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アイデアの散策

仕事・研究・日常の中で気付いたことのエッセイ。

シンプルゆえに難しい数学の問題

2010年12月19日 | 教育・数学・心理学
 確か、私が中学生の頃だったと思う。数学の興味深い問題を探していたところ、「コラッツの問題」という数論の未解決問題を知った。問題は次のとおり。

 ある自然数nに対して、

・ nが偶数の場合、nを2で割る
・ nが奇数の場合、nを3倍して1を足す

 これを繰り返すと、最終的に1になる。

 どのような自然数nをとっても、そうなるはずであることが予想されているが、いまだ数学的には証明されていない。

 たとえば、n=9のとき、次のようになる。
 9, 28, 14, 7, 22, 11, 34, 17, 52, 26, 13, 40, 20, 10, 5, 16, 8, 4, 2, 1

 試しに自分の好きな自然数で試してもらえば、やはり1にたどり着くことが確認できるだろう。

 人はあるごく限られた現象を、科学的に扱っているに過ぎないと思う。
 数学においても、未解決な問題はまだまだたくさんあるし、科学で解明できていない「未科学」の領域は多く存在する。
 ときには、まだ科学になっていない、「未科学」の領域を考えることは面白い。

追伸:あの、Googleの入社試験は、ユニークであることが知られている。
 たとえば、
 「正20面体の各面を3色のいずれかで塗っていくとき、何通りの塗り方が存在するか?」
という問題が出たという。

参考文献
 コラッツの問題(ウィキペディア)
 竹内薫編(2008)『非公認 Googleの入社試験』徳間書店

三角形の内角の和は180度より大きいことがある

2010年12月10日 | 教育・数学・心理学
 今日は数学の記事を書こうと思います。

1.三角形の内角の和は180度
 小学校の頃、三角形の内角の和は180度であると習ったと思う。その証明は、そう難しくない。1つの頂点を通る、その対辺に平行な線を引き、選んだ頂点の頂角以外の2つの角を平行線の錯角でその頂点に集めることで、3つの角の和は180度であることがわかる。
 
 そんな、三角形の内角の和が180度であるという『常識』を覆す概念が『非ユークリッド幾何学』だ。ここ数日、球面幾何学を考える機会があって、今日はこの話題を選んだ。

2.三角形の内角の和が270度になるとき
 たとえば、地球儀を想像してみる。すいかでもいい。丸いものをイメージする。赤道と東経0度の線が交わる点をA、赤道と東経90度の線が交わる点をB、そして北極点をCとする。その3点を結ぶ球面上の三角形を考える。この三角形の内角の和は270度である。

 なぜ、270度となるかは、こう説明する。球面上の『直線』とは、2点を通る大円にある。今の場合、直線ABは赤道上、直線BCは東経90度線上、直線CAは東経0度線上にある。そして、それぞれの直線どうしは90度で交わっている(直交している)。ゆえに、球面上の三角形ABCの各々の頂角は90度であり、内角の和は270度である。
 なお、大円(だいえん)という言葉については、ウィキペディアに紹介されているので参考文献を参照されたい。簡単にいえば、大円とは2点を通る円の中心が球の中心となるような円である。

3.パラダイム転換と視点の変化
 ここまで、数学の話題を書いたが、『非ユークリッド幾何学』という概念が誕生するとき、それはそれまでの『ユークリッド幾何学』という幾何学の『パラダイム』に衝撃を与える出来事だったと思う。そして、新たなパラダイムが科学の進歩を促す。
 『天動説』から『地動説』に。あるいは『相対性理論』の登場。自然科学の分野では、時折センセーショナルなパラダイム転換が起こる。それは、科学者の『観察する眼』を大転換させることにもなる。ゲシュタルトチェンジとでも言おうか。
 自然科学だけではない。社会科学でも人間科学でも、パラダイム転換は起こる。現象があるところに、パースペクティブ(ものの見方)の変化は訪れうる。

 今日は、『大技術転換期のMOT』という講演会に参加した。技術の大転換によって何がどう変わるのか。その講演会の模様を、続けて次の記事としたい。

追伸:球面幾何学の性質で興味深いことが、参考文献に書いてあったので引用してみたい。少し意外な感じがした。

 「同一球面上に合同を除く相似な図形は存在しない。」<『球面幾何学』(ウィキペディア)より引用>
 
参考文献
 球面幾何学 (リンク先はウィキペディアです)

規則を読み解く

2010年12月07日 | 教育・数学・心理学
 因果関係に基づく論理がある。

 ところで、「結果」から「原因」を導くのは、なかなか難しい。容易ではない。デザインとは、設計、計画、造形など、人間の創造的行為といえるが、デザイナーはしばしば、ユーザーが求める「結果」(ニーズや満足感など)のための、「原因」(素材の選定、設計の方策、方法、手段など)を練るものである。

 たとえば、まさに「パズル」(なぞ解き)としての数列の問題は、作成者は「原因」(ある規則)から「結果」(解答)を用意するが、回答者は「結果」(問題)から「原因」(その規則)を見出さなければならない。厄介である。

 頭の体操をしよう。次の問いは、ある会社の入社試験問題の一部改題である。次にあげる数字は、ある規則にしたがって並んでいる。次の□に入る数字は何か。

1 1
1 2
1 1 2 1
1 2 2 1 1 1
1 1 2 2 1 □

 ここで、じっくり□に入る数字を考えて欲しいところだが、解答例は「3」である。その規則とは、次のとおりだ。2行目は1行目を表現していて、1行目には「1が2個」ある。その情報を列挙したのが、2行目の「1 2」である。同様に、3行目は2行目を表現していて、2行目には「1が1個、2が1個」ある。その情報を列挙したのが、3行目の「1 1 2 1」である。念のため、もう1行確認すれば、4行目は3行目を表現していて、3行目には「1が2個、2が1個、1が1個」ある。その情報を列挙したのが、4行目の「1 2 2 1 1 1」である。ゆえに、□に3が入ることは検討がつく。

 ところで、数学的に面白いことは、このアルゴリズムにしたがうと、「4」という数字は出てこないことが証明できる。その証明は読者に委ねたい。じっくり考えれば理由が見えてくる。すなわち、この数列には、1と2と3しか現れない。その初めて現れる3が、上記の□の箇所である。

 このように、規則を読み解く問題は実に難しい。他の例として、
S M T W □ F S
の□に何が入るか。解答例は「T」であるが、たやすく規則を読み解くことは難しい。

 あるいは、また別の例として
O T T F □ S S E N T
の□に何が入るか。解答例は「F」であるが、答えを知っても、すぐには規則を見つけ出すことは困難かもしれない。

 社会現象を読み解くことも、これに似ているような気がする。せめても数列や文字列の場合には、一応「合理的」な規則があるが、社会現象とは「合理的」ですらないことが多い。結果から合理的な原因を探り当てるためには、上記の問題がそうであるように、いくつかの仮説を立てては捨て、そのうち適切な仮説を選び抜かなければならない。

 このような推論は、アブダクション(abduction)という仮説形成的な思考法によるものだと言える。数独やナンプレと呼ばれる、数字を用いたパズルもまた、このような性格のものである。

 「原因」から「結果」を推論する行為を“順推論”といい、「結果」から「原因」を推論する行為を“逆推論”という。逆推論を行う際、良く知られた順推論をアナロジーにできるのであれば、比較的容易に結果の原因を知ることができる。

 たとえば、
1 2 4 8 □ 32
の□に何が入るか。解答例は「16」である。2倍するという「よく知られた規則」(常識)が適用しやすいから、わかりやすい。しかし、最初にあげた問いのように、「あまり知られていない規則」や「奇抜な規則」(非常識)による逆推論は急に難易度を増す。ビジネスにおいても、王道でない戦略は競争相手に模倣されにくい。他社との異質化になる。

 最後に、1324373449という数字は素数だろうか、そうではないか(合成数か)。
 答えは、素数ではない(合成数である)。13579×97531=1324373449である。
 
 与えられた(桁の大きい)自然数が素数かどうかは瞬時に判別しにくい。このような特徴を用いて、情報通信技術の分野ではセキュリティ暗号技術が開発されているという。「規則を読み解く」ことの難しさを紹介してみました。

意思と欲のバランス

2010年11月03日 | 教育・数学・心理学
 昨夜、自分を見つめ直すべくもの思いにふけってみた。

 人って、何らかの「欲」を持っている。たとえば、この商品が欲しいといった欲求、こんな自分になりたいといった欲望。ありたい姿、あるべき姿とでも言おうか。願望は最高峰の欲かもしれない。人は何らかの理想を持つ。真善美といった類のカテゴリーに意識を向けることもある。

 人間には5つの欲求段階がある。と、心理学者マズローは仮説を唱えた。生理的欲求、安全の欲求、所属と愛の欲求、承認の欲求、自己実現の欲求の順に、高次への欲求充足に進んでいくとする。

 「欲」の構造は単純ではない。でも、「欲」によって人は行動をする。「欲」とは、行動の初期条件かもしれない。ところで、欲には「個人的欲」と「社会的欲」があると思う。「社会的欲」とは、さまざまな「個人的欲」が集合化し、社会的概念に昇華したようなもの。金持ちがいい、名誉を獲得したい、といった類の欲はもはや、社会との関係との中で構成された欲のように思う。

 でも、そういった「社会的欲」は時として誘惑と化し、場合によっては健全な判断を誤る要因ともなる。欲は、時としてもろい存在。そこで、本当に必要な行動「エネルギー」とは、「意思」だと思う。意思は、個人に内在する。自分はどうしたいか、どう振る舞いたいか。何か「信念」といった「自分の観念を信じる」力が求められると思う。逆に言えば、「自分の観念を信じる」ことが「信念」かもしれない。これまで文化が生まれ、技術や社会が高度化してきたことは、さまざまな類の、さまざまな人たちの「信念」がその成長をリードしてきたのだと思う。

 人は、何かの観念を持つ。時としてそれが固定観念となり、場合によっては固執につながることもある。でも、人だから観念があるのは当然なこと。なぜなら、経験から観念は形成されていくのだから。したがって、「意思」は経験がサポートしてくれることがある。実体験があること、事実があることは、意思決定を後押ししてくれる。それら、意思や欲を媒介する形式が「物質」であったり「情報」であったりする。でも、物質や情報は外在的なものであり、最後は内在する「意思」というものが行動条件を左右する。

 意思とは「外的要因」(環境)を解釈した上で行われるものだから、いかに状況を把握しているかも重要だ。「意思の構造」をもっと探求してみたいという「欲」を抱いてみました。

できることを、できる範囲で、あきらめないで

2010年10月15日 | 教育・数学・心理学
 毎週日曜日、朝9時からTBSラジオが放送する「全国こども電話相談室・リアル!」という番組がある。

 主に、小学校・中学校の生徒たちの悩みや相談を、パーソナリティのDJシュウさんが聴き、その子の悩みに対して助言をし、応援する番組。いわゆる不登校の悩み、友人関係の相談、いじめの問題、親子間の悩みといった、子どもたちの悲痛の悩みを親身に聴く。

 かつて、「全国こども電話相談室」という番組があった。1964年から2008年まで、44年3か月の期間に渡って放送されたという。思えば子どもの頃、私は「全国こども電話相談室」という番組が好きだった。結構好んで聞いていた。子どもの素朴な疑問。恥ずかしがりながら、同世代の子どもたちが電話で質問する様子が印象的だった。

 その番組の後継として、現在「全国こども電話相談室・リアル!」が放送されている。
 この番組のパーソナリティ、レモンさんこと、DJシュウさんは自分の子どもの小学校でPTA会長を5年近くされたこともあって、子どもの気持ちをうまく察する。
 この番組も結構好きで、毎週なるべく聴くようにしている。

 「全国こども電話相談室・リアル!」の番組の中で、DJシュウさんはしばしばこう言う。「できることを、できる範囲で、あきらめないで、やって行こう。無理はしたらあかん。でも、あきらめたらあかん。大丈夫。きっとできる。」

 あきらめない気持ちの大切さ。いろんな人が、いろんな形で語ります。この「あきらめない」ことの大切さとともに、「できることを、できる範囲で」と言葉を添えるところが、とても私は気に入っています。

 ときどき、自分の心の中で「できることを、できる範囲で、あきらめないで」とつぶやいています。子どもだけでなく、大人であってもこの気持ち、大切ですね。
 今日はふとしたきっかけから、この言葉を記事のタイトルにしてみました。

追伸:「全国こども電話相談室・リアル!」(ウェブページに遷移します。)のページには、過去の放送の記事があります。また、番組の音声を聞くことができます。