NOW現状打破!写真28 内藤基裕ブログ

写真の賞をとる!まで更新され続けるブログ!!

三月終わり、四月になる。

2006年03月31日 09時45分21秒 | Weblog
 季節が変わっても

 特に変わらないけど
 
 営業をしようと思います。

 GW明けには1回ゴゾっと持っていこうかと。

 



 公募は新世紀に出すとして

 ひとつぼ展(7月もあったのか!)

 フジフォトサロン

 エスクァイア日本版等々だそうかと。

 秋はエプソンと。

 
 

それはあかん、それはあかんでええ

2006年03月27日 10時15分24秒 | Weblog
 写真を撮ってみて駄目なら

 許せるんだけど

 写真すらとれないってのは

 許せない。(作品を作る上で)









 ちなみに多くの写真公募があるけど

 だいたい2重公募は禁止されている。

 だから作品を公募によって変えることを僕はしていた。

 (全く別ものを多々!!)

 一本化にしてその時の経過で提出する形にしたら

 スムーズになるだろう。

漫画喫茶より

2006年03月26日 12時35分41秒 | Weblog
 空は高く海は深く

 小鳥がさえずり

 人々はお互いを思いやる。

 ピザにのったオリーブをつまみ食いする程度の

 悪しか存在しない。

 平和を脅かすものなど

 何ひとつないようだ。

 素晴らしい世界に我々は生きているな、ユーリ中佐。

 (ナンバーファイブ、第四巻、P60、松本大洋)

 理想郷に向けてひた走る平和隊へ向けて

 皮肉を言うビクトル大佐のセリフ。






 


 

2006年03月24日 12時23分30秒 | Weblog
 オフィスレデーを風景と一緒に撮っている。

 見たことある写真じゃダメだ。

 かといって思いつくもんでもない。

 銀座、青山、汐留が好きです。

 

 

いい写真

2006年03月23日 11時18分19秒 | Weblog
 いい写真を撮ろうと思っています。

 難しいことは考えずシンプルに撮りたい。

 なにをいっても

 やっぱ

 写真を撮った奴が一番偉いと思います。

 (偉いってのもおかしいけど。)

ソウル

2006年03月19日 12時01分08秒 | Weblog
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね

二つの日記

2006年03月14日 17時56分22秒 | Weblog
 日記には二種類ある。

 人に読まれる為の日記(ブログ風)と

 人に読まれない為の日記。(神との対話風)

 僕は後者をやりたいと思ってる。

 イタくて結構。

 文句も書けない日記(ブログ)にはしたくない。

 正直に書く。

 素直に書く。

 だけ。

 だけなんだ。

 





 





 佐内正史展「Odysseia」

 つまらなかったです。

 


 

 

 

受験

2006年03月12日 09時50分01秒 | Weblog
 ある人は受験があるから、それに向けて勉強をする。

 ある人は将来の自分の為に受験とは関係のない勉強をする。

 

 ある人は受験の為に塾に行き、

 受験はイベント化する。

 それはそれで面白い。

 まるでスポーツみたい。

 どういう勉強の仕方だっていいじゃないか。

 で、将来何になりたいねん?

 

 


 

整理

2006年03月09日 16時11分35秒 | Weblog
 ・風景堀江(ヒルズ、東京拘置所の風景)

 ・スポット(海までは行かないそこまでの道すがら。人も入ったり。)

 ・ウ゛ォルケーノ(プロメテウス火山&伊東)

 ・オフィスレディー(文字通り)

 ・銀座の王子(よく見かける浮浪者)

  んなのを

  撮ってる。全部撮れんのか?

ハングリー

2006年03月07日 21時22分59秒 | Weblog
 コンペはハングリー精神を養ってくれる。

 否応なしに善し悪しをつけるから

 なぜにじゃームキー!!

 の精神が生まれる。

 写真に対する飢え。

 必要だと思います。








 


 ジダンとかベッカムが泥まみれになりながら

 スライディングタックルを仕掛ける。

 


 Jリーガーより汚れてると思う。











 



 

 

 

結構誤解されてる?

2006年03月05日 11時18分55秒 | Weblog
 どうやらこのブログ

 まともに写真の賞を取りにいくだけと多々思われていると知ったので

 再度、このブログについての説明。

 このブログは写真の賞を積極的に目指すブログである反面

 それを皮肉ることを真の目的としています。(実はね)(過去の文からも)

 皮肉るとなると

 ただ野次るとは違う。まずは参戦してみることが重要だと思う。

 土俵に上がってみる。

 そしてマジで狙いにいくこと。

 このマジっていうのが僕的にはポイント。

 このガチってのが生命線な訳で。

 儚げな訳で。

 そいであえてノルってのが…。

 

 まっいや

 誤解はなるべく免れたい。

 

 


 



 カメラマンになるために

 賞なんていらないのは、はなからわかっている。

 そして、「あっ新世紀だしちゃんだ、君。」

 みたいな職業カメラマン的冷笑もこれまたこれで嫌だなー思う。

 (1流のカメラマンほど写真の本質は

  アマチア側にあると思ってると思ってる。

  絶対アマを軽視してない。

 (評論家の清水穣さんがそんなこと言ってたと思う。)と思ってる。

  あっ!話しズレタ。)

 

 んで、だから、僕的に、「あっ出しちゃうんだ、そういうコンペに」

 って視線が逆においしいとおもって出すようにしてる。


 


 夢想





 [久々に友達が遊びに来る。僕はお茶を入れてあげる。

  友達がいう。「最近写真撮ってる?」

  僕、「あんまし。」

  友達はこの棚の本、見ていい?と聞きながらすでにガン見している。

  色々物色されてファットフォトあたりを見つけられる。

  表紙にはFHOTO AWARDの取り方という文字。

  僕「ぎゃあああああああ!!!それ見んなあー!!(心の声)」

 友達「なんだ?これえ?!(半笑い)」

 僕の背中の後ろには

 シコタマコレデモカ

 撮った写真が押し入れ内で崩れだしていた。]

 


 こういう状況のぞむ。








  いや、ありだと思う。って話し。








 あとさあ


 
 話しちょっと変わるけど






  ああいいう写真とかあったら見たいなとか

 買いたいなって思ってて

 でもどこにも売ってなくて

 だったら

 自分で撮影して

 自分の為だけの
 
 写真集とかも作るの好きなんだよね。

 『堀江の風景』(仮)とか。

 あるんす。

 送んのもいっつもこの類いだから。ぶひ。

 

 

 

 

 

 

融合

2006年03月04日 04時56分15秒 | Weblog
 三日ほど前にNHKに養老孟司が出演していた。

 その中で解剖学者としての自分と昆虫学者としての自分がいるといっていた。

 前者は教授として鞭を振るう職業としての解剖学者。

 後者はゾウムシなどマイナーな虫を採集する趣味としての昆虫学者。

 趣味と言われると養老孟司は相当腹が立った感じだった。

 (そもそもインタビュアーが最悪。ずっとオウム返し。ホント邪魔。)

 養老孟司的には昆虫採集は趣味でなく、

 やらなきゃならない自分の私用としての位置づけらしい。

 仕事より大事そうだった。

 たぶん大事なんだろう。

 自分で大学に勤めている時期は結構いやだったと吐露していたから。

 そして

 嫌だった理由として

 「まあ、それはお勤めですから。」と付け加えていた。

 

 ここには仕事に対する解釈が見られた。

 「仕事は世間の側にある」

 その言葉が印象的だった。