撮影行ってきました。ちょこちょこコマめにディズニーシー外縁からプロメテウス火山を撮っていましたが我慢出来ず、ついに入園しました。
イェイ!
ディズニーシーーー!!テンション
あれも乗りたいし、これも乗りたいし、ポップコーンも食べたーい。そうそう、水辺のパレードショウは最高らしいっす。夜空に打ち上げられる花火に感動のフィナーレ。満喫。
んなわけない。
一日フリーパス5500円を無駄にしないように、山ばっかり撮りました。
目的はプロメテウス火山撮影Oniyなのですから!!
お前、何処行ってきたの?って引かれるぐらいCFにはプロメテウスが…。(いや、2、3枚はドナルド撮りました。グフィーも。)
でもね、やっぱり面白かった。
凄いなーって思ったのは山が見える位置が計算されてるんだろうなって感じ取れるってこと。
ポイント、ポイントで押さえてあるっていうか、景色が気が利いているところ。(あっ!!それがおもしろいん?って突っ込みは止めてくださいね。)
まあっ ディズニー、コワッて印象が一頭最初かな?。そんな感じっす。
だから正直、企画てんこ盛りでRPG並みに、よく出来てましたってのが適かな。
歩きゃあイベントの国ですから!!(エンターテーメント。)
で、ですね。ずーと、シーにいた時、考えてた事がありまして。
ある意味、これも作品なんだなと。
そして、僕は5500円払ってそれを享受してる。
受けているんだと。
つまり、僕は小さいながらも、自分の作品を作る側で来ているのに、いつの間にか立場が入れ替わって受けまくってる。多分、それは社会の仕組みで当然のごとく、いつもそばにあるものだと思う。
ただ、ディズニーっていう異空間の中で、ぼくは改めてそう感じた。社会は露骨にやってないだけで誰かが天蚕糸を引いている。ひっひっひっみたいな。
ほんっと、堪能するように社会は出来ていて、その顕著な部分としてのディズニー。
こっから先は、僕には手に負えん話しの類いですわ。
(受けてるほうが楽でおもしろいんだろうなあ。でも、小さくとも出してでありたいです。)
ただ作品化の話しで言うとで勉強になった。とても写真で太刀打ち出来るシロモンでもなく、映画でも危ういだろう。
なんせ体感型ですから。
では、なんでわざわざ写真でもって改めて撮影するのか。
ある意味再撮(再見?二度見?)する意味あるのか?
それは、やっぱり写真は個人に既存する面白さがあるからだと思う。
僕が最初に思った疑問。
なんで、学者も脱帽の火山、デズニーはこさえたん?
なんで?
どして?
姉○の建築並みでも設計でもコースターとかおもしろきゃいいでないの?とか思ってしますが、デズニーはしなかった。
なぜに?(風景的におもろい?)
なんで???
伊東市にある一碧湖は同型の火山だったらしい。
そして、ここからの物語は僕の写真だ。
(むろん、既に外縁、内縁で撮ったプロペテウス火山も僕の写真ですよね?)