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もー太郎の独り言

夢だけ大きく、あれやこれやと手を出すもー太郎の独り言(過去の記録と現在の生活)
みなさん、コメントください!!

システムエンジニア採用決定

2005-12-13 18:46:01 | もー太郎の履歴書
恐怖の東京からど田舎栃木に帰った”もー太郎”、かみさんに恐怖の一部始終を話して聞かせました。
「いんやー、すげぇなんてもんじゃねーよ。殺されるかと思ったー。」
「なんか行きたくなくなっちたなー。」
「住めば都だよ。」
その時、電話の音が・・・。
「今回は縁がなかったということで。」面接1社目の会社からの不合格の知らせでした。
ガックシ!!
そして翌日からもモンモンとした毎日を過ごすことになります。
こっちで探すしかねえかな。なんて思いながらも、2社目の結果が出ないことには行動できません。
半月後、リーンリーン(こんな音じゃなかったかな)電話です。
「田村さん?今回、採用ということになりました。それで○月○日から出社ということで、お願いします。」
やったー!!システムエンジニアへの道が首の皮一枚つながった連絡でした。
がっ、しかし、行く末に地獄が待っていようとはもー太郎にはわかりませんでした。
「カンパーイ!!とうとうシステムエンジニアへの階段を昇り始めたぞ!」
「やったね。」
・・・・・。

初めての東京の恐怖

2005-12-12 21:52:05 | もー太郎の履歴書
栃木のど田舎から初めて出てきた東京。
東京が”もー太郎”を襲ったのは、イマイチ喜べない面接の帰りでした。
2社目の会社の面接が終わったのは、午後5時。面接が行われたのは飯田橋。
くる時は、面接のことばかりで周りに目が行かなかったが、面接が終わってホッとすると、周りの風景が目に入ってきました。
東京ドーム、後楽園遊園地の絶叫マシーン・・・。飯田橋駅のホームから見える風景です。
「今度、家族で遊びに来よう」そんなことを思っているところへ電車が入ってきます。
ホームは田舎では見たこともないような人の数です。
もっと驚いたのは、着いた電車。あふれんばかりの人ではないですか。しかもドア付近に乗った人がドアの上部を手で押さえ、お尻で押しまくっています。
「たまんねえな、次の電車にするか。」電車を見送ります。ホームは静かになりました。
「やれやれ」と思っているのも束の間、ホームに人が・・・。そして次の電車の到着・・・。さっきと同じ。
「だめだ、乗らないと。」さっきの人の要領で、乗り込みます。しかし、中から押し戻す力とともに、
「痛てえな。押すなよ。」
「すいません。」しかし、なんとか乗り込みます。
「秋葉原で降りなきゃ」超満員の電車は、水道橋、御茶ノ水、秋葉原へ・・・。
ドアが開きます。
「は、反対側かよ」反対側に向かって歩こうとすると、ドアに向かって左右の通路から人が・・・。やりすごして、降りていこうとすると、今度は外から人の洪水が電車内に飛び込んできました。
結局、浅草橋まで行ってしまったもー太郎でした。
この後、どんな風に帰ったかは、御想像の通りです。
なんか、童話調になってしまいました。お許しください。

面接試験2社目

2005-12-11 17:31:09 | もー太郎の履歴書
恐い東京に面接に来て2社目で「もー太郎」を待っていたのは、約束の時間を破っても、
「飯食ってきた」で済ませるような豪快社長でした。
まず、適性検査。違った図形が4つくらい並んでおり、5つ目にくる図形を答えるというものです。
そんな試験をするとは思ってもいなかった私は、もうパニック状態です。
1時間の制限時間で問題を5・6個残して終了となりました。
その後、面接。履歴書をじっと見てから、
「奥さんとお子さんがいるのでは、うちの給料ではやっていけないかもよ!」
”そうきたかー”
「大丈夫です。妻も働いてくれると言ってくれてますし。」
「わかりました。後日、合否を連絡します。」
「お願いします。やる気はありますので。」
「ガハハ、君おもしろいね。」
”何が?”

いざ、面接試験へ

2005-12-10 22:02:49 | もー太郎の履歴書
成人式に着たきり、タンスにしまってあった背広に着替えて、栃木の田舎から、いざ東京へ
1社目
「何か今まで、プログラムは見たことありますか?」
「マシン語で書かれた、インベーダゲームのプログラムを見たことがあります。」
「わかりました。後日、合否を連絡します。」
2社目
会社の入っているビルに着いたのは30分前でした。
ビルの前で10分前になるのを待って、いざ会社入口へ。ガチャガチャ・・・。あ開かない!!
約束をすっぽかされたのでしょうか・・・。少し待ってみることにしました。
約束の時間10分過ぎ、恰幅の良い男が3人エレベーターからおりてきます。やくざ?
私のほうを「何者だ?」という感じで私の前を通り過ぎていきます。そして、入口のドアを開け始めました。
あの人達だ!「あのお、今日面接になっているものですが。」
「あーー、ゴメン。今、飯食ってたんだわ。入って。」
中でもリーダー格の男が答えました。タラリーン。。

やり貝

2005-12-09 19:01:24 | もー太郎の履歴書
どすーん と落ち込んでいる私に妻が差し出したものは「週間就職情報」でした。
当時、所ジョージの歌と「やり貝」がはやりましたよね!?
ついてーいる、ついてーない。週間就職情報。♪~
「ほら、都内にシステムエンジニアを募集しているところが、こんなにあえるよ。」
システムエンジニア?見てみると、待遇も良い!週休2日!初心者歓迎!これは!!!
そのころ、在籍していた電機会社で経理システムを立ち上げるということで、都内のシステム会社から何人かのシステムエンジニアが来ていました。
しかも、バブル時代。システムエンジニアは月収50以上は当たり前な時代。来ているシステムエンジニアも、なんかスーツに身を包んでかっこいいではありませんか。
私は、週間就職情報のページをめくり始め、10社をピックアップし、履歴書を送付しました。
しかし、悲しいことに面接依頼が来たのは、2社だけでした。ガビーン!!
いざ、鎌倉じゃない、面接へ!!

会計事務所、面接結果全滅

2005-12-08 19:04:53 | もー太郎の履歴書
「息子に自慢できる仕事がしたい」といっても、その時の私には、これといってやりたいものとかなかったのです。
いろいろ考えたあげく、頭にうかんだのは会計事務所でした。
しかし、経験もない、資格もないでは話になりません。簿記3級を取ろうと決意したのです。
簿記とは取引内容を記帳し、決算書(損益計算書・貸借対照表)を作成する技術です。
約1年の勉強の末、簿記2級に合格できました。
今まで、これといった資格を持っていなかった私は、これで将来が決まった!と喜んでいたのです。
しかし、自信を持って挑んだ3箇所の会計事務所、全て不合格となりました。
今になるとわかります。会計事務所で男性を採用する場合、簿記の技術は、あまり期待しません。
それより大切なのは、外回りをして顧客増につなげることができる人間かどうかです。
税務大学不合格に続く2度目の試練でした。あーーあ。。
しかし、ショック状態の私を、妻が放っておくはずがありませんでした。

人生の午後(ユング)

2005-12-07 10:46:51 | もー太郎の履歴書
息子が来年、成人式を迎えます。
私も、当然20歳で成人式を迎えましたが、本当に成人したのは30歳の時だったように思っています。
結婚するまでは母親に、結婚後は妻に依存していました。それこそ、ATMでお金もおろせない状態だったのです。
今では家計の管理、洗濯、掃除、洗濯なんでもやります。(怖い妻のおかげ?)
スイスに生まれ分析心理学の創始者である「ユング」は40歳から始まる中年期を「人生の午後」とよんだそうです。
「人生の午後」の課題は「個性化」といいそれまでの自己を見つめ直し、より新たな自己として自己実現を果たすことだといっています。
人生を1日とするなら、30歳で成人した私は、11時頃起床したことになるのでしょうか。
朝ごはんを食べそこねたおかげで、お昼にいろんなおかずに手を出している現在の状態です。
(あんな資格もとりたい、こんな勉強もしたいと考えています。最近、やっと落ち着いてきましたが・・・。)
しかし、寝坊したツケは大きいものもあります。まだ寝ているみなさん、早く起きてください!!

「人生の午後」が出たので、もう一つ。
アメリカの心理学者であるレビンソンは「中年の危機」といったそうです。
正常な中年の80%が漠然とした人生への幻滅感、停滞感、圧迫感、焦燥感を感じるというものです。
画家ゴーギャンが43歳で故郷(フランス)・妻子を捨ててタヒチに渡ったことから「ゴーギャン・コンプレックス」などともいわれているそうです。
中年のみなさん、くれぐれもゴーギャンみたいな行動をしないように!
午後には午後なりの目標をつくりましょう!

自慢できる仕事?

2005-12-06 10:36:42 | もー太郎の履歴書
コンピューター業界に入ったのは、26歳の時でした。
高校を卒業し、税務大学試験に落ちた私は、腑抜け状態になっていました。
そんな中、親が近所のつてで入れてくれたのが町内にある、電機会社でした。
そこで品質管理とは名ばかりの、製品梱包作業を7年間やりました。青い作業服を着て、製品を防水紙にくるみ、箱詰めしていきます。
それでも、給料は安くなかったし自分なりには満足していました。
23歳で職場の事務の女の子と結婚しました。1年後、息子が生まれました。
ある月曜日、洗濯した作業服を忘れました。車なら15分くらいの距離。妻に持って来てくれるよう電話しました。
妻が着いて、作業服を受け取ります。その光景を、まだ1歳の息子がじっと見ていたのです。
「息子に自慢できる仕事がしたい」心の中に浮かんだ言葉でした。

はじめまして

2005-12-05 10:22:57 | もー太郎の履歴書
はじめまして、もー太郎といいます。
現在、システムエンジニアをしながら、産業カウンセラーを目指し勉強中です。
産業カウンセラーとは、労働者の悩みや問題などの話を聴き、相談者自身で問題解決に向かって前進できるよう援助していく仕事です。
もちろん、労働者の心の改善は会社にとってもメリットが大きく、社内に産業カウンセラーを置く会社も増えているようです。

産業カウンセラーという職業の存在を知ったのは、実は私も1年前なんです。
私も40歳を超え、システムエンジニアという仕事に自分なりに限界を感じ、書店の自己啓発コーナーに通っていました。
そこでみつけた「サラリーマンやめました」という書籍!
この職業に就いてがんばっている人が載っていました。そして、私もと思ったのです。
4月から11月初旬まで、産業カウンセラー養成講座に通い、実は、先月の27日に産業カウンセラーの学科試験がありました。
結果は、まだ出ていません。ドキドキです。
産業カウンセラー養成講座を受け、私の考え方は随分変わりました。
今まで、朝日なんて正月にしか見たことなかったのに、毎朝、朝日に照らされながらいっぷくするのが日課のようになりました。
人生、失敗があったっていいじゃない。通勤電車で足踏まれて、怒って、なにが生まれるのか?
そんなふうに考えられるようになりました。
こんな私の経験・勉強してきたこと、その日の出来事をこの場に掲載していこうと思っています。