NOW現状打破!写真28 内藤基裕ブログ

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久々読みました。

2006年07月13日 00時15分46秒 | Weblog
 詮じつめて言えば、このピンナップ・ヌードの女に私は女の外皮しか感じない。

 そこには個人性も密室性も、要するに想像力の介入することのできる

 一切のものが全く欠落しているのだ。

 (反対に性にもし人間的な何かがあるとするならば、

 それが想像力ときってもきりはなせぬものだというその一点だけだ。)

 あるのは表面と外皮だけ。

 いかにも女たちは微笑みかけ、その太腿をそれを眺める者に向かって開いているかに見える。

 だがそれは悪しき錯覚である。

 この盲点の中の女たちはけっして私やあなた、

 要するに一人一人の男に向かって開いているのではない。
 
 それは万人に向かってなのだ。

 この公共性は全くのところ商品の存在形態そのままである。

 商品もそのつややかさと衛生性を消費者の万人に向かって開いているのである。

 要するに私はグラフィズムの中の一切の性が否定され、

 超越されねばならないものと考える。

 なぜなら性はあくまでも個人的で直接的なものでなければならないはずだから。

 たとえ今、性が歪められ、ディストートされたものであるとしても、

 その現実から出発するしか方法はない。

 その現実を忘れさせ、衛生性と公共性という美名の下で性の解放を

 あたかも達成されたかのように提示するめくされグラフィック・セックスを粉玉せよ。

 性とはやることであってけっして見ることではない。

 網点の中の百万のグラマラスな女体より、

 一人の偏平でがに股の他ならぬこの女をやってやってやりまくれ。


 中平卓馬の写真論 グラフィズム幻想論より抜粋

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