貧者の一灯 ブログ

掲載しているお話は、当ブログには著作権はありません。
掲載内容に問題がある場合は、お手数ですが ご連絡下さい。

貧者の一灯・番外編

2022年11月30日 | 貧者の一灯

















「人生の終わりをどこでどのように迎えるのか」。
一人暮らしや夫婦だけの高齢者世帯が増えて
おり、関心も高いが、医療や介護などの知識が
不十分で、不安を抱く人も少なくない。

高齢化が進む京都府伊根町では、地域の医師
らが住民研修会を開き、人の死や 看取みと りの
時期について語り合い、高齢者本人の終末期の
意思決定を支えている。

「住み慣れた家で」

京都府北部の丹後半島にある伊根町は、人口
約2200人で、65歳以上の高齢化率は44%。
この町の公民館で9月に開かれた「伊根で生きて、
伊根で逝く」と題した研修会には高齢者を中心
に28人が集まった。

まず講演したのは、石野 秀岳ひでたか 医師
(42)。町内の診療所長で、顔見知りが多く、
和やかな雰囲気で語りかけた。「高齢者が死ぬ
のは、三つパターンがあるといわれる。

一つはがんで、比較的早く死に至る。
もう一つは心臓や腎臓、肺の病気で、入退院
を繰り返すうちに弱っていく。そして認知症や
老衰は、何年もかかってゆっくり死へ向かう」
と話した。

石野医師はさらに、町内に病院がないことに触れ、
「もし『家で死にたい』というなら、家で看取って
あげたい。

まず自分がどうしたいかを考え、家族や周りの
人に話してほしい」と話した。

次いで、訪問看護師が、老衰やがんの人を
自宅で看護した経験を話し、「私たちにも
お手伝いさせて」と続けた。

参加した向井令子さん(80)は夫(87)と2人
暮らし。介護が必要になった時を考えると不安
といい、遠く離れた娘の所への引っ越しを漠然
と考えていたという。

研修会後に、「住み慣れた家で過ごしたいね」
と、夫と話し合うようになり、2人で町が作成した
エンディングノートを書いた。

「自宅で最期」増加

町が研修会を始めたのは2014年。
「町民と一緒に医療や介護の問題を考えたい」
というのが理由で、これまでに400人以上が
参加した。

初めての研修会で「どこで最期を迎えたいか」
とアンケートすると、67%が「自宅」と答えた。

一方、自身の介護や看取りについて、
「とても不安」という人は65%に上り、
「本当に家で死ねるのか」
「子どもは遠くにいて、看てはくれない」と
の声が寄せられた。

石野医師は、アンケート結果を踏まえ、
研修会での講話のほか、自宅への訪問
診療や往診にも積極的に取り組んでいる。

結果は徐々に表れ、自宅で最期を迎えた
人は14年は2人(全体の5%)だったが、
今年は1~8月だけで12人(同33%)に
増えている。

石野医師は「医療は『治し方』を考えてきたが、
これからは『生き方』や『死に方』を一緒に考え
ることも必要だ」と強調した。

住民も支え手

町では約260人が要介護認定を受け、
一人暮らしや高齢者だけの世帯も多い。

一方、石野医師を除き医師は非常勤3人、
訪問看護師3人、ケアマネジャー4人、
ホームヘルパーは15人程度と、専門職
だけでの介護には限界がある。

そこで、研修会では、一人暮らしの高齢者を
主人公にした寸劇を見てもらい、困っている
ことや、その解決法を考えるワークショップも
実施している。

町民からは「ゴミ出しを手伝ってはどうか」など
助け合いの方法を提案してもらう。

町地域包括支援センター管理者の梅崎智実さん
(54)は、「伊根町を最期まで安心して暮らせる
町にするには、住民一人ひとりが支え手になる
必要がある」と話した。

病院から在宅へ転換

医療関係者らが地域に出向き、「最期をどう
迎えるか」の心構えについてアドバイスする
動きは全国で広がっている。

兵庫県のたつの市民病院は今年から、町内会
などへの出前講座で、在宅医療や看取りについ
て分かりやすく説明する活動を始めた。

「団塊の世代」が75歳以上になる2025年が
近づき、医療費は増え続ける見込みだ。

国は療養の場を病院から自宅や介護施設へ
替えようとしているが、市民の間では、「病院
で最期まで看てもらえる」という考えが一般的。

医療関係者は、市民との認識のギャップを
感じ、危機感を抱いている。

同病院地域連携課の北川智恵子課長は、
「これから医療がどう変わっていくのか。
それを伝えるのも病院の役割では」と話す。

厚生労働省の調査では、昨年8月時点で、
全国の市町村の約3割が在宅医療などに
ついての啓発活動に取り組んでいる。…

◎QOD=Quality of Death
(Dying) 「死の質」の意味。












【年を取るのも悪くない】

かつての日本では、年を取ることにあまり
抵抗はありませんでした。年を取ることは
美徳とさえ考えられていました。

お年寄りは敬うべき存在でしたし、「老成」
という言葉からもわかるとおり、年を取ること
は立派なことだったのです。

ところが、時代は大きく変わりました。

最近では、「加齢」という言葉にはどこか
ネガティブなニュアンスがつきまといます。
加齢はできるだけ避けたいものになって
しまいました。

「アンチエイジング」がこれほど盛んに なって
きたのも、年を取ることが避けるべきことに
なった証左です。

年を取ることは、素晴らしいことなのだという
気持ちを持ちましょう。そのほうが、逆説的
ながら、長生きができるものなのです。

「年を取るのは、イヤだ、イヤだ」と言っていると、
かえって老けやすくなってしまう、という驚きの
結果を示す研究もあります。

この研究を発表しているのは、イェール大学の
ベッカ・レヴィです。50歳以上の 660名を、23年
間も追跡調査し、どんな人ほど早く亡くなるの
かを調べてみたのでした。

レヴィはまず、「加齢」に対してポジティブな考え
を持っているのか、それともネガティブな考えを
持っているのかを調べました。

すると、加齢はよいこととポジティブに考えて
いる人のほうが、「加齢はイヤだ」とネガティブ
に考えている人に比べて、7・5年も長生きして
いることがわかったのです。

皮肉なもので、加齢はイヤだと考え、せっせと
アンチエイジングに励む人ほど、かえって老け
やすくなってしまうのです。

むしろ、加齢を心理的に受け入れている人の
ほうが、なぜか細胞レベルで若々しくいられる
ということです。

加齢をネガティブに考えている人は、言って
みれば、毎日、自分の年齢をたえず意識して
いることになります。そういう人ほど老けやすく
なるのはいうまでもありません。

加齢をポジティブに受け入れている人は、
あまり自分の年齢のことなど考えません。

自分の 年齢を意識するのは、誕生日くらい
でしょうか。自分の年齢を忘れているくらいの
ほうが、いつまでも若々しくいられるのです。

加齢はどんな人にも等しく訪れるもの。
こればかりは、どうにもなりません。
どんなにあがいても年は取るのです。

ですので、アンチエイジングに励むよりも、
加齢を素直に受け入れていたほうが、
心理的にはずっと健康でいられるのです。


「うつな人が、ますますうつになっていく
メカニズム」。


なぜ、うつはひどくなってしまうかというと、
うつな気分の人は、ネガティブなことのほう
に目を奪われてしまうからだという。

うつな人と、そうでない人の心理テストを
行ったところ、

うつな人は、自分自身についてネガティブな
ことばかりをよく記憶し、ポジティブなことは
無視する傾向にあることが明らかになった。

「明るいことを考えなければ」などと努力しても、
気分が落ち込んでいるときには、そんなことは
できないからです。

気分が落ち込んだときには、「明るいことを
考えよう」ではなく、何か他のことに目を向け
ようとするのが正解です。

皿洗いをしたり、掃除をしたり、ガーデニング
をしたりして、集中して作業をしている間は
ネガティブなことが頭をよぎらないからだ。

加齢についても同じで、アンチエイジングの
ことばかり考えていると、ますます自分の年齢
のことを意識するようになる。

アンチエイジングのことではなく、まったく別の
ことを考えるのが正しい。

脳科学で「脳は否定形を理解しない」という
のとも同じ。

たとえば、大事な器を持ったとき「落とさない
よう気をつけてね」というと、「落とす」ことに
注意関心がいってしまう。

そうではなく、「手でしっかり持って、ゆっくり
一歩ずつ歩いてね」といえば、「しっかり持つ
こと、ゆっくり歩くこと」に焦点があたる。

アンチエイジング(加齢に気をつける)と言え
ばいうほど、「年齢」が気になることになる。

年をとっても、仕事のある人、あるいはボラン
ティアなど、人から必要とされている人は、
いくつになっても元気だ。

自分のことを考えず、人の喜ぶことを考えて
いるからだ。自分の年齢のことばかり考えて
いる人は、人の喜ぶことではなく、結局、自分
の利益ばかり考えているということ。

また、年齢を重ねれば重ねるほど、勉強
することだ。

若い頃にはわからなかったことが、年齢を
重ねると分かることがあるからだ。

そこには、「ああ、そういうことだったのか」と、
長い間の宿題がようやく解けたような、何とも
言えぬ喜びがある。年を取るのも悪くない。

author: 内藤誼人(よしひと)