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アイデアの散策

仕事・研究・日常の中で気付いたことのエッセイ。

MOT講義レビュー:【第1話】大学院で学ぶ技術経営

2011年03月03日 | イノベーション・技術経営
 2008年4月から2010年3月までの2年間、東京理科大学専門職大学院の技術経営専攻で学んだことを私なりにまとめてみようと思う。MOTとは、技術経営:Management of Technologyの略で、大学院教育における技術経営(MOT)とは(ウィキペディアによると)技術版MBAとも言われる。

 書こうと思う目的は2つある。

 一つは、2年間学んだことを改めて復習することで、自分の理解を整理することにある。煮物は寝かすことで味がしみる。学問も復習することで理解が深まる。
 東京理科大学専門職大学院のMOT教育は、仕事を持つ社会人を対象にしている。平日夜(18時30分以降)と土曜日に開講される。したがって、いわゆる二足のわらじを履いて、仕事と学業を両立させることになる。さらには、家庭との両立もする必要がある。

 振り返ると、走り続けた2年間だったと思う。過去の講義ノートを再び開いてみた。結構大切なことが書いてある。でも、記憶に残っていないこともたくさんあった。もう一度復習してみようと思う。

 もう一つは、ビジネス系の専門職大学院に関心のある方、これから通おうと思っている方への情報提供である。MOTではどのようなことを学んでいるのか、伝えたい。

 文部科学省は2003年に専門職大学院制度を創設した。2010年現在、 ビジネス・MOTが学べる専門職大学院 が国内に30大学院32専攻ある。
 英語で言えばMBA(Master of Business Administration)となる経営管理修士(専門職)や経営修士(専門職)といった学位を取得できる平日夜と土曜に開講するビジネススクールはたくさん開設されている。いわゆる国内版MBAである。

 ところで、各大学院の教育方針、いわゆるアドミッションポリシー、カリキュラムポリシー、ディプロマポリシーは多種多様である。だからこそなおさら、自分の学習意欲に合う大学院選びが重要となる。その一助になればと思うのが、二つめの目的である。MBAとMOTはどう違うのか。社会人が専門職大学院で学ぶということ、MOTの魅力が伝われば幸いである。

追伸:いずれの目的であっても意義ある記事になると思います。連載モノの記事は書く意欲が湧いてくる。今日はもう一つ、続けて「【第2話】バランスよい授業科目群」という記事を書こうと思います。

情報の本質

2011年02月06日 | イノベーション・技術経営
 「情報」とは何か。

 その特徴を考えることは興味深い。いわゆる「モノ」と違って、基本的に目に見えないことが多い。言語化し、見える化すれば、ある程度わかった気になる。知ることができる。かといって、誤って理解する場合もあるだろう。さりとて、我々は、日々「情報」に接している。

 「情報」には、一般的につぎの3つの特徴があると、『見えざる資産の戦略と論理』に記されている。以下要約しながら引用したい。

(1)受け手の頭脳による理解と共有が必要
(2)排除性がない
(3)排他性がない

 まず、情報というものが意味を持つためには、情報の受け手がそれを理解し、また受け手が集団ならば、その集団の中で共有されることが必要である。その理解のためにも、共有のためにも、じつは時間がかかる。
 しかし、いったん理解すると、その情報を理解した人の頭脳から排除する、返却させることはできない。知られてしまったら、取り戻せない(排除不可能性)。
 また、一つの情報を誰かが使っている場合に、他の人が使えなくなるということはない(排他性がない)。情報は多くの頭脳に同時に記憶として収まることができる。別な表現をすれば、同時多重利用可能であるということになる。

(伊丹敬之・軽部大編著『見えざる資産の戦略と論理』日本経済新聞社、pp28-29を要約)

 あるいは、次のようにも整理することができる。『経営戦略の論理(第3版)』から引用したい。

(1)同時に複数の人が利用可能
(2)使いべりしにくい
(3)使っているうちに、新しい情報が他の情報との結合で生まれることがある。

(伊丹敬之著『経営戦略の論理(第3版)』日本経済新聞出版社、p245より引用)

 近年、ICT(情報通信技術)によって、形式的な「情報」の複写が容易になった。多くの人に「情報」を同時配信することもできるし、一方で特定の情報を限定的な人にのみ送る工夫もある。いわゆる情報の非対称性は、その情報流通システムがどうデザインされるかにより生じる。
 オープンな情報流通システムにおいては、人は多量の情報にアクセスすることができる。インターネットはまさにそうだ。情報大爆発という言葉に象徴されるように、最近は情報にあふれている。だが、一人ひとりの人間は、必要以上の情報を処理できない。個人の処理能力を超え、飽和状態になる。

 これからは情報流通社会とともに、情報編集社会が大切になるような気がする。情報通信技術(Information and Communications Technology)のみならず、情報編集技術(IET:Information Edition Technology)が重要性を増す。それは、物理的な技術のみならず、個人の情報リテラシーの意味で、情報編集能力を高める時代になる。何気ない情報に、どういう意味付けをするかのセンスは経営においても必要だ。

 「情報」を機械的に流通し、共有・蓄積するのみならず、「情報」を能動的に活用し、編集・発信するための、情報への目利き力。情報という概念について、今一度認識を深めることは大切かもしれない。

イノベーションはどこから生まれる?

2010年10月16日 | イノベーション・技術経営
 今日は、イノベーションと日本の国民性について記事を書いてみようと思います。

1.イノベーションが生まれる3つの場
 近年の経済不況もあって、日本の産業発展のためにも何らかの新たなイノベーションを興そうと、企業においても個人においても、その意識は高まっていると思う。
 といっても、一朝一夕にイノベーションを興すことはできない。時間も費用も必要だし、人脈や機会も重要だ。
 今日の大学院の講義では、イノベーションとはどこから生まれるのか、議論してみた。

 イノベーションの誕生起源は、大きく分けて3つあると思う。一つは政府による国家プロジェクトのような大規模な仕掛けによるもの、一つは企業の研究所・大学の研究機関など専門的集団によるもの、もう一つはある個人または少数の創発的な活動によるもの、この3つがあると思う。最後のカテゴリーにはいわゆるベンチャー企業も入るだろうか。

2.政府におけるイノベーション政策
 たとえば、米国では2004年12月の競争力協議会による「イノベート・アメリカ」(通称:パルミサーノ・レポート)を皮切りに、科学技術・イノベーション政策推進体制が急速に確立されている。また、2005年4月の全米科学振興協会の科学政策会議において、イノベーションの活力を十分にとらえ、かつ研究開発への政策評価をより有効に機能させるため、経済学や社会科学、情報科学を結集した研究の強化による定量的な科学技術政策研究、すなわち「科学政策の科学」の導入が提唱された。(文部科学省「平成21年 科学技術白書」第1部第3章第4節を一部修正)

 日本では、内閣府にある総合科学技術会議が主に科学技術分野におけるイノベーション政策を推進してきた。2006年には「イノベーション25」(2025年までを視野に入れた成長に貢献するイノベーションの創造のための長期的戦略指針)が策定されている。

3.良い研究・良い創発のための「良き環境」
 こういった国家レベルの取組の一方、先日ノーベル化学賞を日本人が受賞したように、先端研究分野では、個人や少数者による貢献も大きい。
 良い研究、良い創発のためには、良き環境が準備されていることが望ましいと思う。研究に専念できる時間、技術の充実はそうだし、何より新たな研究に対して「誉める」ことのできるリーダーやサポーターの存在。研究者個人の、研究に対する「熱い思い」も重要だ。

 その意味で多少、国民性や文化、時代背景もまた、イノベーション発生の要因に関わってくる。研究者の研究に対する執着力や執念、根性といったものが、戦後の日本における高度経済成長期にはしばしば見られた。昨今の中国では、急速な経済成長を欲する人の願望もまた、科学技術研究の進展や産業発展に寄与していると思う。

4.イノベーションと日本の国民性
 国際的にみると、日本人の労働生産性は必ずしも高くない。時間の使い方がうまくないのだろうか。何かと日本人は「忙しい」という言葉を口にするが、「忙しい」の中身は何か、今一度探ってみたいものだ。
 また、日本人には「和を持ってことをなす」といった文化がありそうだ。そのため、何かと企業の中では上司への相談・稟議が行われる。そして、意思決定が遅くなるときがある。あるいは、せっかくの新規アイデアが却下されることもある。

 イノベーションを興す過程において、その芽生えを枯らしていることも多いのではないだろうか。「リスク」に対する回避意識が日本人は特に強い。日本はどの程度、「自由」な活動を許容する文化を持つ国だろうか。
大切なことは、イノベーションとは人・時・場の観点から、融合的に捉えるものであって、携わるメンバーやその時代の背景、国民性や組織文化をも考慮して実践される必要があることだろうと思う。

追伸:イノベーションと国民性・時代背景の分析を個別具体的に行うことができれば、より納得できる論理が作れるかもしれないと思います。
 
参考文献
 文部科学省 「平成21年 科学技術白書」第1部 第3章 第4節 科学技術政策の更なる発展に向けて(文部科学省ウェブページに遷移します。)

無印良品とフランフラン

2010年10月10日 | イノベーション・技術経営
 今日は生活雑貨を幅広く販売している「無印良品」と「Francfranc(フランフラン)」について、記事を書いてみようと思います。

1.商品の違い、店舗の雰囲気の違い
 今日、久しぶり新宿のフランフランに行ってみた。バニラのアロマキャンドルを買いに出かけた。フランフランの商品は「感性」に訴求するものが多い。気が付けば、ペンケースやキッチン用品、収納箱等、いろいろ買ってしまった。店の雰囲気も「感性」を刺激する。とにかく「カラフル」。赤、黄、青、白、黒・・・。そして、流れていたBGMで気分がウキウキしてくる。女性客にも人気がある。

 最近、無印良品に行くことが多かった。一方の無印良品のBGMは、落ち着いた曲を何度も繰り返す。どの店舗に行っても同じ曲。商品は茶、白、シルバーでだいたい統一されている。昔は、紺もあったと思うが最近は減った。とはいえ、無印良品も女性客は多い。無印良品とフランフランは、商品コンセプトが異なる。

2.無印良品の価格とイメージ
 無印良品は現在、「良品は円高還元」週間として、全品10%OFFのキャンペーンを行っている。第1弾は10/1(金)から10/12(火)まで。おそらく第2弾もするのだろう。フランフランと比べれば、無印良品は価格は安い。その安い価格の10%OFFだから、結構お得なのだ。驚いたのは、例えば洗濯機。一人暮らしであれば4.5Kgの大きさで十分。これで定価26,800円。この10%OFFは24120円。家電量販店よりも安いかもしれない。日用雑貨も100円ショップで買うよりも安くつくものがいくつかある。

 無印良品と言えば、シンプルというイメージがある。以前に無印良品金井社長の講演会に出たことがある。世界的に見ると「無印良品」あるいは「MUJI」というブランドに対するイメージは、地域によって異なるという。米国では「機能性が高い」、欧州では「デザインが優れている」、東南アジアや中国では「(日本的で)洗練されている」といった印象で受け入れられているらしい。

3.無印良品とフランフランのコンセプトの違い
 無印良品の商品開発と製造コンセプトは、1.素材の選択、2.工程の点検、3.包装の簡素化にある。創業以来、一貫して変わらないという。素材本来の良さを生かし、生産工程や包装の合理化を図り、無駄の省略に努めることで、良品を安く提供する。機能性を重視し、無駄なデザインを排し、ベーシックであることを心がけている。

 興味深いことは、「無印良品が掲げる無駄の排除を徹底していくと、ものの実質に行き着く。そのとき、ものが持つ本当の美しさがよみがえる。それらに囲まれ、使いこなす日常には生活美学が漂う」ことである。無印良品は2003年にデザイン強化として、1.人の行為とものの関係性をデザインする、2.もののが存在する環境とデザインの関係性を考える、ことを打ち出している。そして、商品戦略委員会や企画デザイン室、30%委員会の設立など組織体制を見直している。株式会社良品計画が運営する。

 フランフランのコンセプトは、カジュアルスタイリッシュ。フランフランを運営する株式会社バルス(BALS)は、デザインによって新たな付加価値を創造し(VALUE by DESIGN)、住空間における「文化的で感性豊かなライフスタイル」を提案するという企業理念を持つ。そこで、単なるナショナルブランド商品を並べるだけでなく、オリジナルデザインによる他店では買えないハイクオリティを見出そうとする。

4.財務状況と店舗数
 フランフランは2010年1月時点で計117店舗。無印良品は2010年2月時点で計454店舗(いずれも国内店舗・国外店舗の両方を含む)。売上高は、バルスは2010年1月時点で連結で約342億円。良品計画は2010年2月時点で連結で約1643億円。フランフランは無印良品と比べると規模は小さい。ちなみに驚くことは、100円ショップのTHEダイソーを運営する大創産業の売上高は2010年3月時点で3,413億円。良品計画の約2倍、バルスの約10倍。THEダイソーが国内2,570店舗、海外550店舗あるという規模の差もあるだろう。

 こう見ると、生活雑貨の市場においてフランフランは幅広いシェアを取れてはいないが、「文化的で感性豊かなライフスタイル」を大切にした商品創造をしている。そういう価値を求める顧客もいるのだ。ある意味、消費者の価値欲求によって市場の棲み分けが起きている。多様な価値の分だけ、市場は創造できると思う。ただ、その価値がどのような類なものかを想像することに絶対的な論理を正確に論ずることは難しい。

追伸:このブログでは、何度か文化的価値や感性といった観点からの技術経営の在り方について論じようとしています。サービスサイエンスや感性工学といった観点から、どういう商品創造ができるのか。フランフランの事業戦略は後に掘り下げてみたいと思います。

医療イノベーション(PHRを考える)

2010年09月26日 | イノベーション・技術経営
 医療分野のイノベーションについて記事を書こうと思います。今回は、PHR(Personal Health Record)について、簡単に触れてみます。PHRを直訳すれば、個人健康記録となる。

1.PHR(Personal Health Record)とは何か
 個人の健康に関する情報は、カルテ情報は医療機関、健診の情報は健診機関や保険者、運動情報はフィットネスクラブ、体重計等の情報は家庭など、様々な場所に散在している。これらの健康情報を、個人自らの意思で一元的に管理・活用でき、自分の健康状態を正確かつ継続的に把握できれば、健康増進に向けた行動が促進されることが期待される。<「個人が健康情報を管理・活用する時代に向けて」より引用>

 そのための、データバングのようなもの、情報通信技術によって個人の健康記録を集積した場を構築することが、PHRの取組だと言える。もちろん、そのための制度課題やインフラ構築の諸問題は多々ある。
 PHRの構想は古くからある。どの主体がPHRのデータを管理するのか、そのデータ管理は安全になされるか、個人情報の扱いの考え方等、整理しなければならない問題は多々ある。だが、実現すれば、社会生活の利便性が高まることは間違いない。

2.EHR(Electronic Health Record)と米国における状況
 類似の考え方としてEHR(Electronic Health Record)がある。EHRは、特に医療機関側の情報管理を促進する構想である。
 これまで、異なる病院に行くたびに、一から初診をし、健康状態を診断する。しかし、PHRやEHRの構想が実現されれば、患者が病院を替えても、過去からの医療情報・健康情報等をPHRやEHRから引き出すことで、容易に医師は状況を把握できる。一方の患者は、何度も同じような検査をする必要はなくなり、負担が減る。救急の対応では、特に意義がある。

 一方の米国では、すでに「健康情報の個人向け管理サービス」が始まっている。2007年10月、マイクロソフトが「Health Vault」を、2008年5月、グーグルが「Google Health」を公開している。日本では現時点で、そのサービスはなされていない。

3.医療ICT分野のイノベーションの可能性
 日本でも、少しずつ医療とICT(情報通信技術)の融合に向けた取組が進展している。この状況を観察することで、イノベーションの芽生えのからくりを探ることができそうだ。制度や慣行の見直しがあれば、速やかにビジネスチャンスが拡がる可能性がある。動向を注視しておく方が良いだろう。

 なお、情報通信技術を用いた医療分野の改革として、政府はこれまで様々な取組が検討してきた。直近では下記のタスクフォースにおいて、「どこでもMY病院」、「シームレスな地域連携医療の実現」、「レセプト情報等の活用による医療の効率化」、「医療情報データベースの活用による医薬品等安全対策の推進」等の検討が始まっている。
高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部(IT戦略本部)
 第1回 医療情報化に関するタスクフォース (平成22年9月8日開催)(内閣官房IT戦略本部のページに遷移します)

追伸:医療・ヘルスケア分野に関連のブログで、興味深いページをいくつかピックアップしてみました。医療・ヘルスケア分野には、私自身、直接的にはそこまで詳しくないので、参考となるブログ等を読みつつ、理解を深めていこうと思います。

 メディカル・ヘルスケア☆いのべーしょん (gooブログのページに遷移します):医療と健康(ヘルスケア)融合領域におけるイノベーションを考察するブログ。私と同様、東京理科大学MOTの修了生によるブログ。
 MOT(技術経営)社会人学生からみた、医療のイノベーション (アメブロのページに遷移します):医療を、技術経営・イノベーションの観点から見つめるブログ。

参考文献
 「個人が健康情報を管理・活用する時代に向けて」-パーソナルヘルスレコード(PHR)システムの現状と将来 -(概要) (2008年3月)(経済産業省のページ、PDFファイルに遷移します)