貧者の一灯 ブログ

掲載しているお話は、当ブログには著作権はありません。
掲載内容に問題がある場合は、お手数ですが ご連絡下さい。

貧者の一灯・一考編

2022年11月05日 | 流れ雲のブログ

















※ 「帰りたい」と言える世に

洲本市にあるホームホスピス「ぬくもりの家 
花・花」で、私たちは運営するNPO法人理事長
の山本美奈子さん(62)の話を聞いている。

すぐ隣で入居者の原とし子さん(83)と西岡里子
さん(98)がプリンを食べている。

山本さんは1980年代半ばまで、西宮市にある
兵庫医科大学病院の第1外科に勤務していた。

新人看護師の山本さんに、技術やプロ意識を
たたき込んだのが先輩の黒田裕子さんだ。

日本ホスピス・在宅ケア研究会に発足当初
から携わり、5年前、73歳で亡くなった。

「黒田さんはよく、『患者ではなく、一人の人と
して見る』って言ってましたね」

慌ただしく病棟を駆け回っていた山本さんは、
患者の傍らにちょこんと腰掛け、目線を合わせて
話す黒田さんの姿をよく覚えている。

山本さんの話は恩人のことから、在宅でのみとり
へと移っていく。

「病院では、本人が『帰りたい』と声を出さないと、
絶対に家に帰れないんです。『家族に迷惑かなあ』
って考えて、声を出さない人は帰れません」

そうは言っても、多くの人は家族のことを思ってしまう
だろう。「ずっと、病院で死んだ方が家族のためって
いう時代が続いてきたんですよね。

本人がちゃんと『帰りたい』って言える世の中に
なったらいいなあって思うんです。家に帰って、
身の回りのことを整理する時間が必要なんです」

山本さんは、「花・花」で5月に亡くなった斉藤多津子
さんのことが心残りだという。私たちも、連載の取材で
話を聞いた、スポーツ好きの女性だ。

85歳で人生を終えた斉藤さんは、多発性骨髄腫
の末期で寝たきりになった。「その前に一度、
家の中を一緒に整理してあげればよかった
なあって。

必要な物、要らない物を分けて、大切な人へ
生きた証しを渡すとか…」

ふと、山本さんが、プリンを食べ終えた西岡さん
に声を掛ける。「今度、家に行ってみようか? 
写真とか、取りに行こうか?」

「はーい」。西岡さんが顔をしわだらけにして笑う。
家には誰も住んでいないけど、たくさんの思い出
が残っている。…


※ 最期まで、一分一秒楽しむ 。

今回から、4カ月間にわたって私たちの取材に
応じてくれた女性の話をしたい。  

神戸市東灘区の清水千恵子さん。

2005年に乳がんが発覚し、昨年1月には余命
半年を告げられた。長く自宅で闘病を続けたが、
体調が急変して病院の緩和ケア病棟に入り、
70歳で亡くなった。  

私たちが千恵子さんに初めて会ったのは
2月下旬、まだ寒い季節のことだ。  

その日、私たちは神戸市東灘区のJR住吉駅
からバスに乗り、山手の住宅街にある千恵子さん
の自宅を訪ねた。  

玄関から顔をのぞかせた千恵子さんが
「神戸新聞さんですか?」と声を掛けてくれる。

高い声に張りがあり、頬もふっくらとしていた。  
リビングに案内され、向かい合って椅子に座る。

窓際に介護ベッドが置かれ、机にはスイセン
の切り花が飾られている。

「がんは最初からステージ4。
『もう手遅れ』って言われてね」。

当時はJAの事業所で、入荷の受付や包装の
仕事をしていた。  

「手術とか抗がん剤治療をしながら、それでも
10年ぐらいは働いたの」  

がんはリンパ節や骨をむしばむ。

20分ほど歩くと脚の骨が痛み、自力で体を
起こすのも難しいとつぶやく。

「医療的には終末期を迎えてるわね」。
勢いよく話すと、息が切れる。  

それでも、住み慣れた家での生活に
こだわってきた。

自宅で暮らしていると、編み物の習い事に
通ったり友人に会ったり、自由に外出できる。

「最近はきょうだいが食事に連れ出してくれるの」。
壁のカレンダーには、予定がびっしり書き
込まれている。  

昨年、余命半年を告げられた際、
緩和ケア病棟への入院を勧められたが、
断った。

訪問診療や訪問看護も「外に出掛けるのを
制限されそうで」と、利用しなかった。  

今年になって、息ができないほどの強い
痛みに襲われるようになる。

時々、処方された医療用麻薬に頼る。  

「できるところまで自力で痛みをコントロール
しながら、家で過ごしたい」。

千恵子さんが私たちの目を見て、
言葉を継いだ。

「死期が近づいてきているのは分かっている。
だから、一分一秒を楽しむようにしているの」 …












「当たり前」ではない】

この世で人生の成功者になるには、ただ一点、
感謝です。

逆をいうと、「当たり前」といった瞬間から、
不幸が始まる。

だから、夫婦だって、旦那さんがお給料をもって
きてくれたら、「ありがとう」 なんです。

なのに......。

「夫は働いてお給料を家に入れるのが当たり
前だわ」という奥さんもいます。

旦那さんのほうも、奥さんが料理を出すのを
「当たり前だ」と思って黙って食べ、
「ごちそうさま」 もいわない。

「それが夫婦ってものですよ」 というけれど、
そんなことをしていると、どうなるか。
間違いなく、疎遠になります(笑)。

「お互いわかっているから、『ありがとう』
『感謝してます』っていわなくてもいいんだ」
ではないのです。

お互いわかっているのに、いいあわないから、
意思の疎通が生まれるのです。

もっと、しあわせになりたかったら、
お互い感謝してください。

会社へ行っても、そうですよ。
給料日に、当然という顔をして給料をもらって
い る人もいるけれど、社長さんに、
「ありがとうございます」 「感謝してます」
って、いってみてください。

この一言をいえるか否かで、人生、
えらく違ってきますよ。


自分の体だって、健康でいるのが「当たり前」と
、体をいたわらなかったら、病気になります。

体をいたわらないとは、日頃、健康でいることに、
感謝を忘れてしまうことです。

また、たとえば、我々は日本に生まれたことを
「当たり前」だと思っています。

しかし、世界には貧困や飢餓で苦しんでいたり、
戦争状態にある地域などが多くあります。

そんな中、我々は、日本に生まれたことへの
感謝を忘れてはいないかです。

また、今回のコロナ禍での様々な行動制限
がありました。

海外旅行に行けること、普通に外食できること、
大人数で宴会ができること、ハグしたり、握手
したりすること、そんな当たり前だと思っていた
日々がコロナ禍で一変しました。

普通に今までのように、マスクしないこと、
大声でしゃべることや、密になることが、
如何にありがたいことだったのかと気づか
されました。

… すべてのことは「当たり前」ではありません。
我々のまわりにある「当たり前」に気づき…

おかげさまと、感謝の念で暮らしていきたい
と思います。