情報のうそつきーーーーー!!
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の私には1000円は痛い!!

そんな表情を社長は汲み取ってくれました。

「1ヶ月は、昼飯代全部出してあげるよ!」

「ありがとうございます。助かります。」

次の日から、社長は出張となりました。

社長に連れていかれた先

2005-12-23 12:14:34 | もー太郎の履歴書

「いやあ、どうも!少しは勉強してきました?」 

(いや、ぜんぜん・・・<心の中での解答>)

面接の日に会った、社長登場です。
「どうぞ、こっちだから。」

およそ100人くらいでしょうか、なにやら仕事をしています。
結構人数いるんだなあ!
おっ、可愛い!俺の席は・・・。

しかし、そのフロアは通り過ぎます。
(そっか、まずは会議室で今後の予定などを・・・)
フロアの隅に小さい小部屋があります。

中へ。
「君の席はここね。そんで、仲間になる○○君と、△△君。」
「こっちは、今日から入るもー太郎君。」
「もー太郎です。よろしくお願いします。」
「それと、あと二人××っていうのと、□□ってのが役員でいるんだけど、今は出向中なんだわ。金曜日だけ報告に戻ってくるから、挨拶はその時で・・・ってとこかな。」

察しの良いみなさんなら、もう解りましたね。
そう、大きな会社の一角を間借りしている小さな会社!
それが、私の会社(社員数6人、内出向2人)だったのです。
もちろん、可愛いあの子は他社の人!!

はは、はは・・・。


会社の中の会社

2005-12-20 18:36:48 | もー太郎の履歴書
いよいよ出社の日。

最寄のバス停に向かいます。

バスに乗るのは、小学校2年以来。
なぜ小学校2年?
我が実家のほうでは、そのころ自動車の普及が広がり、利用する人が激減。
廃線となってしまったのです。

バスも満員です。吊革につかまれれば良いほう。
座っている人に迷惑にならないよう、足を踏ん張ります。

●ここで疑問!!
 なんで座ってる人に気をつかうのでしょうか?
 バスに限らず電車でもです。
 座ってる人は楽をしているのですから、少しくらいよっかかろうが構わないではありませんか。
 それなのに、それを避けるために、同じく立っている人を押してみたりします。
 見ていると、たいがいの人がそうです。
 カウンセラーの勉強しましたが、その辺の心理状態は学習しませんでした。
●疑問終了

バスが駅に着き、ホームへ!
うわっ混んでる。
面接の時と同じ経験をし、いざ会社へ。

会社入っているビルに着くとエレベーターの前で何人かの人が待っています。
他の会社も同ビルに入っていますので、同じ会社かどうかわかりません。
「おはようございます。」
とりあえず、挨拶だけはしとかんと。

ドアを開け、社内へ!
「おはようございます。今日からお世話になるものです。」

「○○さーん。今日から入る方らしいですけど。」
「今日から?うそ!うちは新人募集してないよ。」
・・・・・
「ああ、△△さんの会社だ。△△さーん。」

どういうこと・・・?

2着で19800円

2005-12-19 18:38:07 | もー太郎の履歴書
さて、出社の日が2週間後に迫った日、紳士服の青山に背広を買いにいきました。

町工場に勤めていた私は、持っている背広といえば成人式で着たものだけ。
しかも、数年のうちにデブったのか、やや小さめなのです。

青山に着き、背広を見て回ります。
なぜ、青山なのか?
それは、前日2着で19800円の広告が入ったからです。

店内を回りましたが、広告の背広が見つかりません。
そのうち、綺麗な女子店員が寄ってきて、付かず離れずしながら声をかけるタイミングを見計らっています。

「スーツをお探しですか?」
きた!閉店ガラガラ!って人のギャグじゃ。

やはり田舎者。しかも相手は綺麗な女性です。
「ええ」と答えたきり。
「2着で19800円のはどこですか?」と聞けませんでした。

「これなんか、どうでしょう。今の流行ですよ。」
店員が差し出します。柄よりも値段が気になります。

58000円!たっ高!
「ああ、いいですね。」
なんて気取って話しているときです、

「ねえ”もー太郎さん”、こっちに”いちきゅっぱ”あるよ!」
かみさんだ!!
(ちなみに、もー太郎は本名ではありません。念のため。)

苦笑いを浮かべる店員。

結局この日、19800でスーツを2着、ベルト、ワイシャツ、ネクタイ、冬なのでコートを買い込みました。
全部でいくらだったんだろ!スーツの値段しか覚えていません。

駐車場難!!

2005-12-17 17:05:17 | もー太郎の履歴書
田舎というところは、車がなければ生きていかれません。
駅まで、車で30分はざらだし、第一電車は1時間に2,3本。

我が家とて例外ではなく、私もかみさんも、それぞれに車を持っていました。

しかし、新居には駐車場がありません。
とりあえず、かみさんの小型車(マーチ)のみを持っていくことにしました。

近くに借りるといっても、駐車場の空きがない、料金が高い。
みなさん公園の周りに違法駐車をしているようなので、うちもとりあえずそうすることにしたのです。
「赤信号みんなで渡れば恐くない」(作者:北野たけしの父)
の心境です。

公園の周りの”違法駐車場”だって限られています。
良い場所は早い者勝ち。止められないことだってあります。
逆に良い場所に止めておくと、傷を付けられたりの嫌がらせをされることもあります。

マーチは半年後、見るも無残な姿になっていたのです。
貧乏は嫌ですね。

ちなみに私が実家に置いてきたマークⅡは、半年後、親父の軽トラに変わっていました。
あげると言った覚えはなかったのですが、軽トラに乗った亡き親父の笑顔は、忘れられません。

依存からの脱出

2005-12-15 17:01:25 | もー太郎の履歴書
新居が決まってから、移り住むまでの間、毎日のように栃木と西川口の間の往復が始まりました。
カーペットを買ったり、部屋の電灯を買ったり、なにもなくても通いました。

今から思うと、どんな心理状態だったんでしょうか。

実をいうと、私はずーと母親に依存して生きてきました。
妻と結婚し、嫁姑問題に発展し近場に別居しても、依存は続いていたと思います。
ですから、西川口に移り住むことも、ギリギリまで母親には言えなかったのです。
何よりも、母親に泣かれるのがイヤで小さい頃から本当のことが言えない存在でした。
今、思うと情けない話です。

そんな依存からの脱出所、新しい未来への出発場所、そんな場所だったのです。

新居は西川口

2005-12-14 17:23:03 | もー太郎の履歴書
入社の日まで3ヶ月。もー太郎家族は、限りなく都内に近く限りなく安い場所を探さなければなりませんでした。
最初に狙いをつけたのが、埼玉県蕨(わらび)市。蕨っていう漢字、未だに書けません。
蕨駅近くのアパマンショップへ。
限りなく安いところを探すはずなのに、新築が良いとか言い出すかみさん。

結局、西川口駅(蕨駅の隣駅)までバスで15分のところを借りることになりました。
新築、2LDK、家賃8万円。

その頃、子供が小さかったので、近所に公園があったのは好都合?でした。
しかし、住んでいる間に公園に行った回数、2回。
公園デビューっていうんですか?かみさんも若かったせいか、なかなか仲間に入れなかったようです。
今は、どこにでも図々しく入っていくかみさんですが・・・。

契約が済んで、鍵を渡された晩、なんにもない新居で家族3人、弁当屋の弁当を食べながら今後の生活や夢を語り合いました。
前途に何があろうと、この日が私達の再出発の晩でした。