第6話は、ナレッジ・マネジメントの講義で学んだことを要約してみようと思います。
1.ナレッジ・マネジメントとは
ナレッジ・マネジメントを直訳すれば「知識経営」。企業が成長・発展し、成功してきた背景には、組織成員が作り出した知識を、ある組織の中で製品・サービス、あるいは業務システム等に具現化するといった、「組織的知識創造」が起きている。
たとえば、漆器作り等のいわゆる「伝統文化産業」であれば、「匠の技」の伝承はそうである。あるいは、ガラス職人や料理人の熟練された腕どころ(さじ加減)もまた、一種の知識であると言える。一方で、近代的なハイテク産業におけるシステム構築のスキルや、金融商取引における能力、営業活動における作法もまた、知識によるところが大きい。
ここでは、ナレッジ・マネジメントは次のようなものだと定義する。
組織の変革力や知的資産などを含めた、総合的業績を向上させるために、適切な技術・組織構造・文化的環境を用いて、組織における知識の創造・活用・共有などの諸プロセスの管理運営を効率的に行うこと。またさらに、知識をベースとする新しい企業の経営、およびそれを探求する研究や実践的ムーブメントのこと。
2.組織における知識の役割
総合的業績の中には、ブランドイメージや製品への信頼性・安全性といった「見えざる価値」も含まれるだろう。したがって、ナレッジをマネジメントするとは、単なるノウハウにとどまらず、組織における人間関係や社会環境、文化背景をも踏まえた技術や思考の創造・活用・共有がうまくなされる工夫をすることだと言える。
そして、さらには知識に基づき、組織の活性化や組織の変革が起きうることもあろう。ナレッジ・ドリブン・イノベーションとでも言おうか。近年の、インターネット上でつぶやく「Twitter」は、知識の流通に伴う、新たな「創造の場」になりつつあるとも思う。
MOTの講義では、NHKスペシャルの番組「変革への世紀」を視聴し、この番組を題材に、次のようなことを議論しあった。
・今日(こんにち)の組織はどのような方向に進もうとしているのか
・組織を進化(変化)させる原動力は何か
個人が組織において情報を発信することにどのような意義があるのかを考えてみると興味深い。仲間に認められるだろう。あるいは相手を助けたり補い合ったり、相互連携の力学が働くだろう。いいアイデアを出せば、仲間から尊敬されるだろう。いずれにしても、「発信」することで新たな知的関係が創造されることがある。
3.暗黙知と形式知
ところで、知識を共有すると言っても知識には類がある。先に例を挙げたガラス職人や料理人の熟練された腕どころというのは、定量的にデータとして共有することは難しい。ガラス職人であれば、ガラスが何度になったとき、液体化したガラスを冷ませばよいか、料理人であれば、どの程度の調味料を加えればよいか、定量的なことはなんともうまく説明できない。なんとなくこれくらい、という勘に頼る知識がある。
もちろん、定量的な知識もある。化学産業での化合物の合成や機械産業での設計図等は確かな計算に基づき行われる必要がある。
このような違いから、意識化された知識を大きく次の2つにわけることができる。
暗黙知:目に見えにくく、表現しがたいもの。個人的なもので形式化しにくく、他人に伝達することは難しい。主観に基づく洞察、直観、勘なども含まれる。個人の行動、経験、理想、価値観、情念などにも深く根ざしている。
形式知:明白なもので、言葉や数字で表すことができるもの。厳密なデータ、明示化された手続き、普遍的原則などの形でたやすく伝達・共有できる。
<『知識創造企業』p8,9をもとに編集>
経験的にも、形式知とそうではない暗黙知といった知識があると解釈することには違和感はないだろう。「暗黙知」という表現は、ハンガリーの化学者・哲学者・社会学者のマイケル・ポランニーが提唱したものではあるが、その後、暗黙知と形式知の連関などは、経営学者である野中郁次郎先生が、その概念を深化させた。
次回のMOT(技術経営)講義レビューでは、その暗黙知と形式知の連関等について、いわゆる「SECIモデル」関連の話題を扱ってみたいと思う。
追伸:「見える化」という言葉が流行ったことがある。これも知識を形式知化することだが、何もかも「見える化」することが良いとも限らない。見えない状態の方がむしろ良いもの、あるいは特定の集団にのみ見える状態が良いものといった場合もあるだろう。さらには意識化されていない「知識」の特徴については、より詳細に検討してみると面白いと思う。
参考文献
野中郁次郎・竹内弘高(1996)『知識創造企業』東洋経済新報社
1.ナレッジ・マネジメントとは
ナレッジ・マネジメントを直訳すれば「知識経営」。企業が成長・発展し、成功してきた背景には、組織成員が作り出した知識を、ある組織の中で製品・サービス、あるいは業務システム等に具現化するといった、「組織的知識創造」が起きている。
たとえば、漆器作り等のいわゆる「伝統文化産業」であれば、「匠の技」の伝承はそうである。あるいは、ガラス職人や料理人の熟練された腕どころ(さじ加減)もまた、一種の知識であると言える。一方で、近代的なハイテク産業におけるシステム構築のスキルや、金融商取引における能力、営業活動における作法もまた、知識によるところが大きい。
ここでは、ナレッジ・マネジメントは次のようなものだと定義する。
組織の変革力や知的資産などを含めた、総合的業績を向上させるために、適切な技術・組織構造・文化的環境を用いて、組織における知識の創造・活用・共有などの諸プロセスの管理運営を効率的に行うこと。またさらに、知識をベースとする新しい企業の経営、およびそれを探求する研究や実践的ムーブメントのこと。
2.組織における知識の役割
総合的業績の中には、ブランドイメージや製品への信頼性・安全性といった「見えざる価値」も含まれるだろう。したがって、ナレッジをマネジメントするとは、単なるノウハウにとどまらず、組織における人間関係や社会環境、文化背景をも踏まえた技術や思考の創造・活用・共有がうまくなされる工夫をすることだと言える。
そして、さらには知識に基づき、組織の活性化や組織の変革が起きうることもあろう。ナレッジ・ドリブン・イノベーションとでも言おうか。近年の、インターネット上でつぶやく「Twitter」は、知識の流通に伴う、新たな「創造の場」になりつつあるとも思う。
MOTの講義では、NHKスペシャルの番組「変革への世紀」を視聴し、この番組を題材に、次のようなことを議論しあった。
・今日(こんにち)の組織はどのような方向に進もうとしているのか
・組織を進化(変化)させる原動力は何か
個人が組織において情報を発信することにどのような意義があるのかを考えてみると興味深い。仲間に認められるだろう。あるいは相手を助けたり補い合ったり、相互連携の力学が働くだろう。いいアイデアを出せば、仲間から尊敬されるだろう。いずれにしても、「発信」することで新たな知的関係が創造されることがある。
3.暗黙知と形式知
ところで、知識を共有すると言っても知識には類がある。先に例を挙げたガラス職人や料理人の熟練された腕どころというのは、定量的にデータとして共有することは難しい。ガラス職人であれば、ガラスが何度になったとき、液体化したガラスを冷ませばよいか、料理人であれば、どの程度の調味料を加えればよいか、定量的なことはなんともうまく説明できない。なんとなくこれくらい、という勘に頼る知識がある。
もちろん、定量的な知識もある。化学産業での化合物の合成や機械産業での設計図等は確かな計算に基づき行われる必要がある。
このような違いから、意識化された知識を大きく次の2つにわけることができる。
暗黙知:目に見えにくく、表現しがたいもの。個人的なもので形式化しにくく、他人に伝達することは難しい。主観に基づく洞察、直観、勘なども含まれる。個人の行動、経験、理想、価値観、情念などにも深く根ざしている。
形式知:明白なもので、言葉や数字で表すことができるもの。厳密なデータ、明示化された手続き、普遍的原則などの形でたやすく伝達・共有できる。
<『知識創造企業』p8,9をもとに編集>
経験的にも、形式知とそうではない暗黙知といった知識があると解釈することには違和感はないだろう。「暗黙知」という表現は、ハンガリーの化学者・哲学者・社会学者のマイケル・ポランニーが提唱したものではあるが、その後、暗黙知と形式知の連関などは、経営学者である野中郁次郎先生が、その概念を深化させた。
次回のMOT(技術経営)講義レビューでは、その暗黙知と形式知の連関等について、いわゆる「SECIモデル」関連の話題を扱ってみたいと思う。
追伸:「見える化」という言葉が流行ったことがある。これも知識を形式知化することだが、何もかも「見える化」することが良いとも限らない。見えない状態の方がむしろ良いもの、あるいは特定の集団にのみ見える状態が良いものといった場合もあるだろう。さらには意識化されていない「知識」の特徴については、より詳細に検討してみると面白いと思う。
参考文献
野中郁次郎・竹内弘高(1996)『知識創造企業』東洋経済新報社