今日の閃き 2007-08-02
『洗心』について その2
「心」という存在が各生命体の固有する振動波層のリアルな活動であることが観えてこないと、なかなか「洗心」の具体的な段階が自覚できないものであり、その先の静穏、静謐な深い根源的な情報層に接続していくことは想像以上に困難である。
先ず第一の関門は、この自分自身の「心」の実体をどの程度まで深く客観的に掌握しているかということである。「洗心」は自分自身の「心」を洗い浄め、清浄な周波数環境を形成することが最大の目的であるから、まず宇宙間に存続する己の状態を真に知ることがその出発点となるわけである。
現在の地球文明は心の清浄な周波数の上に築かれた形態のものではない。もちろん、すべてがそうであるとは言わないが、地球の過去的文化は既成概念体系を骨格としたものであり、解りやすく言えば心が悪魔のように病んでいても記憶力さえあれば誰でも体系化できるものである。
そのために、知能に優れ、欲で盲目化した人物が過去的概念体系を操り、金銭、地位、名誉を求めて(求めないという反動衝動も含めて)収拾つかない混迷に拍車をかけてきた履歴が混在していることが比較的容易に洞察できるのである。真の天地人の奉り合わせ(真釣り合わせ)を喪い、地獄的様相の人類社会を「心」の結果次元として混在出現させているのである。
その結果、地球の総波動値は下降の一途を辿り、地球の本質生命体は一大決心をしなければならないところまで追い込まれてしまったのである。これと同様の原理で人類個人個人においても、「心」の次元の周波数混乱の調整をはかり、宇宙究極の「愛」との調和をより静謐な次元で実現化していくことが望まれているのである。
(続く)
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(本年のコメント)
この頃は表層記憶概念価値で時空層周波数を論じていたのである。今現在はこのようなキー言語(キー概念)に沿って組み立てていく思惟思考法に限界を感じている。このような特定の概念(言葉)を矛&盾にして概念界に君臨しようとすれば、必ず矛盾を引きずるのである。
『自然クライン環』の真意はその次元には無いのである。少なくとも創造原初が観えて来た魂『人』は生きながらにして、その三位を以て物理生体構造を超えねばならないのである。