レビュー

音楽や書籍に関するフェイバリットの紹介とそのレビュー。

ハウルの動く城/宮崎駿監督

2010-07-20 11:25:13 | 日記
地上波で放映、というので、はじめて「ハウルの動く城」を観ました。
宮崎駿監督のつくる映画にワクワクしないひとなどいないでしょう。
しかしぼくは思うのです。
同様に彼の作品に、がっかりしなかったひともまたいないのではないか?と。
この監督は、世界観をえがき込む達人です。
その点に関しては、掛け値なしの天賦の才を持ってます。
舞台設定の斬新さ、奥行き、その突き詰め様・・・
尋常ならざるイマジネーションとクリエイティビティ。
新しい世界を編みだし、支配するという意味で、このひとはホンモノの創造主=神様です。
ただ、このひとの仕事はなかばそこで終わってしまってるようで、ぼくはいつもその後の仕事に不満を持つのです。
世界観をつくれば、キャラクターは自然に動き、物語を展開してくれるため、あとは熟達した映像表現によってそれを記録していけばいい、と考えてるフシがあります。
宮崎駿監督にフォーカスをあてたドキュメンタリーなんかを観ると、画を動かしながら、同時進行で筋書きを編んでく様子がわかります。
言えば、行き当たりばったり。
最初にプロットを決めないこの手法は、世界観をえがき出すことを主題とする彼の映画づくりに適してるかもしれませんが、しかしどうしてもストーリー展開の甘さと、ツジツマの矛盾を生んでしまいがち。
そしてそれを一気に解決する「魔法と呪文」という、まったく納得できないお手軽なクライマックスへと逃げたくなる誘惑に、彼はあらがいきれないのです。
この悪癖を克服しないかぎり、宮崎駿作品に対する「わくわく」→「がっかり」という毎度毎度の構図はつづくのではないか、と、彼の作品を大好きな全日本国民には申し訳ないけど、ぼくは感じてるのでした。
「ハウル」の最初のシーンで、大きなお城が歩き、ファンタジー(魔法使いの国)とリアリズム(戦争)が混在する世界に、視聴者はたちまち引き込まれます。
しかしその秀逸な舞台設定をびっくり箱で終わらせないためには、綿密なリアリティ(魔法を出すにしても、です)を持ったストーリーテリングと、登場人物の心の機微のえがき込みが必要なのです。
物語の展開部で、雰囲気だけが先行していくため、とりとめのない描写のコラージュ、と映ってしまうのは、ぼくのいじわるな鑑賞の仕方のせいでしょうか?
宮崎駿監督に言いたいのは、ひとつの作品世界を最後までえがききってほしい!ということです。
彼の映画は、本当にひとの心を動かす特別な力を持ってるのですから。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

「シャガール ロシア・アバンギャルドとの出会い」展/東京藝術大学大学美術館

2010-07-09 09:04:29 | 日記
大天才・シャガール先生の展覧会。
・・・と思ったら、周辺の「アバンギャルド」な人々の作品も交じってました。
ぼくは興味のない作品はすっ飛ばして観ていく上に、説明文なども読まないため、シャガールのタブローだけを直線的に観てまわりました。
それにしてもあの説明文、読んでて面白いのかな?
誰も彼もが必死の形相で読みふけってるんだけど、もっと作品鑑賞のほうに意識を傾注してほしい。
絵画芸術は感受性でもって心に取り込むべきもので、頭で考えて理解する質のものじゃありません。
もっと自分の審美眼と直感を信じなされ。
さて、美術の教科書あたりでシャガールを見て「ただのマンガじゃん」「散らかったイラストじゃん」と思ってた幼き日のぼくでしたが、以前の展覧会で本物を観て以来、曚を啓かされました。
今回のタブロー群も、期待を裏切ることなく、衝撃的。
キュビズムから卒業しようかという時代のひとですが、その作法を取り入れつつ、まったく独自の世界を構築してます。
ファンタジックなのに、肉感の生めかしさもあり、構成の魔法で夢心地にさせたかと思えば、色彩で陰惨な生き死にを連想させたりして、その敏感な感性にはドギモを抜かれます。
「ここにその色かよ~」という、まさかの色使いとマチエールも卓抜。
だけどこのひと、マジにデッサンがドヘタなひとって気がします。
ただ、それを補う圧倒的なイマジネーションで勝負できてるわけ。
不具者に近いくらいの異能の持ち主、って言葉を考えたんだけど、近くない?
とにかく、ぼくは大金持ちになって画を買うならシャガールかベン・シャーンと決めてまして、これをどの部屋にかざろうかな、似合わねーな、そもそもせまい壁におさまらねっか、まいっか、いくらかな?それにしてもすげー、すげー、すげー・・・という俗物的観方をしてまいりました。
そして、さすが芸大、いいセレクションと展示。
みんな、みてね。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園