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洗心 senshin

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過去に「下書き」として記録した記事。 「今日の閃き。」

2025-06-20 08:56:23 | ノンジャンル
今日の閃き   2007-08-17


その2 
過去地球文明の意識生活習慣では個々の意識が「メビウス智」の段階まで到達できず、既成概念を基準にした推理(仮説)をさまざまに理論実証(実験)していく「概念知」主体の意識固定波段階で自己満足して(せしめられて)いましたから、未来化の高次周波数情報の核心を掴むという離れ業(直観)は次第にタブー視されていったものと考えられます。

ごくごく稀に、いわゆる天才(?)といわれる人々によってこの両方(直観+概念再編成)の作業が驚異的な成果をもたらした場合、「概念知」の人々も懐柔され、その時期、地球文明は飛躍的な進展を遂げたのでしょう。おそらく、そうした天才たちは「概念知」をなんなく超えて、叡智の根源である「メビウス」の向こうの情報層にアクセスする能力を固有に開発していたものと考えられます。

そうした能力は、科学者、哲学者、宗教者、一般人、といったジャンル分けに関係なく、どんな分野の人間たちにも分け隔てなく与えられている、「概念知」を超えた周波数次元の生命振動層に秘められ(実は開放され)ている宇宙情報ネットワークへの接続能力なのです。

そこに気づくかどうかが最大にして必須の「第6時空元」原理へのオープンゲートなのかもしれません。幸運にして氣づいたら、そのネットワークに主体的に関わり、面対象の個々固有の次元の窓を創造し根源回帰していく生活を継続することこそが「エヴァ意識」の発振になるのではないかと思います。今後の未来情報取得(交流)の「分水嶺」を意識的に見極めていくことがとても大切に感じています。
(続く)

… … … … … 

(本年のコメント)

十数年を振り返れば、『私』はただただこれらの『閃き』を意識活動の最上位に掲げて あとはそれに見合う日常創造を創意工夫しながら組み立てて来たに過ぎない。願わくば、現状地球人意識がこの千載一遇の『転換期』(正転期)を能動的に受け容れ、『第6時空元』意識文明に到達してもらいたいものである。

過去に「下書き」として記録した記事。 「今日の閃き。」

2025-06-19 10:03:09 | ノンジャンル
今日の閃き    2007-08-18


その3
現地球文明では、本来的に「メビウス智」の継続の中で生み出され循環されなければならない類人種文明というものが、いつの間にか「概念知」というデジタルな置き換え作業に摩り替えられてしまったようです。それでも人間は現象界の本質を希求するという本源志向がありますから、そこに平面的な「理想」を追い求めて既成概念のやり取りの中に多くの人々が幻影を見て来たのでしょう。

それらの過去的な「概念知」に封印されたさまざまな生命波の味わいを『貴重なデジタル∞アナログ統合体験』として、これをさらなる洞察で本源へと繋ぎ得る「独立メビウス智」へと周波数再編成し、本源からのアナログ原理を自らに花開かせていくことがアセンションの時代には強く求められているようです。

「自然生活」という個々固有の想念観察生活により「静的調和宇宙意識」とともに片時も乖離せず、「概念知」を「愛と調和」に息づかせるような未来(エヴァ)文明環境を創造し、出来るだけ多くの仲間たちと共有意識社会を形成していきたいものです。

その課程にダイレクトに介在し得るのは「独立生命体としての意識」しかあり得ないのであり、この「独立意識」を立ち上げるには立体透過させるための縦横の両軸作動を確立するために『メビウス智』の初動が必須であると強く心に閃いて来ました。

各人の「今」を見極め洞察していく「透過意識(意志と意識)」の連続、その一人一人の「透過軌跡」がエヴァ社会根幹の透明感を形成していく、そんなかたちで地球の未来時空間が開かれていく様を想像(創造)確定していくことにより、更に更に開かれた宇宙の周波数情報が本然の姿を顕わすように思います。
(おわり)

… … … … … 

(本年のコメント)

18年前の備忘録であるが、なかなかどうして意念共振波深く鋭い。地球人は表層既成価値に囚われ表層価値を担う言葉からその精神波を独立化(つまり独立本源共振)出来ないために知識の密林に迷い込む。
これらの諸事実を瞬時に『自然クライン環』の立体的閃きに摂(と)り込めるかに懸かっていることを改めて再認識しなければならない。

過去に「下書き」として記録した記事 「今日のうた。」

2025-06-18 17:24:23 | ノンジャンル
今日のうた   2007-08-19


そういえば

たしか12日だった


家族で流星群をみようと

夜空を見上げていた


樫の木の上に

蛍が光っていて

「えーっ? 今頃 蛍が…」

と口々に言いながら

見上げた途端

オレンジの大きな光が

真上の天空を走った


こんな大きな

流星は初めてだと

口々に感激していたが

あれは

はたして流星だったのか


蛍が

なぜ 二匹もありえない時期に

ありえないところにいたのか

それを

みんなで見た瞬間

「みてね!」とばかりに

ちょうど同じ視角位置から

タイミングよく走った

光りの軌跡


考えれば

考えるほど

ミステリアスであるけれど

ようするに

未確認(飛行物体)であっても

なぜか

おおきな吉兆感がひろがって

みんなの

意識波動が

一つになれたことが

とてもほほえましく

うれしい

… … … … … 

(本年のコメント)

そう まさに家族の見守る中で起きた現象である。だが その時同じ緊張感で繋がった家族も終生同じ価値観で生活創造していくとは限らない。ある者はそんな奇跡的な邂逅さえ記憶から脱落し忘れ去る。ある者は永く記憶に留め やがてその眞實界をその身に再現する。みんなそれぞれ それでいい。

過去に「下書き」として記録した記事 「今日のうた。」

2025-06-17 10:48:50 | ノンジャンル
今日のうた   2007-08-20


ひとたび
メビウス循環を必須とした
エヴァ意識社会が確定されれば
アナログ電気情報から与えられた最高効率で
すべての生命体個々が
初期回帰(原初回帰)を心掛け 
未来化に向かって
さらなる本質を輝かせていく時代が
始まることでしょう

この過去的時空間世界から
円満循環移行のコツは
数十億 百数十億年の
過去時空間生成の中で培われた
個々固有の「メビウス智」を精製し
常に「静的調和」と
クラインジョイント出来るよう
一瞬たりとも
創造原初回帰を忘れなければよいのです

概念知思考のみでは
なかなかに困難と思われますが
本源原理を受け容れる決心とともに
所属時空層での対応振動波種類が
静穏 静謐化していくほど

本源回帰型循環が創造進化の
根幹流動となっていますから

未来化エネルギー情報は
膨大化と簡素化を同時に満たしつつ
究極一体化していきます

生命種 
なかでも特にわたしたち類人種は
こうした宇宙の生成原理を
この小さな宇宙ともいえるフラクタルボディに
畳み込まれ網羅されており

こうして
「自然生活」を営み
一瞬一瞬を静謐化していくことで
誰しもが例外なく
宇宙の愛と調和の本源原理に
永劫に帰属していることが
互恵と感謝の念で
読み取れるように
なっているのです

… … … … … 

(本年のコメント)

そろそろ、この「下書き」発掘シリーズも埋蔵残量が少なくなってきたようである。「下書き」のまま消滅させるには忍びなく、『今』の意識周波数に共振インパクト可能なものを備忘記録に再編成している次第である。現在時の地球惑星人の意識も可成りな進化度を呈して来ており、私自身ものんびりと過去の自己検証している時間の余裕も少なくなっている。
「下書き」シリーズは若干ペースを控え、その分『今』のレアな時空層共振記録を盛り込んでいきたいと思う。念願のトランプ革命(Qシフト)もいよいよ現実しそうである。『自然クライン環』正転の超巨大イベントに乗り遅れないように惑星人たる自覚の元 自助浮上を続けたいものである。

過去に「下書き」として記録した記事。 「今日の閃き。」

2025-06-16 10:13:00 | ノンジャンル
今日の閃き    2007-08-21


その1
「洗心」とは普遍的な「教え」であって、少し踏み込んだ説明を試みますと、「振動波次元の洞察」を行うことで宇宙類人種としてのバランスの良い振動波環境を確認創出していくものです。

「洗心」とは文字通り心を洗い清(浄)めることです。「心」は8層振動層の振動波構成から観れば、個々の生命ボディと本質生命体とをメビウス流動で循環させている、アーンプ体(帯)からシン体(帯)に至る味わいと感情の結果次元を主に指しています。

シン体は8層振動層に関わるあらゆる振動波の導通帯となっているように観察されます。したがって、洗心し、このシン体をセンサーとして各周波数帯をバランス良く観察していくことにより、さまざまな振動波の深い性質原理世界が洞察されて来ることになります。

各生命体ボディの本質意義の確立が宇宙意識ボデイ情報からの存在意義を天降り写す循環となり、やがて段階的に12の性質原理をあるがままなるがままに享受可能な境地に進化していくものと思われます。
(続く)

… … … … … 

(本年のコメント)

もはや 「洗心」でも「想念観察」でも何でも良いのである。何でも良いということはそれらの言葉(その体を顕わす概念)に拘る必要は無いということなのだ。この私も過去の一時期は「洗心」「想念観察」etcに執着し 之でなければ他は無いとまるで修羅の如くテリトリーを張っていた時期もあったのだ。
今は『今』 すでにそれら(表層平面価値)は根底から何も無い。あるのは『創造原初』の客観軌跡である『自然クライン環』が厳存するのみなのである。