貧者の一灯 ブログ

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貧者の一灯・歴史への訪問

2022年11月11日 | 流れ雲のブログ




















実子の方は毎日きれいな着物を着て遊んで
ばかりいますが、でも継子の方はろくにご飯を
食べさせてもらえず、ボロボロの汚い着物で
毎日仕事ばかりさせられていました。

ある冬の、寒い日の事です。

継子は川で、ダイコンを洗っていました。
川の水は冷たくて、手がジンジンとハリを
突き刺すような痛さです。

その時、川の横をお殿さまの一行が
通りかかって、お殿さまが継子に声を
かけました。

「おお、娘。この寒いのに、
よくがんばっておるのう。

今日は、庄屋(しょうや)の家に村の者を
よんで歌会(うたかい)をするが、お前も
来てはどうじゃ?」

「えっ? わたしが歌会に?」

継子は、こまってしまいました。
実子はともかく、継子は仕事がいそがしく
て歌などよんだ事がないのです。

「なに、そう難しいものではない。
感じた事を、そのまま言葉にすれば
よいのじゃ」

お殿さまにそう言われて、継子は
しかたなく庄屋の家に行きました。

さて、いよいよ歌よみがはじまりました。

大きな盤(ばん)の上に置いた皿の中に
たくさんの塩がもってあり、その中に松を
うえた物を題にして歌をよむことになりました。

一番最初に、実子が歌をよむことに
なりました。

実子は自信満々に、こんな歌を
よみました。
♪盤の上に皿がある
♪皿の上に塩がある
♪塩の上に松がある

つまらない歌なので、お殿さまは
気にもとめませんでした。

しばらくして、継子が歌をよむ番に
なりました。

継子は塩の中にうえられた松を見つめると、
お殿さまに言われたように、感じたことを
言葉にしました。

♪ばんさらや
♪やさらの上に雪降って
♪雪を根として育つ松かや

それを聞いたお殿さまは、思わず声を
上げました。

「うむ、見事じゃ。きびしい寒さに
負けじとがんばる、松の力強さが
伝わってくるわ」

お殿さまはその歌が大変気に入って、
継子をお城へ連れて帰ると歌よみの
勉強をさせました。

その後、継子は出世して、幸せに
暮らしたという事です。 …












2018年11月末。私の脳に病気が見つかった。
その病院では手に負えないと言われ大学病院
を紹介された。

緊急な状態、

翌週、大学病院に行くと、その場で「手術を
しなければ・・・」、と余命を告げられた。
大学病院で初診の日に1月の手術日が
決まった。

8時間以上かかる、場合によっては2日
かかる。100%成功するとは言い切れない。
そんな言葉がドクターの口から出てきた。

手術は現時点では成功したと言える。
術後の様子を見ながら、生活が続いた。

そんな時、NHKの「病院ラジオ」を見た。

「病院ラジオ」は病院内にスタジオを作って、
病院内だけに放送されるラジオ局。

サンドウィッチマンが進行し、その病院に入院
している患者さんがゲストとしてラジオに参加
する形だった。

その時、患者として出演したある一人の
少女に感動をした。

何度か手術を繰り返していた。それでも
明るく笑顔だった。

少女は将来の夢を語った。

音楽を学んでいた。サンドウィッチマンの前
で精一杯歌を歌った。

私は退院して、数ヶ月後にネットテレビで
対談を行った。

その時、この少女の話をした。視聴者から
連絡があった。 「その少女は知り合いです」 と。

その方の紹介で少女とメールをするように
なった。その時、少女は16歳。もうすぐ17歳
になるところだった。

私が出した本や私がまとめたフォトメッセージ
集を知っていた。

ある日、「中野先生に会いたい」とメールがきた。

紹介をしてくださった方と少女のお母さん
と私と4人で会うことになった。 

会う場所は、入退院を繰り返している病院。
しかも「病院ラジオ」を収録した場所。

初対面なのに明るく元気な少女の話にみんな
が盛り上がった。いろいろな話をした。病気で
倒れた時のことも少女は明るく話す。

「私が家で具合が悪くなった時、お母さんが
私を車に乗せて慌てて病院に向かったん
だけど、スピード違反で警察に捕まっちゃってね。

そしたらお母さん、警察と喧嘩しているんだよ。
私、後ろの座席で横になって聞いていた
けれどね」

その話を聞きながらお母さんも苦笑い。
でも親の気持ちは十分わかっているようだった。

私が持ってきた本を渡すと、 「これ、欲し
かったんだ。ありがとうございます」 と
言いながら抱きしめてくれた。

「先生の本、読みたかった。(フォトメッセージ集)
も持ってきてくれたんですね」

「そんなに読みたかったの?」
「今夜、読みます」 と。

「この前も玄関で倒れちゃってね」 と話を
続けた。どんな話をしても笑顔だった。

「俺と同じ頭の病気だから仲間だな、
頭の手術仲間だな」 と伝えると、
「そう、仲間」 と笑い出す。

あっという間に数時間が過ぎた。気づけば
外が暗くなっていた。4人でたくさんの話をした。
病気のこと、入退院のことなど、でもなぜか
どんな内容でもみんな明るく話をしていた。

「またメールします」と言って、その日は別れた。
それからもメールのやりとりは続いた。

「今日、学校から帰って、着替えながら菓子パン
を食べたんだけど、その先の記憶がなくなって、
気づけば病院だった。

私、着替え途中だったんだよ(笑)。

原因は菓子パンではなかったみたいで、
また入院になった。でも嬉しいことが。

小学生の時に入院していた時の看護師
さんが担当だった。バンザイ」

どんなことがあっても明るかった。でも、
明るくしようとしている姿にも見えた。

そうだったんだ。私は「病院ラジオ」で初めて
少女を見たときに感動し、涙をしたのは、
明るいだけではなく、どこかにいじらしさを
感じたからだった。

その後、少女は手術をすることになった。

何度目の手術なのだろう。手術する前に
病室から写真を送ってきた。ぬいぐるみを
抱いていつもの笑顔だった。

それから数日後、手術を終えて写真を
送ってきた。ぬいぐるみで顔を隠していた。
きっと頭を隠したかったのだと思う。

ぬいぐるみの間から包帯で巻かれた頭が
見えていた。

私が講演に動き出したとき、出先でお母さん
からメールがきた。「どうしよう、どうしよう」と
慌てている。

少女は一旦退院したものの、家で意識を
なくし緊急入院となったのだ。こんなに慌て
ているお母さんの様子は初めてだった。

それから少女は意識が戻らず、数日が過ぎた。
その状態で18歳の誕生日を迎えた。

そしてその翌日、少女は逝ってしまった。
もう少女からメールも笑顔の写真も送って
くることはない。

声も聞けない。会うこともできない。
親の思いを母親のメールから十分感じ、
返信ができなかった。

新型コロナの関係で葬儀も縮小された。

病院で少女と会って話をしたとき、
「人生の中でいっぱい動く時期というの
があって、そんな時に人との縁が生まれ
るんだよ」 と話すと、

「私はこれから動き出すから。見ててね」
と笑って話していたことを思い出す。

「頭の手術仲間だね」 と笑いながら話して
いた少女の笑顔は今もそのまま残っている。

サンドウィッチマンも少女のことは忘れて
いなかった。サンドウィッチマンと少女は
テレビ放送後に再会をした。

テレビでは放映されなかったが、その時、
少女はサンドウィッチマンの前で再び歌を
歌っていた。

もうすぐ少女は20歳になる。

先日、サンドウィッチマンから少女のところ
に花が届いたとお母さんが教えてくれた。

その花には「サンドウィッチマン 伊達みきお 
宮澤たけし」としっかりと二人の名前が書か
れてあった。

そしてその花は彼女の仏壇の前に飾られた。
サンドウィッチマンの優しさに気付かされた。

「中野さんの本、今でも仏壇の前に置かせ
ていただいています」 ともお母さんは教え
てくれた。嬉しかった。

優しさって、目に見えないもの。
優しさって、気づかれないもの。
でも、いつまでも忘れることがないもの。

「頭の手術仲間」の少女との出会いで、
少女がたくさんのことを教えてくれた。

… (少女は天使だった)…