貧者の一灯 ブログ

掲載しているお話は、当ブログには著作権はありません。
掲載内容に問題がある場合は、お手数ですが ご連絡下さい。

貧者の一灯・番外編

2022年11月16日 | 貧者の一灯


















家族、医師らと思いを共有

終末期の治療方針について、患者や家族が医師
らとあらかじめ話し合う

「アドバンス・ケア・プランニング(ACP)」が
医療現場で広がっている。

終末期医療では、患者の意思が分からず家族や
医療現場が判断に悩むケースが目立つためで、
本人が望む「最期」の実現に向け、話し合いを
重視するのが特徴だ。

意思決定のあり方を通して、質の高い死を考える。  

「調子が悪くなったら、どうしたいですか? 
入院しますか?」  

福井市にある「オレンジホームケアクリニック」の
紅谷浩之医師は、昨秋から担当する伊藤雅子
さん(94)の自宅を訪れ、診察の終わりに、いつ
ものように問いかけた。  

「ずっとこの家にいたいです。もう病院は嫌ですよ」  
持病の悪化で救急搬送された経験がある雅子さん
が、きっぱり答える。

同居する嫁の由美さん(64)も「先生やスタッフの
皆さんと何度も話をしたし、義母の希望も聞いて、
自宅で 看取みと る決心がつきました」と応じた。

その会話を、紅谷医師は、タブレット型端末で、
血圧などの診療データとともにスタッフ間で
共有する電子カルテに記録した。



同クリニックでは、日常診療の中に「アドバンス・
ケア・プランニング(ACP)」を取り入れている。  

「アドバンス」には「前もって」の意味があり、
ACPは、意思表示できる段階から「いざという時」
にどう対応するかを話し合う取り組み。

高齢者やがん患者が対象で、延命のための
人工呼吸器や胃に直接穴を開けて栄養を送る
胃ろう、痛みを和らげる治療などを分かりやすく
説明し、受けたい治療や最期を過ごしたい
場所などを考えてもらう。

記録に残すのが基本だが、法的な拘束力はなく、
気持ちや状態の変化に応じて話し合い、何度
でも見直す。

紅谷医師は「終末期医療をどうするかについて
意思を共有でき、本人が望んでいない治療を
家族が受けさせてしまう問題を避けられる」と言う。  

昨年は、看護師や社会福祉士らスタッフを対象
に講習会を開き、死について踏み込んだ相談
に乗れる「オレンジスーパー相談員」を10人養成。

家での生活は無理だと思い込んでいたがん患者が、
相談員の支援で希望だった「自宅での最期」を
迎えられたなどの成果につながった。

「いつお迎えが来てもいい」と言っていた人が、
孫の結婚式が決まると「その日まで生きたい」
と口にするようになったこともある。

紅谷医師は「変化があって当然。患者さんや
家族の思いを丁寧に聞いていくことで、その人
が望む生き方を支える医療ができる」と話す。



8割近い人が病院で亡くなる現状から、ACPに
力を入れる病院も増えている。  

群馬県富岡市の公立富岡総合病院は昨秋、
医師と看護師、医療ソーシャルワーカーの計5人
で「シルバーケアチーム」を作り、病状が安定した
高齢の入院患者らを対象に、意思決定支援に
取り組み始めた。  

例えば、肺炎が治まった入院患者の場合、
チームメンバーと担当医が本人・家族と面談を
重ね、再発して重症になった際に人工呼吸器
を付けるかどうか、効果や問題点を話し合う。  

愛知県春日井市の春日井市民病院は昨年
12月、入院患者が対象だったACPの相談
受け付けを、外来患者にも拡大。

相談件数は倍増した。

担当する会津恵司医師は「状態が悪くなるほど
話しにくくなる。早い段階でACPを行うのが
効果的だ」と言う。  

広島県や地元医師会などで作る広島県地域
保健対策協議会は2014年、海外の先進事例
を参考にした「ACPの手引き」と、自分の思い
を整理できるチェックシート「私の心づもり」を
作成した。  

同県医師会常任理事の小笠原英敬医師は
「受けたい治療や人生で大切にしたいことを
考え、家族やかかりつけ医らと話し合うきっかけ
に使ってほしい」と呼びかけている。

過半数が事前の対話なし

ACPの取り組みが広がっている背景には、
「多死時代」を迎え、延命治療をするかどうか
本人の意向がわからず、家族の重荷になったり、
医療現場が苦慮したりしている現状がある。  

厚生労働省の意識調査では、自分の死が近い
場合に受けたい医療を「家族とまったく話し合った
ことがない」という人が約56%に上る。

公立富岡総合病院の佐藤尚文院長は「その人
の生活を知らない医療者に『あなたにとって最良
の医療』は決めにくい。

命を延ばせても新たな苦しみを作ってしまう
医療もあり、対話の中でベストを探っていくこと
が大切だ」と指摘する。  

厚生労働省も医療現場でのACPの取り組みが
重要として、相談体制づくりに乗り出している。

2014、15年度に全国15の医療機関でモデル
事業を実施。意思決定支援を受けた患者・家族
の7割が「希望がより尊重された」と評価しており、
今年度は全国200医療機関に対象を広げた。  

研修プログラム作りを担当した国立長寿医療研究
センター(愛知県大府市)の三浦久幸在宅連携
医療部長は「個々の医療機関で取り組むだけで
なく、その人が望む最期を実現するには、救急も
含めた地域の医療機関全体で『本人の思い』
を共有できる体制をつくる必要がある」と
話している。

◎QOD=Quality of Death

(Dying) 「死の質」の意味。












日本初の西洋式病院を作った人、実は貿易商人
だったって、ご存じでしたか。


貿易商人、

乳児院をつくる 歴史に詳しい人は、
ご存じでしょう。 戦国時代、大分市に
「日本初の西洋式病院」ができました。

作った人は、ルイス・デ・アルメイダ(1525~
1583年)、戦国時代末期の日本を訪れた
ポルトガル人です。

アルメイダは医師でしたが、一九五二年、
商人として日本にやってきました。 そして、
日本との交易で多くの財をなしました。

母国に帰れば、一生遊んで暮らせるほどの
大金持ちになりました。そんなアルメイダが、
なぜ日本に病院を作ったのでしょうか。

彼が病院をつくったきっかけは、実にショッキング
なことを見たからです。 それは、赤ちゃん殺し
(間引き)です。

これは当時の日本で広く行われていたことで、
貧しい家の人々が、口減らしをするために
生まれて間もない赤ちゃんを殺す風習でした。

たまたま、ある川で泣き叫ぶ赤ちゃんが親から
殺される場面を目撃したアルメイダは、衝撃を
うけます。

そして、悩んだ末、一大決心をするのです。

「殺される子を引き取って育てよう」 そのために、
豊後府内(大分県大分市)にとどまり、私財を
投じて乳児院を建てたのです。

乳児院では、2頭の雌牛を飼って貧しい子供
たちに牛乳を飲ませて育てたといわれています。

日本初の西洋式病院をつくる けれども、彼ら
を取り巻く大人たちも、貧しさや医学的知識の
不足から病気になり、悩みを抱え、苦しんで
いました。

そこで、彼はまた一大決心をします。

「自分の生涯を捧げて、奉仕しよう」 彼は
1556年、自分の富をすべてイエズス会に
寄付し、修道士となります。

さらに、豊後府内の領主であった大友宗麟
に願って土地をもらいうけ、 1557年に外科、
内科、ハンセン氏病科を備えた総合病院を
建てます。

これが日本初の病院であり、西洋医学が
初めて導入された場所です。

病院には、日本最初の医学校も併設され
ていました。 病院では、日本で最初の外科
手術が盛んに行われたほか、食事療法の
生活指導や巡回治療も行われました。

アルメイダは、病気で苦しんでいる人々や
貧しくて治療を受けることができない人々を
救いたいという気持ちが強く、とてもやさしい
人でした。

その噂は、九州はもとより遠く各地に広まり、
多くの患者が訪れていたと当時の記録は
伝えています。

アルメイダは、1580年マカオにわたり司祭
となり、その後日本に戻り布教・医療活動に
専念しますが、1583年10月に天草河内浦
(熊本県天草市)で没しました。

冒険商人から無償奉仕の医師へと転身し、
修道士、司祭としても、日本で、貧しい病人
や乳児に奉仕する生涯を全うしたのです。